2017年03月31日

まよいネコのチラシ

しりあいのハーブショップをたずねたら、
いりぐち ちかくに「まよいネコ」のチラシがおいてあった。
6歳のアメリカンショートヘアで、かわいい写真とともに、
ひとなつっこい、など、ネコの特徴がかきこんである。
「いなくなった日」におどろいた。
3月30日、つまりきのうだ。
きのういなくなったネコをさがすチラシが、
つぎの日すぐに用意され、 あちこちにまかれているのはすごい。
おもわずわらってしまったけど、
いなくなったつぎの日につくられたチラシから、
ものすごく心配されているのがつたわってくる。
ふだんは家のなかでかっているネコで、
なにかのひょうしにそとへでてしまったらしい。
車におどろいたりすると、ネコはダッシュでかけだすので、
家がどこだったか すぐにわからなくなる。
心配されるのはとうぜんだ。
チラシのほかにはSNSにもかきこんだり、
保健所にも連絡をいれられたそうだ。

わたしもいっしょにくらしているネコがいなくなり、
チラシをくばったことがある。
このときは、1週間まったけど もどってこないので、
できることならなんでしようと チラシをつくった。
図書館には、ネコをさがすための本がちゃんとあり、
そのなかにチラシのつくり方ものっていた。
その本によると、いなくなった日をかきいれると、
日数がたったときに、チラシをみたひとが もうだめだろうと、
はじめからきめつけてしまうのでよくない、とかかれていた。
でも、さがすほうの気もちとしては、
日づけの情報もいれて、できるだけリアルなチラシにしたくなる。

わたしのネコは、チラシをみてくれたのか、
2週間ほどしてからかえってきた。
そのあいだ、わたしはかなりうろたえて、
こんなにかなしいおもいをしている人間は
わたししかいないと、2どほど ひどくないたのをおぼえている。
涙をだすと、すごくすがすがしい気もちになるのを
このときはじめてしった。

家族旅行にでるので、配偶者の実家にネコをあづけたたら、
すぐにいなくなってしまったこともある。
このときは、田舎ではよくつかわれている有線で
ネコがいなくなった「ニュース」をながしてもらった。
「目撃者」がすぐに連絡をくださり、
その情報を手がかりにさがしたら、すぐにみつかった。

きょうのチラシにのったアメリカンショートヘアの子が、
ぶじにかいぬしのもとへもどってくるようねがっている。
すべてのネコがしあわせでありますように。

posted by カルピス at 21:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

キャベツはえらい

きのうの朝日新聞に、クックパッドの分析をもとにした
「おうちごはん 毎日どうしてる?」がのった。
食材としては、キャベツがいちばん検索されているという。
もうひとつ キャベツがらみのはなしでは、
しばらくまえの「今日のダーリン」で、
糸井重里さんが、野菜とは、キャベツのことではないか、
と「発見」していた。
「野菜をいっぱい食べなさいね」
 というセリフがあるとき、その野菜とは、
 ほぼ80%くらいがキャベツのことを示しているだろう。

クックパッドで検索1位の実績は、
糸井さんの「野菜=キャベツ説」を裏づけしている。

わたしもキャベツにお世話になっている。
キャベツをいれた野菜いためを まいにちのようにつくるし、
ほかになにも食材がないときでも、
キャベツさえあれば バターでいため
ちょっとしょーゆをたらすだけで、立派な一品となる。
やいても むしても なまでもいいし、
お腹にたまる実力だって かなりたかい。

わかいころ島根の村で1年間の農業研修に参加していたとき、
冬のあいだ ずっと畑が雪におおわれ
なかなか野菜が手にはいらなかった。
そんなとき、豚の飼料用としてそだてられていたキャベツが
わたしたちの野菜不足をすくってくれた。
飼料用だからか やたらとおおきなキャベツで、
どんなにおおざっぱな味かと警戒していたけど、
たべてみると、ふつうのキャベツとまったくかわりがない。
キャベツはどんな料理にいれても それなりにおさまる。
キャベツのえらさをしった はじめての体験となった。

とはいえ、緑黄色野菜がえらいとか、
タマネギは血圧をさげるとかいわれるなかで、
キャベツは その実力のわりに ひくくみられている気がする。
糸井さんが「発見」してくれなかったら、
わたしだって 日本の野菜はキャベツであるという現実が
いつまでも目にはいらなかったにちがいない。
きょねんの秋に、野菜がねあがりしたとき、
キャベツと白菜がたかくてたいへんだった。
キャベツのありがたさが身にしみたので、
いかにも泥縄式だけど 畑にキャベツのタネをまいている。
例によって 無肥料・非耕起のせいか、
芽はでたものの あまりそだたず、
農業研修のときみたいな救世主には ならなかった。
スーパーでかうキャベツだって そこそこおいしいのだから、
畑でつくれば きっと味のこゆいキャベツがたべられるだろう。
タマネギと白菜は むつかしいのであきらめたけど、
失敗にこりず、キャベツはもうすこしねばってみよう。

キャベツのことをかいていたら、
コーンビーフのキャベツいためが きゅうにたべたくなってきた。
とにかくお腹にたまればいいだろうという
なりふりかまわない下品さがすきだ。

posted by カルピス at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

伊藤理佐さんによる日常生活の冒険

毎週金曜日の朝日新聞に、
「オトナになった女子たちへ」のコラムがあり、
伊藤理佐さんと益田ミリさんが交代で記事をかいている。
まえはちがう曜日で、べつのひともまじえた企画だったとおもうけど、
正確な記憶はない。
とにかく、いまは伊藤さんと益田さんのふたりによるコーナーであり、
伊藤理佐さんの回をわたしはたのしみにしている。
とかくと、益田さんのはどうでもいいみたいだけど、
とくにそうした意味はなく、「どちらかというと」というはなしだ。
しかし、おふたりにとったら、どちらに人気があるかは
たいへん気になるところだろう。
たとえ「どちらかというと」のレベルにしても、
自分の記事のほうが「どちらかというと」
よまれてほしいとねがうのは当然だ。

益田さんは、ときどき伊藤さんへのライバル心をちらつかせる。
気になってしかたがないと、正直に胸のうちをあかされる。
伊藤さんは、そうした益田さんへの返答として、
「会わなくてもわかるひと」を先週かいている。
会おうと思えば会えるけど会わなくてもいい人。会ったら楽しいだろうなあ、でも会わなくてもわかる、というか。いつかどこかで会えると、なぜか思っていて、親戚の集まりで「あの人も来るよ」と聞くとホットするような。でも連絡先は知らないみたいな。

それが益田ミリさんなのだそうだ。うまい。
伊藤さんだって、益田さんへのおもいがあるだろうに、
こんなふうにかけるのは 生活者としての
ゆたかな経験をかんじさせる。

かぞえてみると、わたしは伊藤理佐さんの記事を
この3年間でエバーノートに43とっている。
マンガ家としてよりも、おもしろいエッセイとして、
目のつけどころにいつも感心してきた。
身のまわりでおきた なんでもなさそうなことが話題だ。
伊藤さんがはなしをすすめるうちに、
裏にかくされていた ふかい意味にようやく気づく。
人生は、たとえささやかなできごとでも
みかたをかえれば含蓄にみちている。

たとえば、「雪の朝、私は艦長になった」は、
日常生活にとつぜんおとずれる緊張がテーマだ。
雪がつもった日の朝、幼稚園からはおやすみのメールがとどかない。
幼稚園は、やる気だ。
先生たちの「幼稚園、やります」を裏切れない、と思った時には、地球を出発するヤマトの船員のようになってしまった。(中略)
・・・と、このようにですね、雪が降ると刑事っぽくなって、ボスになって艦長になって、船員になってしまう。

ご自分でかかれたさしえには、
防寒着に身をかためた親子とすれちがう伊藤さんが、
雪とたたかう同士として
キリッとあいさつをかわす場面がえがかれている。
雪をイベントにしてしまう きりだしかたが、
雪の朝あるあるで、すごくたのしい。

宮ア駿さんが、作品にとりあげるのは
身のまわり3メートルの範囲でおきたできごと、
となにかでかたっていた。
伊藤さんのエッセイも そんなかんじ。
おおきな問題はあつかわれない。
目のまえでおきている ささやかなあれやこれにも
とりあげかたによって こんな味がかくされていたとは。
ゆるい人間をよそおいながら、伊藤さんは人生の高段者であり、
どんなものでも行間をふかくよみ、
裏にかくされた秘密をあきらかにする。

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2017年03月28日

Wカップアジア最終予選 日本対タイ

得点は4-0なのに、かったよろこびがほとんどない。
試合まえは、ひいてまもると予想されていたタイが、
ずっとせめつづけていた。
前半のはやい段階で2点をいれた日本は、
それで油断したわけではないだろうに、
そのあとまったくうまくいかなくなる。
前半30分からは、ずっとタイが試合をくみたてていた。
ときどき日本が得点をきめるけど、
それ以外の時間はタイがボールをキープする。
なにがどうずれてしまったのか、
日本はパスミスがつづくし、
相手にかんたんにボールをとられてしまう。
はじめは 運のなさがつづいているのだろうとおもってたけど、
タイはどうどうと日本のブロックのまえでボールをまわし、
日本はまるでうばえない。マジでおされていた。
よわい日本とうまいタイ。

後半にはいっても、前半30分からのわるいながれがきれず、
まったくなんの修正がくわわらないまま
おなじような形でかんたんにボールをわたしてしまう。
タイは失点しても あきらめずにせめつづける。
試合にはかち、結果はだしたものの、
これだけよろこびのない試合はめずらしい。
久保の活躍や、香川の復活など、
うれしいニュースは 試合内容にぜんぶけされてしまった。
アジア最終予選は結果がすべてといわれるけど、
これぐらい内容がわるいと そうもいってられないだろう。
4点差でかち、しかも相手を無失点におさえても、
こんなモヤモヤした気もちになるなんて、
日本代表は サポーターをすんなりよろこばしてくれない。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

『真夜中のカーボーイ』キーワードは自由としょぼさ

『真夜中のカーボーイ』
(ジョン=シュレシンジャー:監督・1969年・アメリカ)

図書館にDVDがあったのでかりる。
一般教養として、いちどみなければ、とまえからおもっていた。
以下、ネタバレあり。

成功を夢みてテキサスからニューヨークへでてきたジョー
(ジョン=ボイド)だけど、
おもっていたようにうまくはいかない。
もってきた金がとぼしくなったころ、
町のチンピラ、ラッツォ(ダスティン=ホフマン)にだまされて
すっからかんになる。
どうにもならなくなったジョーは、
ラッツォがくらすスラム街のビルにころがりこみ、
とことんさえないコンビがスタートする。

だめな男のトホホなはなしがわたしはだいすきで、
ふたりの「どうにもならなさ」に胸をうたれる。
ラッツォは 底辺でながく くらしてきたので、
しょぼさが身にしみついている。
町で公衆電話をみかけると、
反射的におつりがのこっていないか かならずたしかめるし、
豪勢なパーティーにまぎれこんでも、
ついサラミをポケットにかくして もってかえろうとする。
電気のないビルでの冬のニューヨークはきびしそうだった。
さむさをしのぐ手だてはコートだけ。
自由でいられる代償は、けして楽なくらしではない

ラッツォのつくる料理がすごくまずそうだ。
ピーマンをいいかげんにナイフでけずっていき、
塩コショーもこれまたテキトーにふりかける。
できあがった豆の煮こみみたいな料理を
ジョーがスプーンでかきまぜると、
邪悪なかたまりがべったりくっついてくる。
とてもたべものにはみえない。

ラッツォは ニューヨークをぬけだしてフロリダへゆき、
ひともうけする夢にしがみついている。
あたたかなフロリダでくつろぎ、
たくさんのひとに得意の料理をふるまう場面をラッツォは妄想する。
だれからもバカにされるニューヨークでのくらしとちがい、
フロリダでは みんなが彼にやさしい。
しかし、正気にもどると、そこは あいかわらず冬のニューヨークで、
さむくて 腹をすかせた現実にひきもどされる。

