朝日新聞の島根版で、
錦織問題がとりあげられた。
テニスの錦織圭選手は松江市出身なので、
地方版によく名前があがる。
リオデジャネイオリンピックに出場している
女子ホッケーの錦織えみ選手もおなじ名字だ。
問題は、「錦織」をどうよむのがただしいかで、
島根県におおい「錦織」姓は、
ニシコリ・ニシコオリ・ニシキオリ・ニシゴオリ・ニシゴリと、
いくとおりのよみ方ができるそうだ。
テニスの錦織選手は「ニシコリ」で、
ホッケーの錦織選手は「ニシコオリ」とよむ。
わたしも中学校のときの同級生に
錦織さんがいて、彼女はニシコリさんだったけど、
ときどきわけがわからなくなった。
にしきをおるから ニシキオリがただしそうなのに、
彼女はニシコリさんなのだ。
ニシコリさんだけど、ニシコオリとよばれても
自分の名前と認識してくれたようにおもう。
いちいちわたしは「ニシコリ」です、と
訂正するのがめんどくさかったのではないか。
漢字をできるだけつかわない主義のわたしにとって、
錦織問題は、漢字の問題点を指摘する かっこうの話題だ。
日本語における漢字問題のおおくは、
・いろいろなよみ方ができる
・おくりがながきめられない、
という点にある。
たとえば「おくる」は、
「送る」なのか「送くる」なのか、
どっちがただしいのかわからない。
「送る」がただしい、といったって、
じっさいに「送る」と「送くる」の両方がつかわれていて、
どちらでもいいのが現状だ。
錦織問題は、よみ方がさまざまという点において、
漢字のとりあつかいが、
いかにややこしいかをしめしている。
はじめからひらがなやカタカナ、
あるいはローマ字でかいていたら、
まちがいようがないのに、
漢字をつかうと、いちいち
自分の名字はどうよむのがただしいかを
説明しなければならないなんて
かんがえてみると すごく不思議なはなしだ。
漢字をつかうかぎり、錦織問題はなくならない。
おおくの錦織さんは、まちがってよばれたとしても、
よむほうがまちがっているわけではないのだから、
がんばって訂正しつづけるしかない。