2016年12月31日

『フロム・ダスク・ティル・ドーン』

『フロム・ダスク・ティル・ドーン』
(ロバート=ロドリゲス:監督・1996年・アメリカ)

タランティーノ作品がすき、としりあいにはなしたら、
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』をおしえてくれた。
監督はちがうひとだけど、
タランティーノがちょこちょこでてくるという。

みてみると、ちょこちょこどころではなかった。
兄弟の強盗犯の弟やくで、かなりいかれた性犯罪者だ。
弟の気もちわるさにくらべたら、
残虐な兄(ジョージ=クルーニー)のほうが、
よっぽどまともな人間におもえてくる。
脚本はタランティーノで、自分がえんじる役を
めちゃくちゃな人間に設定して たのしんでいるみたいだ。
(以下ネタバレあり)

兄弟は にげながらさらに犯行をかさね
トレーラーハウスで旅行する牧師一家をまきこんで
メキシコへにげこんだ。
国境ちかくの店で仲間とまちあわせ、金を山わけする手はずだ。
その店がまたとんでもない店で、
いかがわしさ てんこもりの性風俗のデパートになっている。
兄弟はそこでもあいかわらずむちゃをつづけ
さわぎをひきおこすうちに、
その店全体がバンパイヤの巣窟なのをしる。
そこからはじまる映画の後半は、
前半とまったく雰囲気をかえ、
バンパイヤとのたたかいがえが延々とえがかれる。

牧師(ただしくは元牧師)役がハーヴェイ=カイテルで、
牧師の正義感からか、悪人をまえにしても あんがいつよい。
あのきちんとした仕事をするひと(をえんじるひと)が、
まじめな顔でバンパイヤ退治にのりだして、
即席でつくった十字架をふりまわすのが なんだか気のどくになる。

バンパイヤとのたたかいはきびしく、
けっきょく生きのこったのは
犯罪者兄弟の兄(セス)と、牧師一家の女の子だけだ。
みよりのなくなった女の子は、あろうことか、セスに
「わたしもつれていって」といいだす。
セスはめちゃくちゃな人間だけど、筋をとおすひとでもあり、
女の子のもうしでをことわって、かわりにまとまった金をわたす。
どろぼうにむかって「わたしもつれていって」は、
『カリオストロの城』をおもいださせる。
ラストだけ、ほんのすこしさわやかさをかんじる、
でも全体としてはみおわったあとヘトヘトになる
クセのつよい作品だ。

ランニング仲間に『パルプ・フィクション』をすすめたら、
あの世界にはいれなかった、といわれたことがある。
たしかにみるひとをえらぶ作品だけど、
わたしはだいすきなので その評価はすこし残念だった。
でも、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のあとでは、
そうした感想もよくわかる。
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』は、
おもしろい作品ではあるものの、評価はかなりわかれるだろう。
自分でみた体験にとどめ、ひとにすすめるのはやめておこう。

posted by カルピス at 09:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする