ひさしぶりに2時間のジョギングにでかける。
スイムランのつかれもなんとかとれ、
またはしりたい気もちになってきた。
体調がよくなると、お酒もおいしくなり、
ゆうべ2杯めのジン・トニックをつくったのが
こりないわたしのおろかなところだ。
ふつかよいぎみのさえないコンディションではしる。
1ヶ月のあいだに あたりは秋の風景へとかわり、
ときおりすずしい風がふく。
あすは地区の運動会があり、
ことしから地区の役員をしている関係で
わたしも3つの競技に参加する。
うちひとつは100メートル競争で、
なんでガチンコのレースが地区の運動会に
いきのびているのだろう。
ゆっくりばかりはしっているわたしに、
100メートルの全力疾走なんてできるだろうかと、
なんにちかまえに 本気ではしってみた。
足がからまわりするだけで すごくあぶなっかしい。
おもったようにからだがうごかない。
ケガをしたらたいへんなので、
きょうもジョギングのあとで なん本かダッシュをやってみた。
ジョギングがいいアップになるようで、
回転はあがるものの、それがつづかない。
ムリにとばそうとすると、肉ばなれをおこしそうだ。
100メートルは、いまのわたしにとって
短距離ではないことがよくわかった。
競技でいっしょにはしるひとも、おなじ年代だから、
どうせにたようなコンディションだろう。
80%のちからで さいごまであきらめずにはしりつづけたら、
あんがいゴールちかくで逆転できるかもしれない。
とにかくケガをしないことが、
中年になって運動会に参加するときの
ただしいこころがまえと いましめる。
あすの運動会のために、これまで2回うちあわせがあった。
1回目で選手をえらび、その候補者におねがいする担当をきめる。
2回目は候補者の参加を確認した。
基本的には それぞれの競技について、
地区から参加者をおくりだせるよう、
とにかくあたまかずをそろえるのだけど、
ほかの地区にはまけたくないという
意地もときどき顔をだす。
で、毎年おなじようなひとが 顔をならべることになる。
地区の代表として一部のひとがあつまって選手をえらび、
毎年おなじ顔ぶれが選手として参加する運動会に
そんなに意味があるとはおもえないけど、
よくしらないうちは 軽々しく批判しないでおこう。
本番をむかえ、どんなおどろきにであえるか、たのしみにしたい。
2016年09月10日
2016年09月09日
サンマまでとおくへいこうとしている
秋といえばわたしにとってサンマとクリの季節だ。
何日かまえの天声人語で、
かったサンマが298円もしたと とりあげていた。
たしかに、スーパーでみかけるサンマには、
2匹で500円以上と、しんじられない値段がついている。
これではとても気やすくたべられない。
天声人語によると、中国やほかのアジアの国でも
サンマをたべるようになってきた、という。
世界じゅうのひとがサンマをたべだしたら、
値段があがるのはしかたがない。
いまの時代は、すべてを世界規模で競争しなければならない。
70億人が生きているのだし、
経済力のある中国がかいしめにはしると、
これまでに世界が経験してこなかった状況になり、
たちまちほかの国に影響がでる。
水や空気だって、そのうち
いまみたいには 手にはいらなくなるのではないか。
きょう業務用スーパーにいくと、
サンマが1匹80円でうっていた。
おおいそぎで 夕ごはん用に4匹を袋にいれる。
おおきさとか新鮮さはともかくとして、
とにかく80円にひかれた。
近所のスーパーでもあんがいやすい値段でうっていた。
どこかの港で大量にみずあげされたのだろうか。
シーズンになると あたりまえのように
1匹100円でたべていたのが、いまではむかしばなしみたいだ。
かったサンマは30センチ弱のおおきさで、
あまりあぶらがのっていない。
あぶらをしかずにフライパンでやいたら、
皮が鍋にくっついてしまった。
たべてみると たしかにサンマとはいえ、
秋のサンマとしては いまひとつものたりない。
1匹たべたらお腹がいっぱいになるような、
おおきくてあぶらにのったサンマは、
だんだんと伝説的な貴重品になるのかもしれない。
ずいぶんまえからイワシが高級魚となり、
きょねんくらいからウナギがおかしくなり、
こんどはサンマまでがとおくへいこうとしている。
何日かまえの天声人語で、
かったサンマが298円もしたと とりあげていた。
たしかに、スーパーでみかけるサンマには、
2匹で500円以上と、しんじられない値段がついている。
これではとても気やすくたべられない。
天声人語によると、中国やほかのアジアの国でも
サンマをたべるようになってきた、という。
世界じゅうのひとがサンマをたべだしたら、
値段があがるのはしかたがない。
いまの時代は、すべてを世界規模で競争しなければならない。
70億人が生きているのだし、
経済力のある中国がかいしめにはしると、
これまでに世界が経験してこなかった状況になり、
たちまちほかの国に影響がでる。
水や空気だって、そのうち
いまみたいには 手にはいらなくなるのではないか。
きょう業務用スーパーにいくと、
サンマが1匹80円でうっていた。
おおいそぎで 夕ごはん用に4匹を袋にいれる。
おおきさとか新鮮さはともかくとして、
とにかく80円にひかれた。
近所のスーパーでもあんがいやすい値段でうっていた。
どこかの港で大量にみずあげされたのだろうか。
シーズンになると あたりまえのように
1匹100円でたべていたのが、いまではむかしばなしみたいだ。
かったサンマは30センチ弱のおおきさで、
あまりあぶらがのっていない。
あぶらをしかずにフライパンでやいたら、
皮が鍋にくっついてしまった。
たべてみると たしかにサンマとはいえ、
秋のサンマとしては いまひとつものたりない。
1匹たべたらお腹がいっぱいになるような、
おおきくてあぶらにのったサンマは、
だんだんと伝説的な貴重品になるのかもしれない。
ずいぶんまえからイワシが高級魚となり、
きょねんくらいからウナギがおかしくなり、
こんどはサンマまでがとおくへいこうとしている。
2016年09月08日
おしボタン式信号機がなぜ必要なのか
すこしまえのブログに、
横断歩道でひとがまっていたら、
かならず車がとまるとかっこいい町、
みたいなことをかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/437051618.html?1473338357
仕事でいちにちになんどかとおる道路に
おしボタン式の信号機がつけてあり、
かなりの確率でそれにひっかかる。
わたしは、横断歩道でひとがまっていたら、
だいたい車をとめるけれど、
こんなかたちで 信号機にとめられるのはすきではない。
おしボタンなんてつけず、
横断歩道だけでいいとおもうけど、
それでは車がとまらないので、
おしボタン式の信号機がつけられる。
あるサイトをみたら、おしボタン式信号機が270万円とのっている。
かんがえてみたら、おしボタン式の信号機は
すごくムダな設備だ。
ほんらい なくてもいいのに、
車がとまらないから 信号機という形にして
強制力をもたせたのだろう。
もし自動車の運転手が ちゃんと横断歩道でとまれば、
おしボタン式の信号機なんて必要ない。
自動車の運転手は、自分たちが横断歩道で
歩行者を優先させないから、
おしボタン式の信号機をつけられて、
なんども赤信号でとまらなければならなくなった。
運転マナーのわるさから、自分で自分の首をしめているのだ。
横断歩道で車がとまれば、
おしボタン式の信号機は必要がなくなる。
車を運転するものは、おしボタン式信号機で
ながい時間またなくていいし、
歩行者だって、車がとまればすぐに道をわたれる。
行政だって信号機をつける経費を節約できので
いいことばかりだ。
でも、現実は反対で、これまで信号がなかったところに
おしボタン式の信号機が だんだんとふえていく。
いちどつけられた信号機は、とりはずされることはない。
道路につけられていく信号機は必要悪であり、
信号機のない道路が もっとも合理的である。
横断歩道でひとがまっていたら、
かならず車がとまるとかっこいい町、
みたいなことをかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/437051618.html?1473338357
仕事でいちにちになんどかとおる道路に
おしボタン式の信号機がつけてあり、
かなりの確率でそれにひっかかる。
わたしは、横断歩道でひとがまっていたら、
だいたい車をとめるけれど、
こんなかたちで 信号機にとめられるのはすきではない。
おしボタンなんてつけず、
横断歩道だけでいいとおもうけど、
それでは車がとまらないので、
おしボタン式の信号機がつけられる。
あるサイトをみたら、おしボタン式信号機が270万円とのっている。
かんがえてみたら、おしボタン式の信号機は
すごくムダな設備だ。
ほんらい なくてもいいのに、
車がとまらないから 信号機という形にして
強制力をもたせたのだろう。
もし自動車の運転手が ちゃんと横断歩道でとまれば、
おしボタン式の信号機なんて必要ない。
自動車の運転手は、自分たちが横断歩道で
歩行者を優先させないから、
おしボタン式の信号機をつけられて、
なんども赤信号でとまらなければならなくなった。
運転マナーのわるさから、自分で自分の首をしめているのだ。
横断歩道で車がとまれば、
おしボタン式の信号機は必要がなくなる。
車を運転するものは、おしボタン式信号機で
ながい時間またなくていいし、
歩行者だって、車がとまればすぐに道をわたれる。
行政だって信号機をつける経費を節約できので
いいことばかりだ。
でも、現実は反対で、これまで信号がなかったところに
おしボタン式の信号機が だんだんとふえていく。
いちどつけられた信号機は、とりはずされることはない。
道路につけられていく信号機は必要悪であり、
信号機のない道路が もっとも合理的である。
2016年09月07日
『鷹の爪8 吉田くんのXファイル』
『鷹の爪8 吉田くんのXファイル』
このまえみた『シン・ゴジラ』は、
予告編を10分以上みせられ、
「違法コピーは犯罪です」、のマナームービーがおわって
いよいよ本編が、とおもっていたところに
また予告編がはじまりと、
本編のまえにうんざりしてしまった。
『シン・ゴジラ』のおもしろさはみとめつつも、
映画鑑賞に期待する非日常性としては いただけない。
きょうみた『鷹の爪8』は、予告編がすくないし、
マナームービーのあとすぐ本編がはじまった点を
たかく評価したい。
内容は・・・、テレビ編に毛のはえたようなストーリー、
とおもわせながら、さいごは伏線をじょうずにいかして
それなりにまとめている。
みおわったときのすがすがしい気分は わるくなかった。
ただ、絵はこれまでの劇場版 鷹の爪のなかで、
いちばんひどいのではないか。
有力なスポンサーがつかなかったせいか、
今回はバジェットゲージがつかわれず、
全編をとおしてひくい作画レベルがたもたれている。
劇場版第3作に登場した「博士の動く城」の
めちゃくちゃたかいクオリティが いまとなってはなつかしい。
『鷹の爪8』は、TV版鷹の爪の集大成といえる。
フロッグマン氏の頭にうかんだアイデアを、
そのままちからずくで映像化したら
こんな作品ができあがった、というかんじだ。
10年の経験によって、フロッグマン氏は
それだけのちからを身につけてきた。
いまのフロッグマン氏にとって、
この程度の作品をつくるのは わけなかったのではないか。
総統もレオナルド博士もほとんどでてこないので
「秘密結社鷹の爪」の活躍をめあてのひとは
かたすかしをくいそうだ。
吉田くんに焦点をあてた作品であり、
いまは鷹の爪団の戦闘主任でしかない吉田くんだけど、
ちかい将来に 意外なポジションにつく可能性が示唆されている。
お客さんは、わたしをいれて5人だけだった。
そのうち ひとりの男性は、
上映ちゅうに、セリフのひとこと ひとことに
いちいち大声でわらうのが不自然だった。
コアなファンなのだろう、5人とも エンドロールを
さいごまでみとどけてから席をはなれた。
このまえみた『シン・ゴジラ』は、
予告編を10分以上みせられ、
「違法コピーは犯罪です」、のマナームービーがおわって
いよいよ本編が、とおもっていたところに
また予告編がはじまりと、
本編のまえにうんざりしてしまった。
『シン・ゴジラ』のおもしろさはみとめつつも、
映画鑑賞に期待する非日常性としては いただけない。
きょうみた『鷹の爪8』は、予告編がすくないし、
マナームービーのあとすぐ本編がはじまった点を
たかく評価したい。
内容は・・・、テレビ編に毛のはえたようなストーリー、
とおもわせながら、さいごは伏線をじょうずにいかして
それなりにまとめている。
みおわったときのすがすがしい気分は わるくなかった。
ただ、絵はこれまでの劇場版 鷹の爪のなかで、
いちばんひどいのではないか。
有力なスポンサーがつかなかったせいか、
今回はバジェットゲージがつかわれず、
全編をとおしてひくい作画レベルがたもたれている。
劇場版第3作に登場した「博士の動く城」の
めちゃくちゃたかいクオリティが いまとなってはなつかしい。
『鷹の爪8』は、TV版鷹の爪の集大成といえる。
フロッグマン氏の頭にうかんだアイデアを、
そのままちからずくで映像化したら
こんな作品ができあがった、というかんじだ。
10年の経験によって、フロッグマン氏は
それだけのちからを身につけてきた。
いまのフロッグマン氏にとって、
この程度の作品をつくるのは わけなかったのではないか。
総統もレオナルド博士もほとんどでてこないので
「秘密結社鷹の爪」の活躍をめあてのひとは
かたすかしをくいそうだ。
吉田くんに焦点をあてた作品であり、
いまは鷹の爪団の戦闘主任でしかない吉田くんだけど、
ちかい将来に 意外なポジションにつく可能性が示唆されている。
お客さんは、わたしをいれて5人だけだった。
そのうち ひとりの男性は、
上映ちゅうに、セリフのひとこと ひとことに
いちいち大声でわらうのが不自然だった。
コアなファンなのだろう、5人とも エンドロールを
さいごまでみとどけてから席をはなれた。
2016年09月06日
Wカップアジア最終予選 対タイ戦
Wカップアジア最終予選が なか4日でおこなわれた。
2戦目はアウェーでタイとの試合がくまれる。
日本とタイの両方が1戦目をおとしており、
どうしてもまけられない試合だ。
日本は例によってゴール前のごちゃごちゃ状態から
何本もシュートをはなつけど、クリーンヒットしない。
おしながら きめきれない いつもの日本だ。
それでも前半18分に原口がヘディングで先制点をあげる。
関係ないけど、原口は うちのむすこと
なんとなく雰囲気がにていて、
まえから気になる選手だった。
浦和にいたときは、やたらとキレるのが有名で、
フォワードたるもの これぐらいの気もちがほしいと、
応援していた選手だ。
ドイツでプレーするようになり、ひと皮むけたようで、
きょうはさいごまで せめにも まもりにも
効果的にはしりまわって存在感をみせた。
香川はきょうもしまらない。
フリーでのシュートをはずすし、
味方からのパスをうけそこなうし、
