職場で将来的な事業展開が話題にのぼったとき、
いまのかたちをつづけるだけでも
どれだけたいへんか、というはなしになった。
職員がなんにんかあつまって仕事にとりくむ場合
(会社はたいていそうだ)、
職員や、職員の家族が病気でたおれたら、
仕事はおもわくどおりすすまなくなる。
きょうとおなじ日が、これからもつづいてくれるのが
いちばんありがたい。
スーパーエリートが短期間に集中してちからを発揮するよりも、
あたりまえの職員が、あたりまえに
コツコツと仕事をすすめることが どれだけとうといか。
ずいぶんこころざしのひくいはなしみたいだけど、
「ふつうがえらい」「あたりまえがどれだけたいへんか」
というはなしは、
「がんばらない」がすきなわたしに ぴったりの話題だった。
たいていのことは、ふつうにつづけるだけで
じゅうぶんえらいのではないか。
よく、◯◯はできてあたりまえ、なんていうけど、
そのあたりまえのことでさえ、
つづけるのはあんがいたいへんだ。
1回や2回だけなら、なんてことなくても、
それを毎回かかさずやりのは それなりにちからがいる。
あたりまえのことを、あたりまえにこなせば、
それだけであるていどの仕事をしたといえる。
そんな日をながくつづけたら、
全体としては着実に成果があがってくる。
けっきょく大切なのは、健康でどれだけ仕事にとりくんだかになる。
「生きてるだけで丸もうけ」とだれかがいってたけど、
仕事にしてもそんなかんじだ。
健康なからだで職場にかよい、
あたりまえの仕事をこなすだけでも
8割がたの責任を りっぱにはたしている。
わたしのまいにちは、きわめて平凡 かつたいくつなので、
はなばなしい成果をあげるひとをみると がっかりしがちだ。
このあたりまえな生活に、
もうすこし自信をもってもいいかもしれない。
規則ただしく くらし、仕事にまいにちかよう。
人畜無害で 波風をたてず、あたりさわりのない日々をおくっている。
ただそれだけでも それなりの人生であり、
ふつうがじゅうぶんちからをもつというとらえ方は、
わたしの価値観とかさなり、ストンとおなかにおちた。