津村記久子氏の『ディス・イズ・ザ・デイ』は、
サッカーの2部リーグを舞台に、
サポーターのよろこびやかなしみがかかれている。
第2話の「若松家ダービ」にでてくる家族は、
ずっと家族全員で あるチームを応援してきたのに、
最近 むすこが他のチームの試合にでかけるようになった。
妙なたとえだけれども、自分たちが犬だとしたら、クラブは飼い主のようなものなのかもしれない、と供子は思った。犬は飼い主を選べない。圭太は真の泉大津のサポーターではなかったということだろう。そしてこれからは、琵琶湖と苦楽と共にしていくのだろう。
わたしはサッカーがだいすきだけど、
特定のチームにつよくこころをかたむける
いわゆるサポーターではない。
代表戦を中心に、J1にいくつかある すきなチームの試合を
そこそこたのしみにしている程度だ。
Jリーグでは、浦和レッズのサポーターが熱狂的な応援で有名で、
埼玉スタジアムを赤色にそめ、おおきな旗がそこらじゅうでふられる。
あまりにも猛々しいエネルギーにみちており、背中がゾクッとする。
レッズサポーターであるweb本の雑誌の杉江さんは、
「帰ってきた炎の営業日誌」に
ときどきレッズサポーターとしての
よろこびよりもつらさのおおい生活のぞかせている。
レッズがまけた試合は完全に自分をみうしなってしまい、
家族でもレッズにからむ発言はタブーになるという。
週末のたびに苦しみを植えつけられ、
もはや生きる気力が湧いてこない。
私たち浦和レッズはいったいどこへ向かっているのだろうか。(中略)
吐きそうになるほど、最悪のシーズンが続く。
いくらすきだとはいえ、特定のチームに
ここまでこころをとらわれてしまうのが
わたしには理解できなかった。
津村記久子氏の「犬は飼い主を選べない」は、
まったく予想外の角度からきりこんでいる。
そして、きっとこの分析はただしい。
サポーターがチームをえらぶのではなかった。
犬として生まれたサポーターは、
飼い主が目のまえにあらわれると、
そのひとからのがれられない。
『ディス・イズ・ザ・デイ』に登場する あるサポーターは、
自分のチームがリードをうばうと おもわずつぶやいた。
どんだけおもんないサッカーをしてもええから、このまま逃げ切るんやで
サポーターはたいへんだ。
どんなにつらくても、サポーターでいるしかない。