2016年12月12日

なぜ日本と中国だけが おわんをもってたべるのか

きのうのブログに
「日本にはスプーンがないので
 おわんにくちをつけてたべる」
という説をそのままうけいれて、
日本(と中国)だけが食事のときに
おわんをもってたべるのは
スプーンがないせいだと かんたんに納得してしまった。
われながらのみこみがはやすぎる。
こんなことでは あっさりサギにひっかかりそうだ。

すこしかんがえてみると、
スプーンがなくてこまるのなら、スプーンにかわるなにかを
つくりだせばいいわけで、
「スプーンがないから」と
「おわんにくちをつけてたべる」は
あくまでも理由のひとつでしかない。
なぜ日本はスプーンなしですませてきたかの
説明がほしいところだ。
なぜ日本(と中国だけ)がおわんを手にもって食事をするのか。

食事をするのにスプーン的な道具がどうしても必要なら、
竹や木をけずっていくらでもつくれる。
「(日本には)スプーンがないから
 おわんにくちをつけてたべる」と
かんたんにきめつけるまえに、
なぜ日本人はスプーンを必要としなかったかを、
不思議におもったほうがいい。
おわんとハシのコンビは完璧であり、
ほかの道具を必要としなかったのだろうか。
そもそも 日本にスプーンなかったから、
というのはほんとうなのか。
日本には「さじ」ということばがあるのだから、
スプーン的なものがいっさい発達しなかったわけではないだろう。

日本と中国にあって韓国にないものはなにか。
ねばりけのあるお米をたべる文化圏では
おわんとハシですべてことたりるので、
スプーンが必要ではなかったのだろうか。
でも、韓国のお米だって 日本ほどではないにしろ、
インディカ米よりもねばりけがある。

わからないことばかりで、
想像でしかものがいえない。
なぜ日本(と中国だけ)がおわんをもってたべるのかは、
けっきょく謎のままだ。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする