義理の父を近所の神社へ
つれていってほしいと配偶者にたのまれる。
きのう節分だったので、ぜひおまいりしたいらしい。
配偶者の実家は、わたしの家から車で1時間ほどはなれていて、
そうとおくはないとはいえ、わたしはめったにたずねない。
このところ義父は調子がわるいらしく、
できるときに親孝行をしておこうと、
すんなりひきうける。
85歳になる義父は、4年まえに義母をなくし、
ひとりいなか町でくらしている。
義父は 自分の一生をどうふりかえるだろうかと気になった。
わかいころは、山仕事や農業ではたらきづめだったという。
ようやくそだてた2人のむすめは家をでて、
それぞれ家族とくらしている。
義母がなくなったのは4年まえでも、
そのまえから入院や入所型の施設にはいっており、
もうながいあいだ義父はひとりぐらしだ。
わたしの配偶者は長女なので、
できれば家をついでほしかっただろうけど、
わけのわからない男(わたしだ)とくっついてしまった。
結納をせず、まともな結婚式もあげずに
長女をさらっていったわたしにも、
義父はずっとおだやかにせっしてくれる。
ひろい家でのひとりぐらしはさみしそうだ。
冬はかなりさむくなる地方なので、よけいにつらいだろう。
でも、むすめふたりは家族をつれてお盆や正月にかえってくるし、
かわいい孫の顔もみられた。
トータルとしてはしあわせな人生なのだろうか。
わたしの配偶者は、義父をひとり家にのこすのが心配なので、
老人ホームをすすめようとしている。
いくらあたたかくすごせ、ごはんの心配がないといっても、
わたしだったら すみなれた家をはなれたくない。
子どもがむりに入所させようとしたら、絶対に反抗するだろう。
よく家の老人がデイサービスにいきたがらなくて、と
家族の方がたいへんそうにはなされるけど、
自分がその立場だとしたら、
いやがるところへいかされるほうが災難だ。
職場の上司にそんなはなしをもっていくと、
在宅介護をしようとヘルパーでつなぐより、
環境のととのったホームが いい場合もある、といわれた。
ひとりぐらしをのぞむひとだけではないので、
もし本人が気にいるのなら、
たしかにホームという選択も ありかもしれない。
わたしが義父くらいの歳になったときは、
貯金もなく、年金だけではとてもホームにはいれないので、
ひとり家でくらすしかない。
心配すべきは自分の将来のほうかもしれない。
きょうは 義父と神社へでかけたかえりに、
ちかくの温泉で昼ごはんをいっしょにたべた。
気になっていた節分のおまいりができ、義父は満足そうだ。
かえりの車のなかで、
いくら不便ないなかでも、すみなれた家がいい、と
義父がポツリとくちにする。
せっかく85歳までながいきをして、
さいごがのぞまないくらしになれば 義父は不本意だろう。
といって、わたしにできることは ほとんどない。
義父の人生は、どんなかたちでのしめくくりがしわせなのか。