「オトナになった女子たちへ」がすばらしかった。
今、自分の中で
「今やらなくてもいい、ちょっとしたことをやっておく」
が、はやっている。(中略)
大きなラクじゃなくて、小さなラク。たとえば、「履いていく靴を出しておく」みたいなことだ。
いい習慣がついたのだな、と感心してよんでいると、
「ちゃんとしたおばさんになった」というオチがまっている。
さきまわりしてラクをしたがるのは、
かしこくなったというよりも おばさんへの道であり、
ゆくゆくはおばさん化の完成へとつながっていく。
わたしは昔、履く靴も決めないで、早朝、海外にでかけて靴ずれしていた。若いってすごい。でも、そんな頃に戻りたくない。
わかいころは しらないことだらけだ。
なにもしらないからできるし、
なにもしらなくてもこわくない。
それがわかさの特徴であり 特権ともいえる。
わたしにもおぼえがある。
わかいころは さきの心配なんてしないので、
かんたんに仕事をやめた。
なんとかなるだろうとおもっていたし、
たしかになんとかなった。
なんとかなったけど、「わかくてよかった」と
かんたんにはいいきれない。
伊藤さんは「そんな頃に戻りたくない」そうだ。
伊藤さんの記事をよんで気になってきたのは、
おばさんの完成を40代にむかえるのだとしたら、
「老人になった」と気づくのは、
どんな習慣を身につけたときだろう。
老人といっても幅がひろいので、
うっかりしていると、どっぷり老人になっていながら
自分はまだ「おじさん」なのだと
ごまかしてしまうかもしれない。
前期高齢者のうちから、用心しておいたほうがいいような気がする。
わたしが自覚している変化としては、
このごろくつしたをはくのに
無意識で壁によりかかっている。
1500メートルをおよぐと、まえよりも2分おそくなった。
そうした、目にみえる変化だけではなく、
ちいさなラクをするために
なにかさきまわりをするように なっていないだろうか。
それらの工夫を、老化の信号ではなくて、
生活の知恵の獲得とおもいこんでいるのなら いたい。
伊藤さんが「そんな頃に戻りたくない」という裏には、
「ちゃんとしたおばさんになった」ほこりがある。
年齢をかさねただけではなく、さきまわりして、
ちいさなラクをするテクニックも身につけた。
そうなれた自分は、
お金をつまれてもわかいころにもどりたくないほど、
「ちゃんとしたおばさん」なのであり、
伊藤さんは 「ちゃんとしたおばさん」になれた自信がある。
わかさにしがみつきなひとがおおいなかで、
伊藤さんの自覚は すこしさきをいっている。
それができるのも、ちゃんとしたおばさんだからだ。