「クールジャパン」で日本のカバンをとりあげていた。
カバンになにか問題があるのか?
番組をみて、カバンほど日本が
孤高の道をあゆんでいるジャンルはあまりないようにおもった。
クールというよりも、純粋にカルチャーショックをうける。
なぜそんなにカバンがいるのか、
外国人には ほんとうにわからないらしい。
荷物にたいするかんがえ方が ぜんぜんちがう。
そもそも、外国の男たちはカバンをもたないのだそうだ。
カバンをもつ男は、よわよわしくみえ、ゲイだとおもわれるという。
まえにこの番組で、トートバッグを肩にかけている男性について、
「ゲイかとおもった」といっていた。
わたしがよくやるもちかたなので、
ちょっとおどろいたものだ。
ゲイがわるいという意味ではなく、
一般的にはそううけとめられる、というのが「常識」らしい。
カバンを背中にまわし、指さきでひっかけるようにもてば
男らしいからOKだという。
ぜんぜんわからない。
女性がヒジにカバンをかけるのも、日本ならではの景色で、
日本以外の国では、肩にかけている。
もっとも、アメリカ人のゲストは、
アメリカでも女らしいひとはやってる、というから
けしてまちがいではないけど、
それをやるのは上流階級のレディだけなのだそうだ。
女性ならだれでも、というのは日本だけだ。
外国人がするから(あるいは しないから)ただしいとは
ぜんぜんおもわないけど、
世界的にみると 日本人だけ特別というのがおもしろい。
男がカバンをもたないのは、どんな起源によるものなのか。
荷物をもたないで、両手をあけておかないと、
なにか不都合な事態をまねきやすかったのだろう。
それだけぶっそうな社会だったのかもしれない。
どこかふかいところで カバンにたいする意識が
はっきりとわかれてしまったみたいだ。
日本は便利さを優先にかんがえ、
ほかの国は荷物をもたない原則を大切にする。
ゲストがいうには、カバンをもって外にでると、
なんでカバンをもっているのか、
まわりが不思議におもい、すぐにたずねられるという。
日本では、会社でつかうものでも
まいにち家にもってかえるし、
なにかがおきたときに こまらないよう
万全の準備をするのが おとならしいふるまいだとおもわれている。
オーストラリア人のゲストは、
パソコンやタブレットをもちあるくのも必要ないといっていた。
なんでそんなものを もってあるかなければならないのか、
ぜんぜんピンとこないらしい。
ランドセルにしても、まわりがもっているから、というのが、
日本ではやっているいちばんの理由では、と
いいにくそうにはなしていた。
わたしは仕事がら、いっしょにあるいているひとが、
きゅうにトイレにいきたくなっても、
そしておもらししてもこまらないように、
リュックにはゴムの手袋とウェットティッシュがはいっているし、
余分のビニール袋をかかさずもっている。
まち時間にたいくつしないよう、文庫本もいれているし、
タオルやらカッパのズボンが用心のためはいっている。
いつ・なにがおきてもいいように、
その日の荷物をいれるまえから
カバンのなかはあるていどうまっている。
もっともらしく「仕事がら」とかいたけれど、
ほんとうは、仕事がからまなくても
わたしは荷物がおおくなりがちな人間だ。
旅行では、期間がみじかくても ながくても、
おなじカバンに おなじような荷物をつめる。
心配性なのだ。
いつも身のまわりに なれしたしんだものがないとおちつかない。
あると便利、というよりも、なければ不安だ。
荷物を極力へらした旅行にわたしはあこがれる。
番組で、カバンをもたないとはなしたオーストラリア人ゲストは、
どんなカバンで旅行しているのだろう。
20代のころネパールでトレッキングしたときは、
20リットルのデイパックで1週間すごした。
寝袋もはぶいたし、もちろんパジャマもいれない。
最小限のきがえと、数冊の文庫本だけだったはずだ。
それでもたいして不便をかんじなかったのだから、
いつのまにか わたしは荷物をもつ人間へとかわったらしい。
カバン、というか もちあるく荷物について、
なにがほんとうに必要なのかをかんがえたい。