アメリカン・ニューシネマというと、
体制からはずれて自由にいきるわかものたちをおもいうかべる。
『イージーライダー』みたいに。
『真夜中のカーボーイ』のふたりは、
そんなスマートさとは まるで縁がなく、
どの時代にうまれても けしてうまくはいきられなかったのではないか。
どこまでもトホホなくらしなのに、
この作品をみていると それもまたありかなとおもえるのは、
ふたりとも自分のスタイルをくずさないからだ。
まわりの人間がふたりをどうみようとも、
ジョーとラッツォは、おたがいに理解しあっており、
それだけで満足できた。
トホホなくらしとあわさって、わたしにはとてもしっくりくる作品だ。

posted by カルピス at 22:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹・中央公論新社)

本屋さんへ『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』をかいにいく。
もう発売されているはずなのにみあたらない。
『騎士団長殺し』はいまでも山づみになっているし、
新刊コーナーには、ほかの作家の話題作が
目をひく配置でおかれているのに、この本はみつからない。
島根には、まだものがとどいてないのだろうか。
店内のパソコンで「村上春樹」を検索すると、
38ページのまんなかくらいにちゃんとあった。
本の情報をプリントアウトして しめしてある棚番号にいくと、
翻訳本がならんでいる棚に ひっそりと数冊おかれていた。
予想していたのより、はるかにささやかなあつかいで、
パソコンのたすけをかりなければ、
なかなかみつけられなかっただろう。
村上さんの新刊というと、一大イベントになるかとおもっていたのに、
小説でない本は、ずいぶん地味なあつかいとなる。

構成は、半分くらいが これまでに出版された
翻訳本をふりかえったもので、
のこりの半分は柴田元幸さんとの対談、
「翻訳について語るときに僕たちの語ること」
になっている。
文春新書からだされている『翻訳夜話』のつづきみたいな本だ。

村上さんが手がけた70冊にものぼる翻訳のうち、
わたしがよんだのは20冊ほどだった。
手もとにあるのによんでない本がいくつかあるし、
そもそもわたしはフィッツジェラルドとカーヴァーの
よい読者ではない。
印象にのこっているのは アーヴィングの『熊を放つ』と、
C.D.B.ブライアンの『偉大なるデスリフ』で、
最近の本ではマーセル=セローの『極北』が力作だった。
本文には目をとおさず、訳者あとがきだけをよむときもある。
村上さんのかく解説や訳者あとがきは とてもおもしろいので。

村上さんと柴田さんがはじめてチームをくんだのは
『熊を放つ』のときで、それ以降、
村上さんのよき相棒として柴田さんの存在はおおきい。
村上さんは 翻訳にかぎらず、文章についてなにか指摘されると、
なおすのにためらいがないという。
文章というのは基本的に、直せばなおすほどよくなってくるものなんです。悪くなることはほとんどありません。

自分の文章について ひとになにかいわれると、
まず反発をかんじるわたしとは 人間のできがちがう。
村上さんでさえ ひとの指摘をうけいれるのだからと、
それをよんでから すこしは謙虚にふるまえるようになった。

村上さんは翻訳によって自分が形づくられてきたという。
翻訳というのは一語一語を手で拾い上げていく「究極の精読」なのだ。そういう地道で丁寧な手作業が、そのように費やされた時間が、人に影響を及ぼさずにいられるわけはない。

翻訳についてはなす村上さんは とてもあけっぴろげだ。
翻訳についてかかれた村上さんの本は どれもおもしろい。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

またまた いまさらながら『インストール』(綿矢りさ) 

『インストール』(綿矢りさ・河出文庫)

『蹴りたい背中』がよかったので、
こんどは綿矢さんのデビュー作『インストール』をよんでみる。
これもまたおもしろかった。
文学的なことはわからない。
エンタテインメントとして、
はやくさきをよみたくなるおもしろさ。
いまさらわたしがほめてもしかたないけど、
金原ひとみさんと芥川賞を同時に受賞したときは、
わかくて美人だから話題になったのではなく、
すばらしい才能の出現にまわりがおどろいたのだ。

17歳の女の子が、なんとなく学校にいかなくなり、
親との関係も煮つまっている。
もうどうにもならなくなったとき、
たまたまであった小学生の男の子から、
エロチャットで風俗嬢になりすまし、
ひともうけしようと はなしをもちかけられる。
私、女子高生として、旬は旬なりの決断をくださねばならない。(中略)
「やらせていただきます。」
すんなり言った。口がそう動いた。もういいや。

青春小説に冒険小説のおもしろさがくわわり、
そのうえ なんとこの作品は再生のものがたりだった。
小学生のお母さんに風俗チャットがばれ、
「私」のお母さんも、彼女が学校にいってないと
しばらくまえからしっていた。
ふたりのコンビは30万円をかせいだところで 解消となる。
彼女は小学生の相棒にいった。
「努力しなさいよ。私も学校行くから。何も変われてないけど。」

すべてがぶちこわしになると、
これまでとらわれていたなんやかやがどうでもよくなり、
不思議とつぎのステップへすすむ気もちになっている。
エロチャットがふたりの再生につながるとは、みごとだ。

『蹴りたい背中』をブログにかいたとき、
斎藤美奈子さんの解説がすばらしいと紹介した。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/448031365.html
この本もまた、本編もいいけど、高橋源一郎氏の解説がひかる。
絶賛といっていい内容だ。
綿矢りさは、この「時代」と「日本語」に選ばれたのだ。間違えてはならない。彼女が選んだのではない。だとするなら、彼女は、これからも書き続けなければならないだろう。だってね、そんな作家、他に、いないんだから。

綿矢りさ さんの本にであえたしあわせを
いまさらながら よろこびたい。

posted by カルピス at 16:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

母がもうすこしでサギの被害に

いっしょにくらしている母が、
「サギにあったみたい」と封筒をもって台所にきた。
たくさんの書類がはいっており、
すぐにはなんのことかわからなかったけど、
どうも高額医療費の返還がうけられるからと、
ゆうちょの口座をつくるようにいわれ、
もとめられるままに口座番号や暗証番号をつたえたらしい。
書類のなかには、ゆうちょダイレクトのもうしこみが完了しました、
というおしらせがあった。
口座には、60万円ほどの普通預金があり、
そのほかに定期預金も もっていかれたかもしれないという。
被害金額としては、致命的でないとしても、
だれかがまんまと金をうけとって、
にんまりしているかとおもうとはらがたつ。

母は、よくいえば善意のひとで、
だれかをうたがったりせず、
いわれるままに相手のはなしに共感しがちだ。
サギにかかったら一発だろうと、まえから気にかかっていたけど、
なにも対策をとってこなかった。
85歳になる母は、「だいぶボケてきた」といいながら、
身のまわりのそうじや洗濯は自分でするし、
ひとりで病院へもいける。
サギにそなえるといっても、へんなはなしにはのらないよう、
漠然とした注意ぐらいしか わたしにはできない。
あやしいはなしは固定電話にはいってくるので、
携帯電話だけをもつようにすすめようか、とか
通帳をぜんぶわたしがあずかったほうがいいか、など
これからの対応をかんがえる。

はじめは だまされた母のおろかさにいかりながら、
だんだん母がかわいそうになってきた。
わたしがろくにはなしをきかないので、
へんな電話がかかってきたと、相談をもちかけにくかったのだろう。
むすこといっしょにくらしながら、サギの被害にあうなんて、
せめられるのは、母でははなく むすこのわたしだ。
とにかく郵便局へいって 相談にのってもらうよう母にいう。
「わたしがわるい」といいながら、自分はうごかずに
こうやってぜんぶ母にさせるのだから、
たしかにわたしは よくないむすこにちがいない。

仕事からもどり、郵便局でどういわれたかを母にたずねる。
さいわい 事前にくいとめられて、被害はなかったそうだ。
ゆうちょダイレクトを廃止する手つづきをしてもどってきた。
たくさんあった連絡物は、ぜんぶ郵便局へあずけている。
ひとまず問題は解決し、いい体験になったとありがたくおもう。
でも、やり手のサギにかかったら、
母なんて なんどでも だまされるにきまっている。
サギ被害を根本的にふせぐ、なにかいい方法をしりたい。

posted by カルピス at 11:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

むかしのひとが芸術にお金をかけた心理

旅行で観光地をたずね、お金をかけたりっぱな建物をみると、
雨や風をしのげたら機能としてはじゅうぶんなのに、
なんでこんなに資材や労力をつかったのか 不思議におもえてくる。
お寺や寺院、教会など、ちいさくても用をたしたはずなのに、
世界各地に文化遺産レベルのたてものがある。
文化遺産までいかなくても、技工をこらした建築物は
そこらじゅうにあるといってよい。
どんな欲求のもとに これらはたてられたのか。
アンコールワットの巨大な寺院やピラミッドなど、
機能としてはお墓にすぎないのに、
なぜこんな立派でなければならなかったのか。
そういえば、タージマハルも たしかお墓だ。
お金をかけてでも、自分の存在をみとめさせたいというのが、
人間の潜在的な欲求として あるのだろうか。

音楽や美術にしても、当時のお金もちであるパトロンが、
すぐれた音楽家や芸術家たちにお金をかけて
自由に創作活動ができるよう 支援したからこそ、
いまの世に古典的な名作がのこっている。
大工さんや料理人をやとうのは、実質的なみかえりがあるけど、
音楽家のパトロンになっても、いいおもいができる機会は、
さほどおおくないのでは。
自分のために演奏させようと、有名な作曲家をかこうのは、
当時としては 最高のぜいたくだったのかもしれない。

わたしみたいにケチで貧乏な小市民は、
おおきな建築物で権力をしめしたいという発想はない。
音楽家のパトロンになりたいともおもわないし なれない。
小市民がいくらたくさんいても、
文化遺産はのちの世にのこらなかったはずで、
コツコツ生きる人間とは まったくべつの価値観によって
お金をつかえるひとたちがいたから
りっぱな建物や芸術がのこされている。
あるていどのお金を手にしたとき、
これ以上あってもしょうがないから、
もうかせがなくてもいいや、というかんがえ方と、
あるものはどんどんつかって、
りっぱなものをのこしたい、かこまれたいというおもいは、
おおもとのところで発想がちがっている。
ゼイをつくした建築物をみると、
ためこんだ資本を発散するときの心理が理解できず、
わたしはいつもとまどってしまう。

現代のおおがねもちたちは、
どんなお金のつかい方をしているのかも気になるところだ。
歴史に名がのこるような社会貢献や、
いっけんムダにみえても、ものすごくりっぱな建築物だろうか。
といっても、国境につくる柵ていどでは さみしいけど。

必要にしてじゅうぶん、ということばがわたしはすきで、
自動車だったら中古車でいいし、
家だって新築でなく やすい家をかりてすめばいい。

ということをかいていると、
なんとなく演歌の歌詞があたまにうかんできた。
お酒はぬるめの燗がいい
さかなはあぶったイカでいい

わたしは演歌がきらいなのに、
からだにしみついている価値観はあんがい演歌なのかも。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子)サポーターは犬なので、飼い主をえらべない

朝日新聞の日曜日に連載されている
津村記久子氏の『ディス・イズ・ザ・デイ』は、
サッカーの2部リーグを舞台に、
サポーターのよろこびやかなしみがかかれている。
第2話の「若松家ダービ」にでてくる家族は、
ずっと家族全員で あるチームを応援してきたのに、
最近 むすこが他のチームの試合にでかけるようになった。
妙なたとえだけれども、自分たちが犬だとしたら、クラブは飼い主のようなものなのかもしれない、と供子は思った。犬は飼い主を選べない。圭太は真の泉大津のサポーターではなかったということだろう。そしてこれからは、琵琶湖と苦楽と共にしていくのだろう。

わたしはサッカーがだいすきだけど、
特定のチームにつよくこころをかたむける
いわゆるサポーターではない。
代表戦を中心に、J1にいくつかある すきなチームの試合を
そこそこたのしみにしている程度だ。
Jリーグでは、浦和レッズのサポーターが熱狂的な応援で有名で、
埼玉スタジアムを赤色にそめ、おおきな旗がそこらじゅうでふられる。
あまりにも猛々しいエネルギーにみちており、背中がゾクッとする。
レッズサポーターであるweb本の雑誌の杉江さんは、
「帰ってきた炎の営業日誌」に
ときどきレッズサポーターとしての
よろこびよりもつらさのおおい生活のぞかせている。
レッズがまけた試合は完全に自分をみうしなってしまい、
家族でもレッズにからむ発言はタブーになるという。
週末のたびに苦しみを植えつけられ、
もはや生きる気力が湧いてこない。
私たち浦和レッズはいったいどこへ向かっているのだろうか。(中略)
吐きそうになるほど、最悪のシーズンが続く。

