2017年03月15日

村上作品のようなかいもので 夕ごはんをつくりたい

我が家は夕ごはんをわたしと配偶者が交代でつくっている。
おたがいの勤務表をみて、都合のつくほうが夕ごはんをうけもつ。
月に15〜20回はわたしがつくるので、
できぐあいについてこまかいことをいわなければ、
わるくないパートナーだと 自分ではおもっている。
夕ごはんをつくる日のかいものは、
あらかじめメニューがきまっているときもあるけど、
スーパーにならんでいる商品をみながら
なんとなく 献立案がまとまっていくときもおおい。
いずれにしても、夕ごはんをつくるたびにかいものをする。

かしこい主婦は、こんな非効率な家事をしないかもしれない。
1週間の献立をきめ、それにそってかいものをすませておくと、
夕ごはんをつくるたびに スーパーへでかけなくてもすむ。
わたしにはとてもそんなまねはできないので、
あまり上等でない主夫と わりきっていた。

なににかいてあったかわすれたけど、
まとめてかいものするのは、合理的にみえて、
それはそれでストレスなのだそうだ。
材料があまらないように なにかと気をつかうし、
計画にそって材料をつかっていくのは
自由に料理をするたのしみがない。
そのひとは、けっきょく食事をつくるたびに
かいものにでかけるようになり、
そっちのほうがずっと気らくなのにおどろいていた。

村上春樹さんの小説には、かいものの場面がときどきでてくる。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』では、
駅の近くのスーパーマーケットで食料品を手あたり次第に買いこみ、それから酒屋に寄って赤ワインと炭酸水とオレンジ・ジュースを買った。

とある。
酒屋でなければ、アルコール飲料をかえなかった時代の小説、
ということはこのさいどうでもよく、
肝心なのは、献立をきめたり、かいものリストをつくるのではなく、
「手あたり次第」にかうところだ。
てきとうにかっておいて、
あとは冷蔵庫にはいっている材料でやりくりする。
のこりがすくなくなれば、つくるメニューはおのずとかぎられるし、
ときには 「パン屋再襲撃」のときみたいに、
なにもつくる材料がなくて、
しめったクッキーを2枚ずつわけあったりする。
村上作品のかいものと料理は、いつもこんなかんじだ。
たべたくなった料理を 冷蔵庫にあるものでつくる。
ありあわせの材料で、まにあわせる。
ないからといって わざわざかいにでかけない。

1週間ぶんの献立をきめ、
それにそったかいものなんて、わたしにはとてもできないと
はなからあきらめていた。
かといって、毎回かいものするのも時間のむだだ。
できれば村上さんの小説みたいに、
手あたりしだいに材料をかいこんでおき、
のこされた材料をみながら テキトーにつくりたい。
いまはまだ、家族のために夕ごはんを用意しているし、
配偶者と交代でつくっているうちは、
自分だけのスタイルはもちこめない。
台所にふたりが共存できない原則をかみしめる。

posted by カルピス at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする