『何者』(三浦大輔:監督・2016年・日本)
朝井リョウ原作の作品では、
『桐島、部活やめるってよ』がおもしろかったので、
『何者』もおいかけてみる。
就活がテーマの作品と、あらかじめネタはわかっている。
そこに朝井リョウ氏、そして三浦大輔監督がなにをこめたか。
そういえば、わたしも「就活」をしたものだ。
大学4年生の夏に、大阪のスイミングスクールの試験をうけた。
会社側の担当者として、合否の判断や、
「まことに残念ですが」の通知をおくったこともある。
もっとも、スイミングスクールは ちいさな会社だったので、
『何者』にでてくるような
おおぜいのリクルートスーツの学生には縁がなかった。
採用する側のときは、もっとちいさな事業所なので、
面接といってもおたがいに普段着だった。
たいして熱心に「就活」したわけでもなく、
なかなか「内定」がもらえずに
じわじわあせりはじめる心理状態は理解できない。
ただ、就活がうまくいかなければ、
全人格を否定されたような気がするだろうし、
たとえ第一希望の会社でなくても、
内定をもらえたら 理屈なしでうれしいのはわかる。
ものがたりにでてくる4人の学生は、
それぞれ筋のとおったことをいっているようでも、
じっさいには 行動のともなわない くちさきだけの発言であり、
したしい友人としてふるまいながらも、
お腹のなかはよくわからなかったりする。
冷静な観察者にみえる主人公の二宮拓人は、
ものがたりが終盤にさしかかると、
4人のなかでじつはいちばん問題のある就活者にみえてくる。
他人への拓人の批判は、そのまま自分にふりかかる。
最後の場面で拓人は、
1分間で自分をアピールしてくださいと面接官にうながされ、
とぎれとぎれに自分のことばではなしだす。
就活者がよく口にする 耳ざわりのいいアピールではない。
おもいがあふれてきた拓人は、
1分をこえても はなしをおえられない。
拓人は、演劇にうちこんだギンジとの時間が、
どれだけ意味をもっていたのかをふりかえる。
就活とひきかえに「なかったこと」になどできない 大切な体験であり、
それこそが自分のスタートであったと拓人は気づく。
就活にとりこまれると、しだいに自分をみうしなってゆき、
身もこころも会社にうりわたしてしまいそうになる。
就活のなかで、自分は自分であり、「何者」であるかをしるのが
どれだけたいへんかを この作品はえがいている。
そんな状況だからこそ、ベースとなる 自分は「何者」かを
どうかみうしなわないで、とねがう。
4人とも、ギリギリの心理状態で就活をつづけている。
しだいに自分がなにをしたいのかわからなくなり、
ひとをおもいやる余裕もない。
おいこまれ、あとがなくなってくると、
なりふりかまわず かっこわるさをさらけだすようになる。
かっこわるくしか生きられない。
それでいい。それしかない。