いくらすきだとはいえ、特定のチームに
ここまでこころをとらわれてしまうのが
わたしには理解できなかった。

津村記久子氏の「犬は飼い主を選べない」は、
まったく予想外の角度からきりこんでいる。
そして、きっとこの分析はただしい。
サポーターがチームをえらぶのではなかった。
犬として生まれたサポーターは、
飼い主が目のまえにあらわれると、
そのひとからのがれられない。

『ディス・イズ・ザ・デイ』に登場する あるサポーターは、
自分のチームがリードをうばうと おもわずつぶやいた。
どんだけおもんないサッカーをしてもええから、このまま逃げ切るんやで

サポーターはたいへんだ。
どんなにつらくても、サポーターでいるしかない。

posted by カルピス at 06:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

NHK-FMの「”失恋ソング”三昧」のラストがなんだかへんだった

きのうはNHK-FMで「きょうは一日”失恋ソング”三昧」として、
10時間つづけて失恋ソングをながしていた。
有働由美子アナウンサーが進行役をつとめ、
柏原芳恵・福山雅治・牧瀬里穂などのゲストから
失恋のはなしをひきだしながら
おもいでとなっている失恋ソングをおしえてもらう。
みんな恋愛や失恋のはなしがだいすきみたいで、
美形の彼らが そんなに失恋してるとはおもえないのに、
豊富な経験をかたってくれる。
10時間で62曲の「失恋ソング」がながされた。
ひとりあそびがおおかったわたしには、
これといった失恋ソングがとくになく、
有働さんとゲストの失恋(というか恋愛)ばなしに
これがおとなの恋愛なのかと おどろいた。
なかにひとりぐらい、恋愛から距離をおくひとが
ゲストにいたらおもしろかったのでは。
といっても、あんまりいろんな意見がとびかうと、
この番組むけの話題にならないので、
しかたのないところかもしれない。

さいごに3役の発表があり、
大賞には中島みゆきの『うらみ・ます』がえらばれた。
恋愛にうといわたしにも、この大賞はあてられた。
失恋をうたったうたが いくらたくさんあるといっても、
『うらみ・ます』のように、
正面きって相手を「うらみます」とやる曲は あんがいすくない。
『うらみ・ます』の迫力は別格だった。

番組のおわかれは、この『うらみ・ます』をききながら、
10時間をふりかえる、という場面だったのに、
なんだかへんにバタバタしていた。
この曲を大賞にえらんだのはまずかったかな、
みたいなやりとりがあり、
いきなり『春なのに』へBGMがかわった。
NHKと『うらみ・ます』には、なにか因縁があるのでは、
とかんぐってしまうへんなまくぎれだった。

posted by カルピス at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

『フィリピン』(井手穣治) すぐれた入門書としておすすめ

『フィリピン』(井手穣治・中公新書)

セブ島へ旅行したのがきっかけで、フィリピンへの関心がたかまった。
ガイドブックによる情報だけでなく、
もっとつっこんだフィリピンの概況をしりたくて
目についたこの本をもとめる。
自分でいうのはなんだけど、
旅行へいった地域について、日本にもどってからでも
しろうとするのは たいへんいいこころがけだ。

よんだ、といっても、ものすごく大雑把な読書で、
著者の井手穣治氏にもうしわけないレベルでしかない。
さいわい、この本はフィリピンの入門書としてよくまとめられており、
フィリピンにくらいわたしでも おもしろくよめた。
章だては、

・「アジアの病人」からの脱却
・高度成長の源泉
・飛躍を継続するための課題
・植民地時代の負の遺産
・フィリピン政治の実情とゆくえ
・地政学でみるフィリピン、そして日本

となっており、この一冊でフィリピンの歴史と現状、
そして将来の展望が ざっとつかめるようになっている。

ほんの4泊5日にすぎないセブ島旅だったけど、
・英語がよくつうじる
・どこへいってもひとがたくさんいる
・スペイン植民地時代の影響
という印象をもった。
英語については、ホテルなどの観光関係につくひとだけではなく、
安食堂や町の小売店でもふつうにはなされており、
外国からの投資をひきよせる フィリピンの魅力となっている。
ひとのおおさについては、「人口ボーナス」の恩恵として
フィリピンの将来性とつよくむすびついている。
わたしがなんとなくかんじた印象について、
そのどれもが、本書にはとりあげられている。
旅行者のいだく第一印象は、あんがいはずれていないようで、
じっさいに現地へいってみる大切さをかんじる。

フィリピンについてのジョークで、
どこかの国の政治家が、わたしだったら◯年で
自分の国を先進国なみに発展させる、といったところ、
フィリピンの政治家は、
「わたしなら◯年で電気のない時代へあともどりさせる」
と豪語したはなしを きいたことがある
(もちろんジョークだろうけど)。
クーデターをおこした軍人への処罰が、
うでたてふせ◯回、という小話も どこかでよんだ。
フィリピンらしいゆるさをかんじるので 記憶にのこっている。
そんなふうに、フィリピンといえば、
まずしさや たびかさなる革命をイメージしやすかった。
マルコス大統領をたおした革命は、
日本でもおおきくとりあげられたけど、
そのあとも「アジアの病人」として とりのこされてきた。

2016年にドゥテルテ政権がうまれ、
アメリカにたいしてつよ気の発言が関心をあつめている。
フィリピンの魅力をしったものとして、
フィリピンのうごきに目がはなせなくなった。
本書は、フィリピンのこれまでとこれからについて、
目くばりのいきとどいた、またとない入門書となっている。
セブ島旅行でスタートした わたしとフィリピンとの関係は、
本書により、もう一歩さきへすすめそうだ。

posted by カルピス at 09:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

人生は、「うまくいかないから面白い」のかも

デイリーポータルZが新人賞をつのるにあたり、
ライターの仕事をイメージしてもらえたらと、
「記事を書く人生とは」について、
専属ライターにインタビューしている。
そのなかのひとつ、編集部の石川さんと、
ライターの小堺さんとのやりとりがおもしろかった。
http://portal.nifty.com/kiji/170314199030_2.htm
石川:僕も、ライターとか編集とかやりだしてから、
   失敗したりうまくいかないのも面白いなーと思って。
   それがヘボコンにつながりました
小堺:それって素敵ですよね
   うまくいかなくてもいい、って
石川:なんかうまくいかなくてもがっかりしなくてもいいなと思って。
   面白く書けるぞっていう
小堺:うまくいきすぎると、逆に焦ることありますよね
石川:あ、そうそう。ちゃんとできると書くことないんですよね
小堺:そう、うまくいかないから面白い
   人生と一緒ですね

こうなると、ふつううまくいくようにめざすのが、
かえって不思議におもえてくる。
うまくいくのは なぜいいことなのか。
うまくいくと、なにかいいことがあるのか。

もちろん、はじめからうまくいかないのをめざすのではない。
ある目標にむけて、自分なりに全力をつくすのだけど、
その結果が かりにうまくいかなくても 大丈夫なのだ。
うまくいかなくても どうってことないとおもえたら
なにごとも、あまりためらわないで 第一歩をふみだせる。

人生の目的とはなにか。
自分がやりたいことを実行するのが、
人生の目的(のひとつ)だとわたしはおもう。
うまくいけば、にっこりわらって死ねるのでは。
うまくいかなくてもいいけど。

posted by カルピス at 20:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

RCサクセションの『雨あがりの夜空に』をききくらべる

ユーチューブでいくつかの『雨あがりの夜空に』をきいた。
コンサートやコラボのようすがアップされている。
なんだかんだいっても清志郎といえばこの曲にとどめをさす、
みたいな代表曲であり、わたしもだいすきだ。

 こんなこといつまでも ながくはつづかない
 いいかげんあしたのこと かんがえたほうがいい
 どうしたんだ Hey Hey Baby
 おまえまでそんなこというの
 いつものようにきめて ぶっとばそうぜ

「おまえまでそんなこというの」がなかせる。
ききくらべてみると、
「キング・オブ・ロック」なんてもちあげられるまえの、
すなわちRCのころの清志郎がだんぜんひかっている。
おおくのひとにみとめられる偉大なひと、ではなく、
とんがっていて、なにをやりだすかわからない
あぶなげなキヨシローだ。

歌詞がけっこうめちゃくちゃで、
「雨あがりの夜空に」かがやくのが、
ダイヤモンドなのかジンライムなのか さだまらない。
清志郎がテキトーにうたって バックがそれにあわせる。
ときには とばされる歌詞もあるし、
ごちゃまぜになったりもする。
コンサートだから、というより清志郎だから なんでもありだ。

曲がはじまるまえに清志郎がいった。
 このあとバリバリにもりあがって
 日本のわかいやつらは行儀がいいなって
 いわれないようにしようぜ!

愛しあってるかい!、だけじゃなく、
行儀のわるさも 清志郎はちゃんとよびかけている。

活動が有名になっていくと、おおくのひとがもちあげはじめる。
もちあげられたから かわるような清志郎じゃないけど、
行儀のわるい清志郎だって サイコーにいかしている。
清志郎をしたうミュージシャンがおおいのは、
たかい音楽性からしかたがないことなのだろう。
でも、まわりの評価なんて ぜんぜん気にとめず、
すきなようにうたっていた
RC時代の清志郎を わすれてほしくない。

posted by カルピス at 20:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

スマホの多機能におどろく

カシオのランニング用腕時計をかった。37%オフで2030円。
ランニング用といっても、
ストップウォッチとラップがとれるくらいの
シンプルな機能しかない。
歩幅をセットすると、はしった距離がわかるそうだけど、
めんどくさいのでやらない。
ガーミン社の時計が、走行距離・ペース・時間を
すっきりした画面でおしえてくれるのにくらべると、
おもちゃみたいなランニングウォッチだ。
アップルウォッチとは くらべる気にもならない。

それでも、ストップウォッチとして
日常のうごきをはかってみるとおもしろい。
朝の歯みがきは5分、夜だとていねいにみがくので8分。
ランニングのあとのシャワーは10分で、
ヒンズースクワット300回が6分30秒。
こうやって活動時間を把握すれば、タスク管理まであともう一歩だ。
やらないけど。
わたしにとってのランニングウォッチは、
ストップウォッチ機能がついていればそれでよく、
あと できれば 外気温がわかったら、とおもう。
はしるときに温度をしるのは大切な情報だし、
旅行にいったときなど、
いまの温度(できれば湿度も)がわかると
日記がぐっと具体的になる。
ただ「あつい」と感想をのべるよりも、
じっさいの温度をかいたほうがずっといい。
アップルウォッチには温度表示もついているので感心していたら、
カシオからも温度計つきの腕時計がでていた。
わたしがしらないだけで、世界はどんどん進歩している。
とおもったら、スマホのアプリにも温度計があった。
わたしはスマホをほとんど電話だけにつかっているので、
時代のながれに ぜんぜんついていけてないみたいだ。

もうひとつ最近しったのは、グーグル翻訳のかしこさで、
なんでも翻訳してくれる能力に、ほんとうにおどろいた。
音声入力の精度がかなりたかく、旅行でもじゅうぶんつかえそうだ。
英語だけでなく、100以上のことばをあつかっており、
そのうちのおおくは音声で入力できる。
カメラでスキャンすれば、活字も翻訳してくれる。
これが無料でつかえるとは、しんじられない。

5年くらいまえの研修会で、
これからは機械が翻訳してくれるようになるでしょう、と
講師のかたが 雑談としてはなされたとき、
わたしは ほんとうにそんな時代がくるのだろうかと うたがった。
ドラえもんじゃないんだから、つかいものになる翻訳機が
かんたんに開発されるわけがない。
できたとしても たかすぎて、わたしにはかえないにきまっている。
それがいま、わたしの目のまえにある。すごい。

posted by カルピス at 18:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | スマホ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

いまさらながら『蹴りたい背中』(綿矢りさ)

『蹴りたい背中』(綿矢りさ・河出文庫)

いまさらながらの『蹴りたい背中』。
金原ひとみさんとの芥川賞ダブル受賞が
おおきな「事件」だったせいか、なんとなく手をだせずにいた。
朝日新聞に連載された『わたしをくいとめて』をよんでから、
綿矢りささんが気になってきた。

わたしがいうまでもないけれど、とてもうまくかかれている。
わかくなければかけない高校生活を、
綿矢さんならではの世界観で形づくる。
経験豊富な作家をおもわせる構成力があり、
なによりも、おもしろくよませる。
河出文庫の解説は、斎藤美奈子さんによるもので、
出版された2007年当時から別格のあつかいだったのがわかる
(そりゃそうだ。「事件」だったのだから)。

教室で孤立している生徒のはなしは、これまでになんどかよんだ。
この小説の「彼女」は、クラスメートにいじめられているのではなく、
自分から彼らをとおざけている。
そこらへんの分析は、斎藤さんが解説でじょうずにときあかしている。
すこし紹介すると、
「『青春』が苦手な」青春小説、
という斎藤さんのとらえ方が、中心人物のふたりにぴったりだ。
本文もいいけど、解説がまたすばらしく、
一冊まるごとでたのしめる。
国語のテキストとして おすすめしたい。

「web本の雑誌」の「作家の読書道」によると、
綿矢さんは小学生のころから
たくさんの本をよんでいる。
すきな作品は、くりかえしなんどもよむ。
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi08.html
吉本ばななさんの「キッチン」は小学生以来、数え切れないくらい再読しました。これは私の中でも最多再読記録かも。ほんとに何度読んだかわからない。もう暗誦できるくらいです。

たくさん本をよんできたひとだけが
すぐれた文章をかける。

『蹴りたい背中』だなんて、
かわったタイトルだとおもっていたけど、
よみおえると、これ以上のタイトルはない。
にな川くんは、卒業するまでに
あと何回くらい背中をけられるのだろう。

posted by カルピス at 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

村上作品のようなかいもので 夕ごはんをつくりたい

我が家は夕ごはんをわたしと配偶者が交代でつくっている。
おたがいの勤務表をみて、都合のつくほうが夕ごはんをうけもつ。
月に15〜20回はわたしがつくるので、
できぐあいについてこまかいことをいわなければ、
わるくないパートナーだと 自分ではおもっている。
夕ごはんをつくる日のかいものは、
あらかじめメニューがきまっているときもあるけど、
スーパーにならんでいる商品をみながら
なんとなく 献立案がまとまっていくときもおおい。
いずれにしても、夕ごはんをつくるたびにかいものをする。

かしこい主婦は、こんな非効率な家事をしないかもしれない。
1週間の献立をきめ、それにそってかいものをすませておくと、
夕ごはんをつくるたびに スーパーへでかけなくてもすむ。
わたしにはとてもそんなまねはできないので、
あまり上等でない主夫と わりきっていた。

なににかいてあったかわすれたけど、
まとめてかいものするのは、合理的にみえて、
それはそれでストレスなのだそうだ。
材料があまらないように なにかと気をつかうし、
計画にそって材料をつかっていくのは
自由に料理をするたのしみがない。
そのひとは、けっきょく食事をつくるたびに
かいものにでかけるようになり、
そっちのほうがずっと気らくなのにおどろいていた。

村上春樹さんの小説には、かいものの場面がときどきでてくる。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』では、
駅の近くのスーパーマーケットで食料品を手あたり次第に買いこみ、それから酒屋に寄って赤ワインと炭酸水とオレンジ・ジュースを買った。

とある。
酒屋でなければ、アルコール飲料をかえなかった時代の小説、
ということはこのさいどうでもよく、
肝心なのは、献立をきめたり、かいものリストをつくるのではなく、
「手あたり次第」にかうところだ。
てきとうにかっておいて、
あとは冷蔵庫にはいっている材料でやりくりする。
のこりがすくなくなれば、つくるメニューはおのずとかぎられるし、
ときには 「パン屋再襲撃」のときみたいに、
なにもつくる材料がなくて、
しめったクッキーを2枚ずつわけあったりする。
村上作品のかいものと料理は、いつもこんなかんじだ。
たべたくなった料理を 冷蔵庫にあるものでつくる。
ありあわせの材料で、まにあわせる。
ないからといって わざわざかいにでかけない。

1週間ぶんの献立をきめ、
それにそったかいものなんて、わたしにはとてもできないと
はなからあきらめていた。
かといって、毎回かいものするのも時間のむだだ。
できれば村上さんの小説みたいに、
手あたりしだいに材料をかいこんでおき、
のこされた材料をみながら テキトーにつくりたい。
いまはまだ、家族のために夕ごはんを用意しているし、
配偶者と交代でつくっているうちは、
自分だけのスタイルはもちこめない。
台所にふたりが共存できない原則をかみしめる。

posted by カルピス at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月14日

松本圭司氏の「揚げ物に油をかけると、すっげーウマイい」に共感する

デイリーポータルZに松本圭司氏の
「揚げ物に油をかけると、すっげーウマイい」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/170314199029_1.htm
油をひかえましょう、というご時世からは
しんじられない大胆な記事だけど、
わたしはすんなり共感できた。
このごろのわたしは、つねに人類200万年、
ホモ・サピエンスからかぞえても、
20万年の歴史がいつも頭にある。
炭水化物をぞんぶんにとりいれられるようになってから、
たかだか数十年しかたっていない人類は、
これまで 穀物よりも、油にたよってカロリーを摂取してきたはずだ。
からだのしくみだって 油をいかせるよう つくられているにちがいない。

松本氏は、チーズやポテチにオリーブオイル、
カラムーチョにはラー油、あげせんにごま油、
ソフトサラダにこめ油をかけていく。
ヤケクソで油まみれにするのではなく、
そうしたほうがよりおいしいからだ。
これまで、油で揚げたものは油を切るのが当たり前で、さらに油をかけるなんて発想はありませんでした。
僕はなんてつまらない常識アニマルだったのでしょう。
しかしてポテチに油をかけるとすごいおいしさ。
これは、開けてはいけない扉を開けてしまったのかもしれません。そしてもう後戻りはできない。

僕は油を誤解していました。
油は揚げたり焼いたりするときの補助的素材ではなく、それ自体が調味料だったのです。

と、松本氏は油の本質を喝破している。
圧巻は、スーパーでかってきたコロッケとアジフライに
油をかけて いきかえらせる料理法だ。
夜おそくなり、やすくなったフライものをスーパーでかってきて、
キッチンペーパーにくるみ、ひとばん油をすわせる。
油をぬいてかるくするとみせかけて、
豚バラからとりだしたラードを、そのフライものにたっぷりかける。
おもてだけでなく、裏側にも。
いったん油をぬきながら、あらためてギトギトの油をすわせる
究極の料理法だ。すごくおいしそう。

すこしまえの「世界入りにくい居酒屋」で
バケットにオリーブオイルをたらしてたべているおじさんがでてきた。
そのときは、すこしかわったオヤジだとおもったけど、
かんがえてみると、パンにバターをぬるのだから、
バケットにオリーブオイルをたさして おいしくないはずがない。
そして このごろは、わたしも似たようなやり方でごはんをたべている。
バターごはんだ。
さいわいわたしはカロリーを気にしなくてもいい体型なので、
あつあつのごはんにたっぷりバターをのせる。
バターはかなり塩分をふくんでおり、
しょーゆをかけなくてもじゅうぶんうまい。
動脈硬化やコレステロールが心配なひとは、
動物性脂肪をひかえましょう、なんてよびかけをよくきくけど、
どうせたいした根拠なしにいわれているだけだ。
あと何年かしたら、油のよさがみとめられるだろうから、
はやいうちに油のよさをとりいれておいたら おおきな顔ができる。

ごはんにバターをのせながら、
いつもこのたべかでは下品かも、と
すこしためらいがでていたけど、
松本氏の記事により、まよいがふっきれた。
ますますたっぷりの油をかけ、料理をおいしくしてたべよう。

posted by カルピス at 22:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

良心的だったJAL国内線のはらいもどし

せんじつのセブ島旅行では、
帰国するときのフィリピン航空が 2時間半おくれたために、
予約していたJAL国内線の伊丹ー出雲便にのれなかった。
すこしぐらいおくれてもいいように、
余裕をもって予約していたけど、2時間半もおくれると、
どうしようもない。

のれなかった便の料金を、はらいもどししてもらえるかもしれないと、
関西空港についたときに、「遅延証明書」をだしてもらった。
いったんしはらったお金は、そうかんたんにはもどらないだろうが、
だめもとでやる価値はあるだろう。
3日まえに、JAL国内線へ連絡をいれる。
はじめは担当課でないところへメールをおくったため、
ここでは対応できないと、べつの部署を指示された。
そこへ電話すると、すこしの音声ガイダンスだけで すぐにつながり、
遅延証明書があればキャンセル料なしではらいもどしするという。
きょうFAXで遅延証明書をおくったら、
すぐにうけとったむねの連絡がある。
クレジットカードへはらいもどしするために、
じっさいにふりこまれるのは1〜2ヶ月かかるので
ご了承ください、とのことだ。
すばやくて 好感のもてる JAL国内線の対応だった。

しかし、あとからかんがえてみると、
わるいのはJALではなく、
2時間半おくらせたフィリピン航空のほうだ。
JAL国内線にはまったくおちどがないのに、
遅延証明書があればはらいもどすなんて、
なぜそんなに弱気なのだろう。
のりつぎ便にまにあわなかったのだから、
はらいもどしをすべきは、フィリピン航空ではないか。
もしかりに、日本から出発するときに、
JAL国内線の不手際で、関空につくのがおくれ、
フィリピン航空にのれなかったら、
つぎの便にきりかえたり、
のれなかった便のお金をはらうだろうか。
交渉力がとわれそうだ。

飛行機がおくれた場合の正確なとりきめはしらないけど、
JAL国内線がすんなりお金をかえしてくれるのは、
とても良心的な対応といっていいだろう。
セブ島の空港で2時間半またされたときには、
ハンバーガーとのみものがくばられた。
ないよりもましだけど、常習犯的なおくれに
その程度のおやつで つきあわされたくはない。
かといって、ちゃんと飛行機がとんだのだから、
航空会社のおちどは たいしてせめられない気もする。

わたしは「H.I.S」でフィリピン航空のチケットをかっており、
飛行機にのれなかった場合は、
旅行会社との交渉になるのかもしれない。
旅行保険の適応もありだろうか。
飛行機がおくれたときの対応は、
自分がそんな目にあわないと、なかなか学習できない。
今回は、JAL国内線の良心的な対応にすくわれた。

posted by カルピス at 21:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

さむくなるとピピは

ピピがどれだけごはんをたべたかについて、表に記録している。
はじめはどれだけたべたかだけでなく、
トイレにいったかどうか、水をのんだかなども、
時間といっしょにかきこんでいた。
口内炎をわずらい、満足にごはんをたべられなくなったピピは、
いちにちに1.5缶のモンプチをたべないと 死んでしまうので、
なんとしても必要な量をたべるように、
いちにちの食事を記録しておきたかった。
1.5缶をしたまわる日がつづいたりしたら たいへんだ。

しかし、そんなにながくない寿命とおもっていたピピは、
おもっていたよりもずっとしぶとく生きつづけてくれる。
口内炎になってからもう3年ちかくたつのに、
ほぼねるだけの生活になってはいるものの、
ノルマである1.5缶以上をたべてくれるので、
もうしばらくは いっしょにくらせそうだ。
そうなると、食事記録は だんだんいいかげんになり、
このごろは 気のむいたときだけメモをする。
たべる量のうつりかわりをエクセルにうちこんで、
グラフにしていたのは いつのころまでだったろう。
まえはモンプチをお皿にあけると、
どんなにさむい夜でも、ピピがたべおわるまでついていたのに、
いまはひとりですぐにベッドへもどる。

あたたかくなったとおもったら、
先週は、また冬のさむさがもどってきた。
さむくなると、ピピは わたしに からだをぴったりくっつけてねむる。
くっつけるだけならいいけど、
その姿勢のままおしっこをするので、
わたしは2時間おきにパジャマの異変で目をさます。
わたしのパジャマがぬれなくなったときが、
すなわち春のおとずれとなる。

このまえ「ほぼ日」の「ドコノコカメら」に、
あまえじょうずなネコの写真がのった。
ひとの胸にピタッとくっついて、
安心しきったように目をつむっている。
でも、こんなことをいうと親バカまるだしだけど、
ピピはもっとすごいぞ。
ベッドによじのぼり、わたしの目をみながらせまってくる。
ハナをすりよせたり、わたしのハナをなめたり。
そうか。ピピはあまえじょうずだったんだ。
だかれるのをいやがるネコもいるので、
ピピみたいに自分から胸におさまってくれるのは
ネコとくらす しあわせそのものだ。
写真.jpg

posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする