まえにこのブログで、角幡さんの探検ものに
ケチをつけたことがある。
なにかおこりそうな気配をふりまいて、
ながいあいだ読者をひっぱっておきながら、
けっきょく肩すかしにおわるからだ。
文章がたくみで、よませるだけに、
さいごまでよんで 結果をしったときにガクッとくる。
デビュー作の『空白の五マイル』は
迫力のある探検記としてみとめるけど、
あとの作品、たとえば『雪男は向こうからやって来た』は
とくに針小棒大の印象がつよい。
角幡さんの文章は、ひとつひとつのセンテンスがながく、
こみいっているようでいて、
前後のつながりがよくかんがえられており、
ことばえらびが適切なせいか とてもわかりやすい。
語彙がほうふで、たいしたことのない内容でも、
なんだか高尚なはなしを よんでいるような気がしてくる。
探検記では よみおえたあとに不満がわいてくるけど、
はじめからエッセイなら、角幡さんの文章力がぞんぶんにいかされる。
あるいは妻は以前のママトモと会うために毎日自転車で四十分かけて落合・高田馬方面の児童館に通わなくてはならなくなったので、その疲れが槍の矛先のようにとがって、横でアザラシのようにゴロゴロしている私に向かってイヌイットみたいに突き刺したくなったのかもしれない。
事実をありのままつたえる探検記やルポルタージュよりも、
エッセイにむいている文体ではないか。
『探検家、40歳の事情』は、探検にまつわるエッセイであり、
エッセイなので 事実にどれだけ主観をまじえ
グチャグチャにこねくりまわしても、おもしろければそれでいい。
この本におさめられたできごとは、
角幡さんでなければ体験できないような
辺境での探検がもとになっている。
どの話題も、角幡さんのたくみな文章力によって
効果的に味つけされており、おもしろくよめる。
探検記よりもエッセイむき、というと、
角幡さんはおもしろくないだろうけど、
めずらしい素材を用意し、たくみな文章力で
コテコテに味つけされた文章は、
いわば読書版のヌーベル・キュイジーヌであり、
娯楽を目的としたよみものとして たかいレベルにたっしている。
エッセイだけでなく、メインの探検記でも、
これぐらいよませてくれないだろうか。