2016年11月02日

生きていながら むこうの世界とこっちをいききしているみたいなピピ

湊かなえさんが朝日新聞のコラムに
「マロンの旅立ち」として
かっていたネコ(マロン)についての
不思議なできごとをかいている。
(マロンが死んで2週間後)玄関のドアを開けたところ、足元に、シュッと猫が体をこすりつけながら通り過ぎる感触がしました。ミル(マロンのむすこ)かと思いましたが、何の姿もありません。

つぎの日の朝、ミルの大パニックがはじまる。
マロンを必死に捜すミルを見て、昨日までは家にいたんだな、と思いました。夜中の、あの感触は、じゃあ行くね、と旅立つマロンの、別れの挨拶だったのかもしれません。

3日間続いたミルパニックも、今ではすっかり落ち着きました。時々、マロンを呼ぶ時の声で鳴いているのを聞くと、旅立った後も、遊びに来てくれているのかな、と嬉しくなります。

いいはなしだなー、とおもいつつ、
わたしもにたような体験をしているのに気づいた。

わたしがいっしょにくらしているピピは、
2年以上まえに口内炎をわずらってから、
ものがたべにくくなり、手でさわると
背骨のギザキザがわかるぐらいにやせてしまった。
もうすぐおわかれだなと覚悟して、
いっしょにすごせるさいごのときを
しっかりこころにやきつけておこうと、
センチメンタルに数ヶ月をすごした。
でも、ピピはあんがいしぶとかった。
ごはんをたべると 口のなかをものすごくいたがって
そこらじゅうをとびまわるのに、
それでもたべるのをあきらめず
生きるのに最低限必要なカロリーをとりつづけた。

腎臓もよわっており、2時間おきにおしっこがでる。
トイレでやってくれたらいいけど、
わざわざトイレにいく気はないようで、
まるまったままの姿勢でおしっこをしてしまう。
15歳と、人間でいえば70歳くらいになり、
いちにち24時間のうち22時間はまるまってすごしている。
ネコをかっているというよりも、
介護の体験をさせてもらっているというか、
生きているネコではなく、
あっちの世界に片足をふみいれている
幽霊みたいなネコとくらしている気がしている。

湊さんちのマロンは、
亡くなって2週間(人間でいうと49日)たったころ
むこう側にいったわけだけど、
ピピは生きているときから、
むこうとこっちをいったりきたりしているみたいだ。
2年前に死んでしまったピピが、
いまもわたしの家にいつづけて、
いたがりながらもごはんをたべたり、
おしっこをたれながしして
わたしがピピをわすれないようにしているのかもしれない。
あるいは、ときどきあちらの世界からあそびにきて、
おしっこをわたしのパジャマの上でやってから、
またむこうへかえっているのだろうか。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする