「悩みのるつぼ」という連載がある。
先週は、
「私はこれまで人とケンカしたことがありません」
という相談がよせられた。
回答者は上野千鶴子さんだ。
へー、このひとはケンカしたことがなんだ、
とかるくよんでいて、
ふと、わたしはちゃんとケンカしながら生きているかと
気になってきた。
ゆずれない一線というものが わたしにはほとんどなく、
おおくの場合「どっちでもいい」とおもってしまう。
むかしは、もうそこしはっきりものがいえたような気がする。
あとさきのことはかんがえず、
そのときの感情に身をまかせたこともあった。
どうしても自分のかんがえをとおしたいと、
あつくならなくなってから どれくらいたつだろう。
感情にまかせたケンカは、
ふつうあまりすすめられないけれど、
それも程度問題であって、まったくゼロというのは
抑圧された精神をかんじてしまう。
わたしは無意識のうちに なにかを我慢しているのだろうか。
みんなそれぞれ事情があるだろうから、と
ものわかりがよすぎるのも よくないかもしれない。
ぞれぞれが自分のすきなやり方で 生きていけばいい。
そのうえで、どうしてもゆずれない点がでてきたら、
相手のかんがえとの調整をはかる。
わたしはたいていそんなスタイルで生きているので、
とくに我慢したり不満をためこんだりはしていないつもりだ。
でも、自信がないので対立をさけたり、
不満はないと 自分をごまかしているのかもしれない。
ケンカするのがこの相談者の目的ではなく、
いかりや不満をどう処理するかにある。
自分だけが我慢しないですむように、
自分のかんがえをはっきり相手につたえていけば、
どうしても対立がうまれやすくなる。
ケンカは必然ではないけれど、さけてはとおれない。
回答者の上野千鶴子さんによると、
「怒る人」と思われているわたしは、そのせいでソンをしたことが一度もありません。イヤな男は避けて通ってくれるし、セクハラに遭う確率も低いです。「穏やかな人」はつけこまれやすい人でもありますよ。
なのだという。
「怒る人」とおもわれてソンをしたことがないのだから、
おこるのを我慢する必要はないことになる。
なんでこんなに大切なことを
これまでだれもおしえてくれなかったのだろう。