イライラしているときの女性ドライバーは、
たいてい うつくしくない表情だ。
ほほえんでいれば もうすこし魅力のある顔なのだろうけど、
ストレートにイライラをだすと、
こころねのまずしさまで そのままおもてにでてしまう。
ゴーマンな表情をみると、
したしくなりたいとは すこしもおもわない。
男性の運転者の場合、イライラしても
それほど表情にはでないような気がする。
かりに イライラしていたとしても、
愛想のいい顔をもとめられていないから
ふだんの表情と、しかめっつらとに
たいしてギャップがないのかもしれない。
けさの朝日新聞に、政治家の生き方や品性が顔にでる、
という秋山訓子記者の記事がのっていた。
記事では写真家の藤原新也氏のことばが紹介されている。
顔っていうのは残酷なまでにその人の内面を表す。写真家ならシャッタースピードの2分の1秒もあれば判断できるかな
内面がでるのは、もちろん政治家だけではない。
運転者は、たとえイライラしていても
気もちをそのまま顔にうかべないほうがいい。
まわりのひとからみると、手にとるように
そのひとの ひととなりがわかってしまう。
すこしまえに免許証のきりかえをして、
あたらしい免許証になった。
免許センターでとる写真は
へんな顔にうつるのがお約束ともいえ、
おおくのひとが不満をかんじるようだ。
不満とは、自分はもうすこしマシな顔をしている、
という認識とのギャップであり、
ほかのひとはまだしも、自分だけは運のわるさから
ありえない顔にうつったと残念におもう。
わたしもまた、あんな写真と
これから5年間つきあうのかとおもうと
さすがにいい気もちはしない。
しかし「顔っていうのは残酷なまでにその人の内面を表す」
原則からいえば、これもまた、
自分の品性が正直にあらわれているとみたほうがいい。
不満なのは自分だけ。
まわりのひとにとれば、
おなじみの みなれた表情だ。
ふだん まわりのひとは、
わたしの顔をどうとらえているのか気になってくる。