2017年02月26日

『自閉症の僕が跳びはねる理由』(東田直樹)

『自閉症の僕が跳びはねる理由』
(東田直樹・角川文庫)

すこしまえにNHK特集「自閉症の君が教えてくれたこと」をみた。
会話ができない東田さんなのに、
しっかりした文章をパソコンにうちこむようすにおどろいた。
重度の自閉症であり、おちつかないと
あたりをピョンピョンとびまわる東田さんが、
パソコンにむかうと 高度に知的な論理をくみたてていく。

この本は、
「いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?」
「自閉症の人はどうして耳をふさぐのですか?」
といった、
「なぜ◯◯なのですか?」という質問にこたえるかたちで
自閉症のひとが どうかんがえ
なににこまっているのかがまとめられている。
わたしは仕事として日常的に
自閉症の方とせっしているけれど、
なぜ◯◯なのか、わからないことばかりだ。
ほんとうに、なぜおなじことをなんどもたずねるのだろう。

ここにあげられた回答は、
東田が自分についてかたったもので、
ほかの自閉症のひとにはあてはまらないかもしれない。
それでも、自閉症の方が この本のように
自分のかんがえをかたってくれたのは、とても参考になる。
どうか、僕たちが努力するのを最後まで手伝って下さい。

僕たちの勉強を手伝ってくれる人は、僕たち以上に忍耐力がいります。その上、どう見ても勉強好きには見えない僕たちの、本当の気持ちを理解できないといけません。
 僕たちだって成長したいのです。

など、そばにいてほしい、よりそってほしい、
そっとみまもってほしい、というねがいが
なんどもくりかえしかかれている。
自閉症だから特別な対応が必要なのだけど、
本人によりそい みまもるのは、
どんなひととのかかわりでもかかせない。
おなじことをくりかえしたり、
ピョンピョンとびはねたりする自閉症の方が、
もっと成長したいというねがいをもっているのを、
わたしはまったく想像できずにいた。

東田さんは、質問にこたえながら、
「僕たち」と、自閉症者の代表としておおくをかたっている。
東田さん個人のかんがえなのに、あえて「僕たち」として、
自分では声をあげられない仲間たちのおもいを
代弁しているのではないか。
東田さんがこの本をかいたのは13歳のときで、
13歳の東田さんでなければかけなかった気もちが
素直に表現されているからこそ、貴重な意見だ。

自閉症のかたには、視覚的につたわりやすいよう、
よくカードをつかってスケジュールをしめしたりする。
東田さんは、そうされるのがすきではないという。
なぜかというと、やる内容と時間が記憶に強く残りすぎて、今やっていることが、スケジュールの時間通りに行われているのかどうかが、ずっと気になるからです。

わたしの職場にも、カードをしめすと
その刺激につよくひっぱられてしまい、
うごきにくくなるひとがいる。
また、わかりやすく予定をしらせるのが、
支援者として当然の役わりだとおもい、
たとえば、まえの日に予定をつたえたりすると、
その記憶がつよくのこりすぎて、
ほかの活動に気がまわらないくなるひとがいる。
東田さんがこの本にはっきりかいてくれたから、
自閉症のなかには視覚的な情報に
むかないひとがいるのをしった。
ただ、東田さんが、視覚的な支援を否定されているからといって、
すべての自閉症のかたもおなじとは、かんがえないほうがいい。
ひとによって支援の方法に ちがいがあるだけのはなしだ。

この本のおわりに短編小説「側にいるから」がおさめられている。
東田さんでなければかけない不思議なはなしであり、
13歳がかいたとはおもえないほど ととのった文章だ。
会話ができず、文字をうつのにも
ひとことひとことしぼりだすように
キーボードをたたく東田さんが、
こんな「ふつう」な小説をかけるとは。
いや、13歳の少年なのだから、ほかの子どもたちのなかにも
このようにたくみな小説をかく子がいるだろう。
東田さんは 自閉症ではあるけれど、
内面にはおおくのおもいをかかえている「ふつう」の13歳だ。

posted by カルピス at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする