5年まえにカンボジアとベトナムを旅行したとき、
どんなちいさな店でも
いちようにフリーWi-Fiがそなわっていておどろいた。
フリーWi-Fiの設定は、
非常にむつかしくはないかもしれないけど、
まったくネットやパソコンの知識がなければ
できないのではないか。
それが、ちいさな店にも お約束であるのは、
事業所などが代行するにしても、それぞれの国に
いってい量のIT専門家がいなければ こうはならない。
国民性や地域性をこえ、
世界中にいまのようなネットがはりめぐさられ、
アルカイダやイスラム国であろうと
ネットを効果的につかって戦略をたてている。
ひとつぐらい、おれたちはITにうとくて、
という国があってもよさそうなのに、
なぜ全世界がおなじようなネット環境に整備されたのか。
うえの年代になるほど、パソコンやネットにうとい層が存在する。
でも、地域性や民族性によるばらつきはなく、
いちようにおなじネット環境がつくられたのは
よくかんがえると不自然だ。
文学性にとむ国民が、ITに関心をもたなかったり、
一般的といわれるレベルよりも
したのIT能力しかもたなかったとしても不思議はないのに、
世界はまことに均一にIT化されている。
これが、かつてのテレビみたいに、
スイッチをひねれば画像がうつる、という機械なら
だれもがつかえて当然だ。
掃除機だって、とりあつかい説明書をみなくても、
たいていのひとは はじめからうごかせるだろう。
でも、パソコンやネット環境はそうではない。
設定に手間がかかり、あるていどの知識がいる。
パソコンがでまわった当時にくらべると
ネットにつなぐのはかんたんになったけど、
たとえばフリーWi-Fiのしくみをよく理解したうえで
店のいたるところに設置できるほど わかりやすくはない。
ユーザーになるには デバイスをかえばいいけど、
設定にかかわれるひとが どの民族にも
一定量存在する状況に わたしはいつまでもなじめない。
日本においても、◯◯県民はネットにうとい、
という県民性があってもおかしくはないのに、
これだけ「県民性あるある」がいわれるなか、
ネット環境は各県が横ならびになっているようにみえる。
ポケモンGOが世界的にはやるのも
ネットやパソコンに関する興味関心の
世界的均一化があらわれている。
わたしには、それが不思議でしかたがない。
わたしの母は、パソコンやスマホに
なんの関心もしめさない。
自分とはべつの世界のものと、はなからきめてかかっているので、
ひとがつかっていても うらやましいとはおもわないらしい。
世代別の こうした断絶は、
民族や国民性よりも ずっとおおきくITへの距離をきめている。
どこかに凶悪な犯罪組織があって、
でもIT知識にうといために、
いまひとつ世界からなんの注目もあびず のびなやんでいる、
みたいなひとたちがいないものか。
アジトにひきこもって よその組織がとりいれている
すすんだネット戦略を うややましいとおもいつつ
自分たちには歯がたたないと はなからあきらめているアナログな組織。
犯罪ですらIT知識がいる状況を、彼らにひっくりかえしてほしい。