今シーズンのJ1リーグは、
名古屋・湘南・福岡の降格がきまった。
最終節である17節がちかづくにつれ、
降格圏にある数チームは、ぜったいにまけられない試合がつづく。
でも、この「ぜったいにまけられない」意識が、
なかなかうまくはたらかない。
ちからがはいりすぎてしまうのか、
やらなければならないプレーができずに、
魔のサイクルにはまったかのように
ずるずると時間だけがすぎて かち点をかせげない。
名古屋など、いったんは降格圏からぬけだせたのに、
そして、さいごの試合にかてばわからなかったのに、
降格がきまっている湘南をあいてにしながら
わざわざ1-3でやぶれ、降格がきまった。
まるでかちたくないかのような試合はこびだ。
「ぜったいにまけられない」意識がからまわりするのは、
これはなにも降格をあらそうチームだけではない。
サッカーにかぎらず おおくのスポーツで
どうしてもまけられない試合、
たとえばかてば優勝とか、
まければ降格とか、
だれかのとむらい試合とか、
だれかの引退試合とかで、
選手が「どうしてもかつ」と
気あいをいれる場面はおおいけど、
気もちだけでかてるほど、スポーツはあまくない。
ましてや誕生日だからゴールをきめたいとか、
チームメイトに子どもがうまれたので
なんとかかたしてやりたい、なんてのは、
ぼんやりとしたねがいにすぎず、
なんのささえにもならない。
サッカーは、気もちのつようほうが
圧倒的に有利だとおもうけど、
ただ「かちたい」では 結果につながりにくい。
というか、そんな気になったときこそがあぶない。
まけるはずのない相手にまけたり、
つまらにミスから失点したり、
気もちがからまわりするだけで、
ぜんぜん相手によせられないとか。
まえによんだはなしで、
歌舞伎かなにかの伝統芸能で、
有名な役者が自分の芸をふりかえったとき、
「きょうはこのあとなにをしてあそぼうかな」
とおもいながらおどった日が、
いちばんいいできだったという。
絶妙にちからがぬけて、
のびやかにえんじられたのだろう。
「ぜったいにまけられない」はだれでもくちにしやすいけど、
「なにをしてあそぼうか」はひとの心理の盲点をついている。
あたまとからだがリラックスしてつながるよう、
スポーツにも とりいれられないだろうか。