2017年01月18日

『書斎の王様』むかしから「書斎」って、あんがいかわらないみたい

『書斎の王様』(「図書」編集部 編・岩波新書)

電車のまちあい室に、100円均一の本としておいてあった。
1985年発行とふるいし、
目次をみると、かいているのは
わたしがしらないひとがほとんどだ。
かなり退屈していたのと、椎名誠さんの文がのっていたので、
あまり期待しないで100円を料金箱にいれる。

ふるい時代の書斎術なんて、まず参考にはならないだろう、
とおもっていたのに、あんがいおもしろくよめる。
むかしもいまも、「書斎」へよせる知的生産者のおもいは
あんがいかわらないのかもしれない。
喫茶店をつかったノマドスタイルや、
図書館を自分の書斎と とらえるかんがえ方が、
この本にもかかれている。
ワープロを中心にすえた書斎づくりだって
すでに報告されている。
紙の本をいかに処理するか、という点はかわらないのだから、
書斎はむかしからほとんど変化していない。
ネットが本格化した現代こそ、
書斎のあり方が根本的にみなおされるのだろう。

おめあての椎名誠さんは、
ひとりの通勤者からまなんだ書斎術を紹介している。
そのひとは、毎朝おなじ電車のおなじ席にすわり、
数センチのでっぱりにシャープペンをおくなど、
せまい座席まわりを 仕事がはかどる完璧な空間にかえていたそうだ。
椎名さんはその通勤者を参考にして、
のりものでの移動ちゅうでも 仕事にとりくめるコツを身につける。

わたしは、たまに電車にのったときなど、
文庫本をひらくのがせいぜいで、
とても仕事にとりくむ気はしない。
毎朝やってくる通勤時間だからこそできる
知的生産というのがあるのだろう。
スマホ時代の通勤者は、電車のなかでどうすごしているのだろう。

ラジオで「クラシックカフェ」をきいていたら、
おおきな仕事をのこした19世紀の大作曲家たちは、
判でおしたようにヨーロッパじゅうを旅行したり、
しずかな田舎町でゆっくりやすみながら
作曲にとりくんでいるのに気づいた。
そうした気分転換が、いい作品づくりにつながったのではないか。
いい作品へのプレッシャーはあっただろうが、
お金もちのパトロンに 支援してもらっていた彼らは、
毎朝きゅうくつな通勤列車にもまれるサラリーマンとは対極の
優雅ななくらしをおくっていたようにみえる。
パトロンはついてないし、個人の資産もないけれど、
わたしだって 旅行しながら作品をのこした
作曲家たちのスタイルのほうがいい。

「書斎」とは、まったくはなしがずれてしまった。
わたしの頭のなかは、19世紀的な時間感覚が支配しており、
分きざみのスケジュール管理になじめそうにない。
大作曲家たちは、どんな書斎で作曲にはげんだのかが気になる。
あんがい旅行こそ、そして田舎での散歩こそが
そのまま作曲に直結していたのではないか。
天才たちに必要だったのは、書斎ではなく気分転換だった。
作曲にむかう気もちになるのが最大の関門で、
いったんそうなれば、完成まで一気につっぱしる。
天才たちの優雅なくらしにあこがれるけど、
知的生産法は、参考にならないかも。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする