2016年「ライター」記事総集編がのっていた。
よくおぼえている記事もあるし、みおとしていたものもある。
ネッシーあやこ氏の
「それ、迷ってるのなら2個たのんでみよう」は、
http://portal.nifty.com/kiji/160218195759_1.htm
まえによんだ記憶がないけど、
きっとよんだ当時は 設問のふかさに気がつかなかったのだろう。
いまわたしがかかえている問題意識に ぴったりくる記事であり、
自由とはなにかをかんがえさせてくれる。
たとえばスタバのコーヒーとフラペチーノの
どちらにするかまよっているのなら、
両方たのんじゃえば、という提案だ。
よくばりなようでいて、
あんがいおもいつきにくい盲点をついている。
おとながいは、わたしの定義によると、
あるシリーズをぜんぶまとめてかうことであり、
いっぽう「2個たのんでみよう」は
どちらかひとつをえらばなければならないと
おもいこんでいるけど、
ほんとうにわたしたちは「1つだけ」しか選べないのだろうか。
という疑問がベースにあり、
おとながいよりも もうすこしささやかなかいものだ。
わたしたちは、
「二兎追うものは一兎をも得ず」のことわざを
たいしてためさないうちから
リスペクトしすぎているのではないか。
人生はみじかく、のこされた時間はどんどんすくなくなる。
ちまちました選択になやむくらいなら、
両方をえらぶのが あんがいただしいのでは。
AとBしか選択肢がないかとおもっていたとき、
あんがいどちらでもないCが正解という場合がある。
どちらかしかないとおもうから、
かんがえがせまくなるのであり、
がらっと発想をかえると すんなりおちついたりする。
フランスへいくか、タイへいくかなやんでいたけど、
旅行へいかない手があった、というときだ。
ところが、ネッシー氏の記事は、AかBかではなく
AとBの両方をえらぶ手があるというのだから、
欲望への忠実さにわくわくしてくる。
まよいは不自由な精神をあらわしており、
まよいからこころをときはなてば、
そのまま自由へとつながっていく。
もっとも、この企画はたべものでやるから
おもしろいのであり、
たとえばマックエアーの11インチにするか13インチにするか
まよったあげく両方かうのは ただ下品なだけだ。
ネッシー氏がえた教訓は、
「飲食物にならば、二股をかけてもだいじょうぶだ」
である。
両方を注文しながらネッシー氏は
「うわあ、世界を手に入れたぞ、手に入れてしまった!」
とおもったそうだ。
ほんのすこしお金をうわのせするだけで、
世界まで手にいれられるのだから、
わたしもぜひネッシー氏の二股主義をみならいたい。