(東田直樹・角川文庫)
すこしまえにNHK特集「自閉症の君が教えてくれたこと」をみた。
会話ができない東田さんなのに、
しっかりした文章をパソコンにうちこむようすにおどろいた。
重度の自閉症であり、おちつかないと
あたりをピョンピョンとびまわる東田さんが、
パソコンにむかうと 高度に知的な論理をくみたてていく。
この本は、
「いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?」
「自閉症の人はどうして耳をふさぐのですか?」
といった、
「なぜ◯◯なのですか?」という質問にこたえるかたちで
自閉症のひとが どうかんがえ
なににこまっているのかがまとめられている。
わたしは仕事として日常的に
自閉症の方とせっしているけれど、
なぜ◯◯なのか、わからないことばかりだ。
ほんとうに、なぜおなじことをなんどもたずねるのだろう。
ここにあげられた回答は、
東田が自分についてかたったもので、
ほかの自閉症のひとにはあてはまらないかもしれない。
それでも、自閉症の方が この本のように
自分のかんがえをかたってくれたのは、とても参考になる。
どうか、僕たちが努力するのを最後まで手伝って下さい。
僕たちの勉強を手伝ってくれる人は、僕たち以上に忍耐力がいります。その上、どう見ても勉強好きには見えない僕たちの、本当の気持ちを理解できないといけません。
僕たちだって成長したいのです。
など、そばにいてほしい、よりそってほしい、
そっとみまもってほしい、というねがいが
なんどもくりかえしかかれている。
自閉症だから特別な対応が必要なのだけど、
本人によりそい みまもるのは、
どんなひととのかかわりでもかかせない。
おなじことをくりかえしたり、
ピョンピョンとびはねたりする自閉症の方が、
もっと成長したいというねがいをもっているのを、
わたしはまったく想像できずにいた。
東田さんは、質問にこたえながら、
「僕たち」と、自閉症者の代表としておおくをかたっている。
東田さん個人のかんがえなのに、あえて「僕たち」として、
自分では声をあげられない仲間たちのおもいを
代弁しているのではないか。
東田さんがこの本をかいたのは13歳のときで、
13歳の東田さんでなければかけなかった気もちが
素直に表現されているからこそ、貴重な意見だ。
自閉症のかたには、視覚的につたわりやすいよう、
よくカードをつかってスケジュールをしめしたりする。
東田さんは、そうされるのがすきではないという。
なぜかというと、やる内容と時間が記憶に強く残りすぎて、今やっていることが、スケジュールの時間通りに行われているのかどうかが、ずっと気になるからです。
わたしの職場にも、カードをしめすと
その刺激につよくひっぱられてしまい、
うごきにくくなるひとがいる。
また、わかりやすく予定をしらせるのが、
支援者として当然の役わりだとおもい、
たとえば、まえの日に予定をつたえたりすると、
その記憶がつよくのこりすぎて、
ほかの活動に気がまわらないくなるひとがいる。
東田さんがこの本にはっきりかいてくれたから、
自閉症のなかには視覚的な情報に
むかないひとがいるのをしった。
ただ、東田さんが、視覚的な支援を否定されているからといって、
すべての自閉症のかたもおなじとは、かんがえないほうがいい。
ひとによって支援の方法に ちがいがあるだけのはなしだ。
この本のおわりに短編小説「側にいるから」がおさめられている。
東田さんでなければかけない不思議なはなしであり、
13歳がかいたとはおもえないほど ととのった文章だ。
会話ができず、文字をうつのにも
ひとことひとことしぼりだすように
キーボードをたたく東田さんが、
こんな「ふつう」な小説をかけるとは。
いや、13歳の少年なのだから、ほかの子どもたちのなかにも
このようにたくみな小説をかく子がいるだろう。
東田さんは 自閉症ではあるけれど、
内面にはおおくのおもいをかかえている「ふつう」の13歳だ。