「モーセのように海を割る奇跡の写真を撮る方法」
がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/161215198316_1.htm
海をわったといわれるモーセの奇跡を
簡単に再現できるという。
地主氏は、ロスタイムでの奇跡の逆転など、
「世界は奇跡で溢れている」と力説する。
そうか、奇跡はかんたんにおこせるのだと
その気にさせておいて、
道ができたようにみえる海のまんなかをあるきだすと、
とうぜん地主氏はずぶぬれになる。
びっくりするくらい寒かった。寒くて驚いた。冬の海は寒いのだ。奇跡はなんだったのだろう、と思うけれど、奇跡なんて起きないのだ。これを覚えて欲しい。奇跡は起きない、これが教訓である。
「世界は奇跡に溢れている」と はじめははりきっていたのに。
記事のタイトルに、「奇跡の写真を撮る方法」とあるので、
はじめからこたえはあかされていた。
「奇跡の写真」であり、奇跡のように海がわれたとはかいてない。
記事をよむうちに、ただ黒い板を三脚にとりつけて
写真をとったにすぎないのがわかる。
海を割りたい、奇跡の人になりたい、と思ってやったこの写真だったけれど、パッと見は奇跡が起きたように見える。奇跡とはそのようなものなのだ。奇跡ではなく、真の努力で素晴らしい人になるべきだとわかった。
とってつけたようなこのむすびは、
地主氏の本心というよりも、
まとめがいるからかいただけで なんの意味もない。
そもそも、このなんの意味もない「奇跡の写真」を、
地主氏はなぜさむい海につかってまで
記事にしたのだろう。
どうでもよさそうなこの地主氏の記事は、
まったく意味がなく 役にたたないという点において
デイリーポータルZの王道をいくものであり、
ほかのライターたちの おなじように意味のない記事を
わたしはたかく評価する。
きのうのデイリーポータルZには、
水曜どうでしょうの藤村ディレクターが、
デイリーポータルのライターを説教する記事がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/161215198310_1.htm
説教にはもちろんふかい愛がひめられているのだけど、
藤村氏がたびたびくちにする「意味がない」では
デイリーポータルの記事はすくわれない。
「意味がない」「役にたたない」から
デイリーポータルはすばらしいのであり、
おとなたちが知恵をしぼり、
全力でどうでもいいことを記事にしていくすがたに
人類のあかるい未来がみえる。
役には立ってない。けど、世界的にはこういう人類がいないとダメだと思う。あなたたちが死なない世界が一番いいんだろうなと。 渋谷の真ん中で、こんな体たらくなサラリーマンたちが集まって、わりかし笑ってる。まだ日本は平和だな、って思えるよね。
と、藤村氏もほんとうはデイリーポータルの精神をわかっているのだ。
地主氏の記事は、意味のなさにおいて あたまひとつぬけている。