味方の攻撃にかさなってじゃましてしまうし、
なにをやっても ことごとくうらめにでる。
これだけはずすと気のどくになってきた。
本田もからだがおもそうだ。
このふたりが日本の中心選手とは とてもおもえない。
後半30分に浅野が2点目をきめて ひといきつく。
それまで、なんどシュートをうっても
追加点がうまれなかった。
ゴール前に選手がたくさんあつまって、
小学校低学年の授業でサッカーをしているみたいな
けりあいの場面もあり
おもわずわらってしまった。
2点をリードしてもなお、日本は
自分たちのミスからピンチをつくり
バタバタしたプレーがみられた。
タイとしては、まけた気がしないだろう。
結果がもとめられる試合で、
たよりにならない選手がおおいのに がっくりきた。
なんとか試合にはかてたものの、
山づみの課題があきらかとなった2戦目であり、
前回のUAEとの試合もあわせ、
試合はこびにみなおしをもとめたい。
2戦目はアウェーでタイとの試合がくまれる。
日本とタイの両方が1戦目をおとしており、
どうしてもまけられない試合だ。
日本は例によってゴール前のごちゃごちゃ状態から
何本もシュートをはなつけど、クリーンヒットしない。
おしながら きめきれない いつもの日本だ。
それでも前半18分に原口がヘディングで先制点をあげる。
関係ないけど、原口は うちのむすこと
なんとなく雰囲気がにていて、
まえから気になる選手だった。
浦和にいたときは、やたらとキレるのが有名で、
フォワードたるもの これぐらいの気もちがほしいと、
応援していた選手だ。
ドイツでプレーするようになり、ひと皮むけたようで、
きょうはさいごまで せめにも まもりにも
効果的にはしりまわって存在感をみせた。
香川はきょうもしまらない。
フリーでのシュートをはずすし、
味方からのパスをうけそこなうし、
味方の攻撃にかさなってじゃましてしまうし、
なにをやっても ことごとくうらめにでる。
これだけはずすと気のどくになってきた。
本田もからだがおもそうだ。
このふたりが日本の中心選手とは とてもおもえない。
後半30分に浅野が2点目をきめて ひといきつく。
それまで、なんどシュートをうっても
追加点がうまれなかった。
ゴール前に選手がたくさんあつまって、
小学校低学年の授業でサッカーをしているみたいな
けりあいの場面もあり
おもわずわらってしまった。
2点をリードしてもなお、日本は
自分たちのミスからピンチをつくり
バタバタしたプレーがみられた。
タイとしては、まけた気がしないだろう。
結果がもとめられる試合で、
たよりにならない選手がおおいのに がっくりきた。
なんとか試合にはかてたものの、
山づみの課題があきらかとなった2戦目であり、
前回のUAEとの試合もあわせ、
試合はこびにみなおしをもとめたい。
2016年09月05日
「人口15万人ぐらいの町がちょうどいいなと思う」(林雄司)に共感する
デイリーポータルZのwebマスターである林雄司さんが、
個人ブログ「web やぎの目」で
「人口15万人ぐらいの町がちょうどいいなと思う」
とかいている。取材でいった石巻・宇部・鳥取が、
どこも15万から20万人くらいなのだという。
http://yaginome.jp/?p=1157
わたしがすむ松江市も、人口20万ほどで、
たしかに「ちょうどいい」を実感できる。
ちょっと車をはしらせれば すぐ海にでるし、
反対方向にはもちろん山がある。
おまけに県庁所在地なので、
県立図書館とか県立プールなど、
県立の施設が松江市にあつまっていて、たいへんたすかる。
よこにながい島根県の、松江市はかなり西側にあり、
そんなところに県庁所在地があるのは、
県のまんなかや、東にすむひとにしたら
うけいれがたい不平等だろう。
その点、アメリカは、州の中央に州都があるそうで、
そんなところだけは気がくばわれている。
わたしが「人口15万人ぐらいの町がちょうどいい」を実感するのは、
県立プールでおよぐときだ。
50メートルプールをひとりで占領できたり、
夕方の利用者がおおそうな時間にいっても、
25メートルプールのコースをひとりじめできる。
ほかの例では、免許の更新や、パスポートをとるのもすぐだし、
市役所や職安で ながくまたされたりしないし、
保育園の待機児童はすくないし(とおもう)、
自転車にのれば、たいていのところへすぐいける距離だし、
おまけにきれいな女性がおおい。
ネットで市町村の人口をしらべてみると、
東京都の立川市が17万人、
小平市が19万人、三鷹市が18万7000人と、
松江市よりすくないことになっており、にわかにはしんじがたい。
わたしの姉が立川市にすむので、
なんどもいったことがあるけど、
あの町よりも松江市の人口がおおいわけがない。
おおいわけがないのに、統計上そうなっているのは、
もちろん それだけ人口密度がひくいからにすぎない。
立川市がkm2あたり7200人、松江市が360人と、
立川市の1/20しかひとがいないから、
プールのコースをひとりじめできたりするのだ。
肝心なのは、林さんがかいている
ちいさければいいというものではないし
(図書館のない町になんかすみたくない)、
ルミネばかりがめだつ駅前もいやだ。
ちょうどいい規模の町にうまれてよかった。
個人ブログ「web やぎの目」で
「人口15万人ぐらいの町がちょうどいいなと思う」
とかいている。取材でいった石巻・宇部・鳥取が、
どこも15万から20万人くらいなのだという。
http://yaginome.jp/?p=1157
わたしがすむ松江市も、人口20万ほどで、
たしかに「ちょうどいい」を実感できる。
ちょっと車をはしらせれば すぐ海にでるし、
反対方向にはもちろん山がある。
おまけに県庁所在地なので、
県立図書館とか県立プールなど、
県立の施設が松江市にあつまっていて、たいへんたすかる。
よこにながい島根県の、松江市はかなり西側にあり、
そんなところに県庁所在地があるのは、
県のまんなかや、東にすむひとにしたら
うけいれがたい不平等だろう。
その点、アメリカは、州の中央に州都があるそうで、
そんなところだけは気がくばわれている。
わたしが「人口15万人ぐらいの町がちょうどいい」を実感するのは、
県立プールでおよぐときだ。
50メートルプールをひとりで占領できたり、
夕方の利用者がおおそうな時間にいっても、
25メートルプールのコースをひとりじめできる。
ほかの例では、免許の更新や、パスポートをとるのもすぐだし、
市役所や職安で ながくまたされたりしないし、
保育園の待機児童はすくないし(とおもう)、
自転車にのれば、たいていのところへすぐいける距離だし、
おまけにきれいな女性がおおい。
ネットで市町村の人口をしらべてみると、
東京都の立川市が17万人、
小平市が19万人、三鷹市が18万7000人と、
松江市よりすくないことになっており、にわかにはしんじがたい。
わたしの姉が立川市にすむので、
なんどもいったことがあるけど、
あの町よりも松江市の人口がおおいわけがない。
おおいわけがないのに、統計上そうなっているのは、
もちろん それだけ人口密度がひくいからにすぎない。
立川市がkm2あたり7200人、松江市が360人と、
立川市の1/20しかひとがいないから、
プールのコースをひとりじめできたりするのだ。
肝心なのは、林さんがかいている
それより小さいとなにもない感じになるし、もっと人口が多いと駅前にルミネと成城石井とユニクロが現れて興ざめである。という点にある。
ちいさければいいというものではないし
(図書館のない町になんかすみたくない)、
ルミネばかりがめだつ駅前もいやだ。
ちょうどいい規模の町にうまれてよかった。
2016年09月04日
むすこの料理とブログ5周年
大学の夏やすみで8月4日にかえってきたむすこがまだ家にいる。
お客さんじゃないのだから、すこしは はたらいてもらおうと、
きょうの夕ごはんをたのんだ。
ぜんぶまかせると負担がおおきすぎるので、
得意料理だといっていた
麻婆豆腐と鶏肉のてりやきをリクエストする。
むすこはアパートで自炊しているそうで、
外食やおそうざいには ほとんどたよらないらしい。

できあがったのが写真の料理だ。
鶏肉は値段のやすさから胸肉をえらんだという。
やすさにつられて豚モモブロックをかうわたしとよくにている。
たのまれたら まったくいやがらずにつくるのだから、
19歳としてはすごくききわけのいいやつだ。
味は、まずまずといえるレベルにしあがっている。
麻婆豆腐はかんたんそうで あんがい味がきまらない。
わたしがつくるのよりもおいしくできていた。
配偶者がいたら かなりよろこんだだろうけど、
きょうは実家にかえっていてるす。
そんな日に料理をたのんだわたしは
ぜんぜんいいやつじゃないかも。
わたしがブログをかきはじめてから
きょうでちょうど5年たった。
なんとなくかきはじめ、
あんがいつづくのでやめるのがおしくなり、
そのうち10年つづけるのがなんとなくの目標になって
きょうにいたっている。
いいネタがなくて、むりやりかいた日もあるし、
こんなのをつづけても意味ないじゃん、と
けっこうまじめにおもったりしながら
のらりくらりと5年をすごした。
どーでもいいことをテキトーにかく、
が基本方針で、できるだけちからをぬいてかけたらとおもう。
長距離をはしるときは、
半分までくると かなり気がらくになってくる。
ゴールが手のとどくところにちかづいてきたかんじがする。
でも、ブログの場合は、まだ半分かとおもうと
さきのながさのほうにがっくりしてしまう。
それに、たとえ10年つづいたからといって、
それでなにかがかわるわけではなく、
完全に自己満足でしかない。
きょうでおりかえし点のポールを右にまがり、
もうあと半分の距離をはしってゴールをめざすわけだ。
長距離ランナーのはしくれとして、リタイヤはしたくない。
効果的にちからをあたえてくれる エイドステーションが
かえり道には たくさんまっていてくれたらいいけど。
お客さんじゃないのだから、すこしは はたらいてもらおうと、
きょうの夕ごはんをたのんだ。
ぜんぶまかせると負担がおおきすぎるので、
得意料理だといっていた
麻婆豆腐と鶏肉のてりやきをリクエストする。
むすこはアパートで自炊しているそうで、
外食やおそうざいには ほとんどたよらないらしい。

できあがったのが写真の料理だ。
鶏肉は値段のやすさから胸肉をえらんだという。
やすさにつられて豚モモブロックをかうわたしとよくにている。
たのまれたら まったくいやがらずにつくるのだから、
19歳としてはすごくききわけのいいやつだ。
味は、まずまずといえるレベルにしあがっている。
麻婆豆腐はかんたんそうで あんがい味がきまらない。
わたしがつくるのよりもおいしくできていた。
配偶者がいたら かなりよろこんだだろうけど、
きょうは実家にかえっていてるす。
そんな日に料理をたのんだわたしは
ぜんぜんいいやつじゃないかも。
わたしがブログをかきはじめてから
きょうでちょうど5年たった。
なんとなくかきはじめ、
あんがいつづくのでやめるのがおしくなり、
そのうち10年つづけるのがなんとなくの目標になって
きょうにいたっている。
いいネタがなくて、むりやりかいた日もあるし、
こんなのをつづけても意味ないじゃん、と
けっこうまじめにおもったりしながら
のらりくらりと5年をすごした。
どーでもいいことをテキトーにかく、
が基本方針で、できるだけちからをぬいてかけたらとおもう。
長距離をはしるときは、
半分までくると かなり気がらくになってくる。
ゴールが手のとどくところにちかづいてきたかんじがする。
でも、ブログの場合は、まだ半分かとおもうと
さきのながさのほうにがっくりしてしまう。
それに、たとえ10年つづいたからといって、
それでなにかがかわるわけではなく、
完全に自己満足でしかない。
きょうでおりかえし点のポールを右にまがり、
もうあと半分の距離をはしってゴールをめざすわけだ。
長距離ランナーのはしくれとして、リタイヤはしたくない。
効果的にちからをあたえてくれる エイドステーションが
かえり道には たくさんまっていてくれたらいいけど。
2016年09月03日
「我が家の猫が20歳を迎えました」におめでとうをつたえたい
デイリーポータルZに
「我が家の猫が20歳を迎えました」(木村岳人)がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/160831197311_1.htm
ネコの20歳は人間でいうと96歳であり
めったにない ながいきといってよい。
わたしなんかがちょっとなんだけど、
読者を代表して(えらそう)おめでとうをつたえたい。
なにしろ96歳である。
そんなにながいきしてくれるのは、
いっしょにくらすものとして これほどありがたいことはない。
記事には、彼女(キジトラ)とのであいから、
このごろのようすなどが、淡々と記録されている。
日常のひとコマとして、しずかでしあわせな報告だ。
記事には老化と介護についてもおおくふれている。
ほとんどいちにちじゅうねていたり、
老化による幼児退行のようすもしるされている。
歯がよわってきたので、
それまでカリカリをかみくだけなくなり、
ジェル状のフードをまぜて たべやすくしているそうだ。
このごろは食欲がおちたので、輸液して
水分をおぎなうようになっているともある。
これだけ高齢だと、生きているだけでたいしたものなのだから、
いろんな症状がでてきてもあたりまえだ。
写真をみるかぎり、表情はしっかりしているし、
とくにやせてもないので、
もうしばらくは著者といっしょにすごせるだろう。
我が家ののピピは、今月末に15歳の誕生日をむかえる。
2年まえに口内炎をわずらい、
満足にのんだりたべたりができなくなった。
たべられなければ、もうさきはながくないだろうと、
おわかれを覚悟したのに、
いたみにたえながら そのあと2年も生きている。
まさか2年も生きてくれるとはおもわなかった。
突然のおわかれはつらすぎるけど、
もうしっかり介護できたので、
死ぬときがきたら、そのまましずかにみおくりたい。
20歳はさすがにむかえられそうにない。
「我が家の猫が20歳を迎えました」(木村岳人)がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/160831197311_1.htm
ネコの20歳は人間でいうと96歳であり
めったにない ながいきといってよい。
わたしなんかがちょっとなんだけど、
読者を代表して(えらそう)おめでとうをつたえたい。
なにしろ96歳である。
そんなにながいきしてくれるのは、
いっしょにくらすものとして これほどありがたいことはない。
記事には、彼女(キジトラ)とのであいから、
このごろのようすなどが、淡々と記録されている。
日常のひとコマとして、しずかでしあわせな報告だ。
その猫人生は決して順風満帆なものではなく、生後一年ほどで大きな病気を患い生死の境をさまよったこともある。一ヶ月くらい入院していたのだが、その間は ずっと腕に点滴の針を刺していたので、無事完治して退院してからも寝る時には右前脚を前に出したままにする癖が残っていたのを覚えている。
記事には老化と介護についてもおおくふれている。
ほとんどいちにちじゅうねていたり、
老化による幼児退行のようすもしるされている。
歯がよわってきたので、
それまでカリカリをかみくだけなくなり、
ジェル状のフードをまぜて たべやすくしているそうだ。
このごろは食欲がおちたので、輸液して
水分をおぎなうようになっているともある。
これだけ高齢だと、生きているだけでたいしたものなのだから、
いろんな症状がでてきてもあたりまえだ。
写真をみるかぎり、表情はしっかりしているし、
とくにやせてもないので、
もうしばらくは著者といっしょにすごせるだろう。
我が家ののピピは、今月末に15歳の誕生日をむかえる。
2年まえに口内炎をわずらい、
満足にのんだりたべたりができなくなった。
たべられなければ、もうさきはながくないだろうと、
おわかれを覚悟したのに、
いたみにたえながら そのあと2年も生きている。
まさか2年も生きてくれるとはおもわなかった。
突然のおわかれはつらすぎるけど、
もうしっかり介護できたので、
死ぬときがきたら、そのまましずかにみおくりたい。
20歳はさすがにむかえられそうにない。
2016年09月02日
けっきょく縄文時代とはなんなのだ
8月30日の朝日新聞に、
先史学を専門にする山田康弘氏のかんがえ
「『縄文時代』はつくられた幻想にすぎない」
が紹介されている。
なにをもって「縄文時代」とするかは
あんがいとらえようがないらしく、
時期や地域によってかなりちがいがあるという。
1950年代には、縄文時代は
おくれた時代ととらえられていたのにたいし、
70年代には日本の原点として
平等で自然と共生していた ユートピアの時代としてえがかれる。
90年代になると、こんどは平等社会というイメージに
疑問符がなげかけられるようになった。
わたしは縄文時代に自由をイメージしていた。
農耕がすでにはじまっていたし、
海や山からの収穫物にめぐまれ、
いちにち3時間もはたらけば、
たべものにこまらなかった時代。
王様や地主のためにはたらくのではなく、
集落にすむものどおしで協力しあいながら、
農耕や狩猟にたずさわる日々。
わたしもまた、縄文時代に「見たい歴史を見」ていたひとりだ。
いろんなしくみがかっちりできあがっていそうな弥生時代より、
縄文時代は自由にくらすイメージをかきたてられる。
わたしがすきな照葉樹林文化が
縄文時代の西日本に根をおろし、
日本文化の原点となった時代ととらえていた。
山田氏は、縄文時代がつまらない時代だったと
否定しているわけではなく、
かんたんに「おくれていた」「すばらしい時代だった」と
とらえるあやうさを指摘している。
山田氏によると、縄文時代と弥生時代のちがいさえ、
あきらかではないという。
縄文時代は、ひとびとがなにをしていた時代なのだろう。
縄文時代に稲作がおこなわれていたのかどうか。
わかったような気がしていた縄文時代も弥生時代も、
地域と時期によってさまざまというのだから、
けっきょく はっきりとはなにもいえないみたいだ。
ひとによって「見たい歴史を見」てしまうのは当然ではないか。
先史学を専門にする山田康弘氏のかんがえ
「『縄文時代』はつくられた幻想にすぎない」
が紹介されている。
なにをもって「縄文時代」とするかは
あんがいとらえようがないらしく、
時期や地域によってかなりちがいがあるという。
1950年代には、縄文時代は
おくれた時代ととらえられていたのにたいし、
70年代には日本の原点として
平等で自然と共生していた ユートピアの時代としてえがかれる。
90年代になると、こんどは平等社会というイメージに
疑問符がなげかけられるようになった。
縄文のイメージは、考古学的な発見とそれぞれの時代の空気があいまってつくられてきたものです。見たい歴史を見た、いわば日本人の共同幻想だったんです
わたしは縄文時代に自由をイメージしていた。
農耕がすでにはじまっていたし、
海や山からの収穫物にめぐまれ、
いちにち3時間もはたらけば、
たべものにこまらなかった時代。
王様や地主のためにはたらくのではなく、
集落にすむものどおしで協力しあいながら、
農耕や狩猟にたずさわる日々。
わたしもまた、縄文時代に「見たい歴史を見」ていたひとりだ。
いろんなしくみがかっちりできあがっていそうな弥生時代より、
縄文時代は自由にくらすイメージをかきたてられる。
わたしがすきな照葉樹林文化が
縄文時代の西日本に根をおろし、
日本文化の原点となった時代ととらえていた。
山田氏は、縄文時代がつまらない時代だったと
否定しているわけではなく、
かんたんに「おくれていた」「すばらしい時代だった」と
とらえるあやうさを指摘している。
山田氏によると、縄文時代と弥生時代のちがいさえ、
あきらかではないという。
縄文時代は、ひとびとがなにをしていた時代なのだろう。
縄文時代に稲作がおこなわれていたのかどうか。
わかったような気がしていた縄文時代も弥生時代も、
地域と時期によってさまざまというのだから、
けっきょく はっきりとはなにもいえないみたいだ。
ひとによって「見たい歴史を見」てしまうのは当然ではないか。
2016年09月01日
ピリッとしなかったアジア最終予選での日本代表
オリンピックがおわったからといって、
とくにさみしいとはおもわないけど、
サッカーだけは もうすこし日本代表の試合をみたかった。
グループリーグで日本が敗退したせいか、
そのあとはブラジルとドイツの決勝戦まで
サッカーの試合をオリンピックでみられなかった。
4年まえのロンドンオリンピックでは、
あまり期待されなかった日本代表が、
初戦のスペイン戦にかっていきおいにのり、
3位決定戦で韓国にやぶれての4位と、結果をのこした。
リオオリンピックでの日本代表は、
世界とたたかえるチームにそだっていたけれど、
失点がおおすぎたし、運にもみはなされていた。
オーバーエイジ枠でよばれた藤春選手と塩谷選手は、
守備をかためる役割をはたせなかったと、
いろいろ批判されて気のどくだった。
Wカップアジア最終予選がきょうからはじまり、
日本はホームでUAEとの試合がくまれた。
Wカップ予選で縁起のいい埼玉スタジアムに
6万人ちかくのサポーターがあつまる。
ひさしぶりにみるA代表の公式戦。
でも、これがまたピリッとしない。
前半11分といういい時間に本田のヘディングで先制したのに、
そのあとはチャンスをきめきれず、
相手に試合のながれをわたしてしまう。
日本はおしこみながらも じょうずにまもられて、
点がはいらない。
日本がまけるときによくあるながれだ。
けっきょくUAEに逆転されたまま
うまく試合をおわらせられてしまった。
レフリーのフエが「アジア」だったとはいえ、
ホームでかちきれなかったのはいたい。
UAEはしたたかさとうまさをかねそなえており、
技術的にもすぐれた選手がおおかった。
試合がはじまるまえは、日本の選手たちの顔ぶれが
たのもしくみえたのに、
おわってみると いいところをだせない選手がおおかった。
アジアでの予選はむつかしくなると、
おおくの選手がくちにするわりには、
いつもおなじような内容でかちきれない。
オリンピックでの日本選手の活躍で、
スポーツ界における日本のたち位置をしり、
あかるい気もちにさせてくれた。
方向性さえまちがっていなければ、
世界のトップレベルの選手たちと 対等にたたかえる。
陸上の400メートルリレーで、1位になったジャマイカと、
さいごまであらそった映像は衝撃的だった。
あのボルト選手と、日本の選手がきそいあう場面をみれるなんて
おもってもいなかった。
サッカーのオリンピック代表も、
うまくいけばメダルをあらそえるチームだったとおもう。
A代表のこれからの成長に期待したい。
とくにさみしいとはおもわないけど、
サッカーだけは もうすこし日本代表の試合をみたかった。
グループリーグで日本が敗退したせいか、
そのあとはブラジルとドイツの決勝戦まで
サッカーの試合をオリンピックでみられなかった。
4年まえのロンドンオリンピックでは、
あまり期待されなかった日本代表が、
初戦のスペイン戦にかっていきおいにのり、
3位決定戦で韓国にやぶれての4位と、結果をのこした。
リオオリンピックでの日本代表は、
世界とたたかえるチームにそだっていたけれど、
失点がおおすぎたし、運にもみはなされていた。
オーバーエイジ枠でよばれた藤春選手と塩谷選手は、
守備をかためる役割をはたせなかったと、
いろいろ批判されて気のどくだった。
Wカップアジア最終予選がきょうからはじまり、
日本はホームでUAEとの試合がくまれた。
Wカップ予選で縁起のいい埼玉スタジアムに
6万人ちかくのサポーターがあつまる。
ひさしぶりにみるA代表の公式戦。
でも、これがまたピリッとしない。
前半11分といういい時間に本田のヘディングで先制したのに、
そのあとはチャンスをきめきれず、
相手に試合のながれをわたしてしまう。
日本はおしこみながらも じょうずにまもられて、
点がはいらない。
日本がまけるときによくあるながれだ。
けっきょくUAEに逆転されたまま
うまく試合をおわらせられてしまった。
レフリーのフエが「アジア」だったとはいえ、
ホームでかちきれなかったのはいたい。
UAEはしたたかさとうまさをかねそなえており、
技術的にもすぐれた選手がおおかった。
試合がはじまるまえは、日本の選手たちの顔ぶれが
たのもしくみえたのに、
おわってみると いいところをだせない選手がおおかった。
アジアでの予選はむつかしくなると、
おおくの選手がくちにするわりには、
いつもおなじような内容でかちきれない。
オリンピックでの日本選手の活躍で、
スポーツ界における日本のたち位置をしり、
あかるい気もちにさせてくれた。
方向性さえまちがっていなければ、
世界のトップレベルの選手たちと 対等にたたかえる。
陸上の400メートルリレーで、1位になったジャマイカと、
さいごまであらそった映像は衝撃的だった。
あのボルト選手と、日本の選手がきそいあう場面をみれるなんて
おもってもいなかった。
サッカーのオリンピック代表も、
うまくいけばメダルをあらそえるチームだったとおもう。
A代表のこれからの成長に期待したい。