『フロム・ダスク・ティル・ドーン』
(ロバート=ロドリゲス:監督・1996年・アメリカ)
タランティーノ作品がすき、としりあいにはなしたら、
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』をおしえてくれた。
監督はちがうひとだけど、
タランティーノがちょこちょこでてくるという。
みてみると、ちょこちょこどころではなかった。
兄弟の強盗犯の弟やくで、かなりいかれた性犯罪者だ。
弟の気もちわるさにくらべたら、
残虐な兄(ジョージ=クルーニー)のほうが、
よっぽどまともな人間におもえてくる。
脚本はタランティーノで、自分がえんじる役を
めちゃくちゃな人間に設定して たのしんでいるみたいだ。
(以下ネタバレあり)
兄弟は にげながらさらに犯行をかさね
トレーラーハウスで旅行する牧師一家をまきこんで
メキシコへにげこんだ。
国境ちかくの店で仲間とまちあわせ、金を山わけする手はずだ。
その店がまたとんでもない店で、
いかがわしさ てんこもりの性風俗のデパートになっている。
兄弟はそこでもあいかわらずむちゃをつづけ
さわぎをひきおこすうちに、
その店全体がバンパイヤの巣窟なのをしる。
そこからはじまる映画の後半は、
前半とまったく雰囲気をかえ、
バンパイヤとのたたかいがえが延々とえがかれる。
牧師(ただしくは元牧師)役がハーヴェイ=カイテルで、
牧師の正義感からか、悪人をまえにしても あんがいつよい。
あのきちんとした仕事をするひと(をえんじるひと)が、
まじめな顔でバンパイヤ退治にのりだして、
即席でつくった十字架をふりまわすのが なんだか気のどくになる。
バンパイヤとのたたかいはきびしく、
けっきょく生きのこったのは
犯罪者兄弟の兄(セス)と、牧師一家の女の子だけだ。
みよりのなくなった女の子は、あろうことか、セスに
「わたしもつれていって」といいだす。
セスはめちゃくちゃな人間だけど、筋をとおすひとでもあり、
女の子のもうしでをことわって、かわりにまとまった金をわたす。
どろぼうにむかって「わたしもつれていって」は、
『カリオストロの城』をおもいださせる。
ラストだけ、ほんのすこしさわやかさをかんじる、
でも全体としてはみおわったあとヘトヘトになる
クセのつよい作品だ。
ランニング仲間に『パルプ・フィクション』をすすめたら、
あの世界にはいれなかった、といわれたことがある。
たしかにみるひとをえらぶ作品だけど、
わたしはだいすきなので その評価はすこし残念だった。
でも、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のあとでは、
そうした感想もよくわかる。
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』は、
おもしろい作品ではあるものの、評価はかなりわかれるだろう。
自分でみた体験にとどめ、ひとにすすめるのはやめておこう。