ブログ更新1000回目をおいわいしたのが
ついこのまえみたいなのに、もう2000回目がきた。
まことにめでたい。
めでたいけど、なにがかわるわけでもない。
10年連続更新をめざしてかくようになり、
おりかえし点はすぎたものの、
10年目はゴールでないと、なんとなくわかってきた。
テープをくぐったあとも、しこしこかきつづける気がする。
ブログをかきかじめたころは、
死期をさとりつつあるときに ブログをよみかえして、
「そういえば、そんなこともあった」と
なつかしむのだろうとおもっていた。
でも、そのころには きっとすべてをわすれてしまい、
「つまらんことをかくやつがいる」などと、
ポツリとつぶやきそうだ。
2000回目にきたとはいえ、
PVと訪問者数はみごとにかわらない。
自業自得とはこのブログのことで、
記事のタイトルはテキトーだし、SNSにもながしてない。
そもそもブログ名からしてめちゃくちゃなので、
SEO対策からみると 自分からずっこけている自爆ブログだ。
わるいことばかりではないと、つよがりもする。
よまれる数がすくないので、いやなコメントだってこないし、
だれにも遠慮せずにかける。
これもまあひとつのスタイルだと 達観の域にたっした。
これだけよまれないと、
反対に、わたしのブログとは逆のやり方をすれば、
すくなくともこれほどひどいPVにはならないので、
反面教師として参考になるはずだ。
ブログ名と記事のタイトルにキーワードをちりばめ、
内容も、いまふうな話題をとりあげたらいい。
まちがっても、個人的な日記のようなことをかかない。
とつぜん自分の家のネコをとりあげても、
よむひとにとっては「しらんがな」でしかないので要注意だ。
漢字がすくないかき方がよくすすめられているけど、
あまりすくないと かえってよみにくかもしれない。
これはまあ、主義主張からの表記法なので、
こだわりのないひとは、常識的な範囲でひらがなをおおくしたらいい。
まえに、「フルマラソンを完走したらどれだけえばれるか?」
という記事をかいたことがある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/240994889.html
いまは、たとえブログを2000回更新したからといって、
すこしも得意がろうとおもわない。
2000回がどうしたというのだ。
この達観こそが ひとつの成果である(とえばったりして)。
キリストがうまれてから2000年たったのが西暦2000年なのだから、
わたしの記事が2000にたっするまでに、
世界史にかかれるできごとを
いちにちごとにきざんできたともいえる。
1000回ぐらいでは、西暦との関係をぜんぜんかんがえなかったけど、
2000回にちかづくにつれ、
歴史的なできごとや、個人のおもいでが
数字にからんで チラチラするようになった。
「1986」は、わたしが仕事をやめて旅行にでた年だ。
「2000」はミレニアム問題がささやかれて、
水や食糧の備蓄にはげんだりした。
そして、もうすぐ「2017」のことしをこえ、未来へと舞台をうつす。
まことにめでたい。