2017年04月10日

吉田くんがでてくるドコデモFMのCM

おそらく山陰地方だけでながれているとおもうけど、
鷹の爪団の総統が、吉田くんに
転勤をいいわたすCMがある。
「マジっすか!転勤なんかしたら、
いつもきいているFMがきけなくなるじゃないですか」
とあわてる吉田くんに、
スマートフォンアプリのドコデモFMをつかえば、
全国どこでもすきなFMがきける、と総統がおしえ、
吉田くんは安心して転勤をうけいれるというCMだ。

いままでなにげなくこのCMをきいていたけど、
よくかんがえてみれば
東京に秘密基地のある鷹の爪団が、
吉田くんにどこへの転勤をめいじるのだろう。
吉田くんのあわてぶりから 島根ではなさそうだ。
そもそも鷹の爪団に転勤が必要なアジトが
東京以外にあるとはしらなかったし、
転勤して いったいどんな活動を吉田くんがするのかも興味がわく。
鷹の爪団は、意外としっかりした組織だったのかも。
とはいえ、真剣に世界征服をめざすなら、
団員に転勤をめいじて 勢力をひろげるのはあたりまえだ。
もうすこしかんがえてみると、
なにも山陰地方だけにこのCMを限定しなくてもいい。
FMがながれているところならどこでも、
ドコデモFMを必要とするひとがいる。
FMラジオによって勢力をひろげるのは よいアイデアだ。

鷹の爪団がでてくるドコデモFMのCMには
もうひとつべつの版があり、
そこでは総統が吉田くんに
ドコデモFMというアプリがあるかどうかのクイズをだしている。
吉田くんはドコデモFMで島根のFMをきいていたので、
いまさらそんな質問はあたりまえすぎた。
ドコデモFMをダウンロードしてまで、
ほかの地域のFMをきこうとはおもわないけど、
吉田くんのように、ふるさとの番組をなつかしむひとには
ありがたいアプリだろう。
島根でFMといえばFM山陰しかなく、
残念ながらわたしはこのFM局がそんなにすきではないので、
もし転勤をいいわたされたとしても
ドコデモFMを必要とはしないはずだ。
「らじる らじる」でNHK-FMがきけたら それでじゅうぶん用はたりる。
TOKYO FMの『シン鷹の爪団の世界征服ラヂヲ』は、
ドコデモFMにたよらなくても 日本じゅうできけそうだ。
鷹の爪団と吉田くんは、いつのまにかわたしの手をはなれ、
全国区人気へとそだっていたのだ。

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2017年04月09日

『ビア・ボーイ』(吉村喜彦)サントリーの缶ビールがのみたくなる

『ビア・ボーイ』(吉村喜彦・新潮社)

NHK-FMでしたしんできた吉村喜彦さんの
「音楽遊覧飛行〜食と音楽で巡る地球の旅〜」
がおわり、さみしくなった。
番組のかわりに、吉村さんの著作をよんでみる。
『ビア・ボーイ』は、かきおろしの小説で、
酒造会社の宣伝部につとめていたエリート社員が、
地方都市の営業にとばされる場面からはじまる。
吉村さんは以前サントリーにつとめておられ、
この小説は、サントリーのビールをめぐる「実話」のようだ。
ただ、会社の名前はサントリーがスターライト、
キリンがライオンなどへ かえてある。

主人公の上杉は 正義感がつよく、
まがったことのできない男としてえがかれている。
「食と音楽で巡る地球の旅」の吉村さんは、
だじゃれをとばしたがる、かなりかるめのおじさんだ。
上杉とはまるでちがうキャラクターにおもえるけど、
わかいころの吉村さんは 上杉のように
酒と仕事を愛する まっすぐなひとだったのだろう。

サントリーのビール部門は、
これまで瓶ビールをおもな商品として位置づけ、
販売にちからをそそいできたけれど、
キリンなど老舗の壁はあつく、ビールのシェアはなかなかふえない。
社内には派閥がうまれ、社長派は社長がそだてた瓶ビールを、
副社長派は、ビールには将来性がないからと、
いずれもこれまでどおり瓶ビールを支持し、
缶ビールへのきりかえに消極的だ。
上杉は、とばされた広島でちからをつけ、
缶ビールを主力製品とするよう会社にはたらきかける。

いまでこそビールといえば缶ビールだけど、
缶がひろまるまでは 紆余曲折があったのだ。
宣伝がじょうずなサントリーは、
缶ビールにおしゃれな雰囲気をもたせるのに成功した。
そのサントリーにしても、内部であんなゴタゴタがあったとは。
仕事小説としては、あまり気もちをかきたてられなかったけど、
ビールからみたサントリーの内情として 興味ぶかくよめた。
よみおえると、プレミアムモルツをすかさずかった。

ノーテンキな音楽ではじまる
「食と音楽で巡る地球の旅」がなつかしい。
吉村さんの番組を、はやくもまたききたくなった。

posted by カルピス at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

おしっこ問題をどうしのぐか

トランプ大統領に抗議する集会がワシントンでおこなわれ、
各地から50万人の女性があつまったと
すこしまえのニュースで紹介されていた。
抗議内容も興味ぶかかったけど、
50万人の女性がせまい場所にあつまったとき、
トイレはどうするのだろうと気になった。
べつに女性でなくても 基本的な問題にかわりはないけど、
女性のほうが なやみはより切実ではないか。
どうやって50万人分もの尿意をしのいだろう。
それぞれが、それぞれの方法で
なんとかまにあわせたのだろうか。
たくさんのひとが一か所にあつまったときくと、
わたしは食糧やトイレをどうしたのかが気にかかる。
大都会は、そもそもたくさんのひとがあつまる場所なので、
交通機関や食事など、集団のうごきに対応できるしくみが
ととのえられているのだろうか。

デイリーポータルZに、「おしっこを我慢する方法」がのっていた。
http://portal.nifty.com/kiji/140109162927_1.htm
古今東西、おしっこを我慢しようと
さまざまな方法がこころみられてきた。

・少量リリース法
・スクワットなど、うごいて気をまぎらせる
・うごかないで我慢する
・おしっこステップ(通称)をふむ
・メンタル面で膀胱をささえる(汗で出すイメージなど)

わたしも歳のせいか、とくに冬になると
きゅうにおしっこがしたくなり まじでくるしむことがある。
デイリーポータルZにあげられた方法は
たいてい わたしもためしていた。
ただ、「少量リリース法」だけはしらなかった。
しらなかった、というよりも、
あまりお世話になりたくない方法だ。
我慢しきれないと思ったら、意図的にほんのほんの少しだけ、漏らします。
じんわり広がるぬくもりは、その温かみに反して「これ以上漏らしたら絶対にダメだ」と、強烈な説得力で語りかけてきます。

ちょっとだけ「リリース」できるか、という問題がおおきいし、
多少とはいえ パンツがぬれる いやなかんじは 味わいたくない。
わたしの経験では、おしっこが我慢できそうにないときに、
うでたてふせを30回ほどすると、
トレーニング脳に意識がきりかわって
おしっこ問題をわすれられる。
スクワットではだめで、うでたてふせにとどめをさす。
なにげなくうでたてふせをする場所は、
どこにでもあるわけではなく、
状況を限定するけど、きわめて効果的な方法である。

野宿野郎の編集長である かとうちあきさんが
女性用立ちショングッズを紹介している。
http://www.a-kimama.com/outdoor/2016/11/60035/
かとうさんの体験では、
ズボンを下ろしてお尻を出した状態で立っているわけで、座ってするときよりもさらに背後が落ち着きません。この点での、安心感は皆無!

なので、グッズがあれば すべて解決、とはならないみたい。
50万人の大集合を組織した委員会が、
おしっこ問題をどのように解決したのかしりたい。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

事務所であたらしいiMacをかう

事業所の事務用パソコンとしてiMacをかった。
ヤマダ電機で10万3800円。
これまでつかっていたiMacが不安定になってきたので、
いかれてしまうまえに あたらしいパソコンと交換するよう
理事長から指示がくだった。

事務所には、5台のパソコンがおかれている。
利用調整をするパソコンが1台、
おもに おたよりをつくるパソコンが1台、
請求事務につかうパソコンが1台。
この3台がiMacで、のこりの2台がウィンドウズだ。
介護事業所で これだけマックがつかわれているところは
あまりないのではないか。
ただ、マックの性能が適切にいかされているかというと そうでもなく、
ひどいいいかたをするなら
「無意味にマック」が わたしの職場の特徴だ。

ファイル共有やプリンター共有すらされてなく、
せっかくファイルメーカーでつくったファイルも、
ネットに公開してないので、
いくらマックが3台あっても つかうのは
用途によって1台ずつにとどまっている。
1台ごとに役割分担しているから、3台も必要なのだ。
さらにいえば、DropboxやEvernoteすらつかわれていないし、
Gmailもとりいれられていない。
それでもマックがいいのだから、
かなりひくいレベルのマック原理主義といえる。
マック原理主義なので、もとめるのはマックだけど、
ネットではなくヤマダ電機へでかけ、現金でかうところが
いかにも意識ひくい系のマックファンだ。

ひくいレベルにとどまっているひとつの原因は、
なんとなくわたしがマック担当になっているからで、
マック歴はながいものの、ただながいだけのわたしには、
事業所のシステムを円滑にまわすだけの能力はない。
あたらしくかったiMacでメールの送受信ができないため、
コピー機などのリースでお世話になっているリコーにきてもらった。
リコーが導入したセキュリティシステムに
メールのなにがしかが邪魔をされているのかとおもったのだ。
原因はセキュリティシステムではなかったそうで、
でもリコーの技術者がためしても
なんでつながらないかわからず、ずいぶんなやまれたすえ、
なんとなく受信できるようになった。

ちまたには
『たった1日で即戦力になるMacの教科書』
http://cyblog.jp/modules/weblogs/27168
という本があるそうで、
わたしの職場でも この本をテキストに勉強会をひらいたら
もうすこしマシなマックつかいがでてくるだろうか。
でも、わたしをはじめとして、
職員たちのパソコンスキルはかなりひくく、
すばらしいテキストの内容が 、すんなりひろがるとはおもえない。
とはいえ、パソコンスキルがひくいのは、
わたしの職場だけの特殊事情ではなく、
きっとどこの事業所だって にたようなものだろう。
おおくのパソコンユーザーは、ものすごく原始的な方法によってのみ
パソコンをあつかっている。
だからこそ このような本がつくられたわけで、
テキストをとりいれて 勉強会をひらけば
パソコンがつかえて当然の著者と、
なんのことやら さっぱりわからないユーザーとの、
興味ぶかい対決がみられるかもしれない。

マックは直感的につかえるとよくいうけれど、
事務処理機としていかすには、
あるていどの知識がなければ もったいないマック利用となる。
事務所におけるマックの謎はふかく、
いまだにプリンターの設定すらおわっていない。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

人生のさいごに どこへ旅行するだろう

テレビ番組の「旅サラダ」で
フィリピンのボホール島をとりあげていた。
ついこのまえ旅行した土地なので
家族にもみてもらえたらと録画する。

番組の構成をしらなかったけど、
ボホール島が紹介されるのは、
番組のいちばんさいごのコーナーで、
それまでずっと ボホール島とは関係ないはなしが
たくさんのCMをあいだにはさんで延々とつづく。
録画なのではやおくりしたものの、
なまでみていたら かなりいらいらさせられただろう。

ようやく番組がボホール島にたどりつくと、
まずはチョコレート・ヒルを見物し、
つぎが 空中にはったロープのうえを
自転車で移動する「バイク・ジップ」、
そんなにかわいくない気がする メガネザルのターシャと、
ボホール島の定番スポットをとりあげている。
「バイク・ジップ」以外は どれもじっさいにたずねた場所であり、
ついこのまえみた景色が映像でながれるは、なんだかへんなかんじだ。
さいごにリゾートホテルでくつろぐようすと、
船でたのしむバーベキューランチ、
そしてスキューバダイビングが紹介される。
わたしはリゾートホテルにとまらなかったし、
海でもあそんでいないので、
せっかくボホール島にいきながら
ずいぶんもったいない旅行におもえてきた。

ネットで検索すると、
「地球バス紀行」も1年まえにボホール島をとりあげている。
わたしはタクシーをかしきって各地をまわったけど、
外国人観光客がのらないローカルバスでの移動は
旅のエッセンスにあふれていて、これはこれでうらやましい。
短期間の旅行でも、1〜2日をバス旅行にあてればいいので、
「地球バス紀行」のまねはできる。
リゾートホテルでくつろぐ旅と、ローカルバスをのりつぐ旅。
どちらも それぞれ魅力がある。

人生さいごにたべる食事は、
一流レストランのフルコースよりも、
おにぎりにみそ汁といった
ソウルフードをあげるひとがめずらしくない。
わたしがさいごにでかける旅行は、国内はべつとして
外国ならアジアの国々になるような気がする。
たとえば余命3ヶ月を宣告されたとき、
12時間かけてヨーロッパへいく元気は
あまりのこっていないのではないか。
ついた時点でヘロヘロになり、かえってこれないのはこまるし。
その点アジアはなんといってもちかい。
タイで6時間、フィリピンなら4時間半だ。
おてがるな場所をさいごの旅行さきにえらび、
雰囲気にひたるだけでごまかすのは、
中途半端なわたしの人生にふさわしい旅かもしれない。
理想の旅スタイルが ようやく確立されたとおもったら、
さいごの旅行だった、というのもわるくない。

posted by カルピス at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

むかしのわたしはえらかった

ラジオをきいていたら、英会話を身につけようとするとき、
教材による勉強がいいか、英会話スクールがいいかを
二択のアンケートでたずねていた。
わたしだったらまよわず英会話スクールをえらぶけど、
アンケートの結果は半々ぐらいだった。

わたしはむかし、フランス語の教室にかよったことがある。
生徒は10名ほどで、半分が日本人だった。
先生はフランス語だけをしゃべる。
その教室で、どれだけフランス語がはなせるようになったか
客観的な評価はできないけど、いい体験ではあった。
ときどきみんなのまえでなにかを発表する課題がだされる。
なんにちかの準備期間があるとはいえ、
かなりたいへんな宿題だった。
いまでもよくおぼえているスピーチは、
福岡正信さんについてと、
椎名誠さんの本にのっていた
馬のしょんべんビールの小話を紹介したときだ。

福岡さんは、無の思想といって、
すべては自然がやってくれる、
人間が作物をそだてているとおもうのは おこがましいと、
お米をつくるのに、田んぼをたがやさず、
肥料と農薬をつかわず、草もとらない
自然農法をあみだしたひとだ。
すべては無である、という思想であり、
ひじょうに魅力的なかんがえ方だけど、
説明するのは そうかんたんではない。

椎名誠さんの小話は、
旧ソ連がつくっていたビールが、
いかにひどかったかのはなしだ。
くもの巣のようないかにも邪悪なアワがたち、
のみこむたびに なんども首をかしげるようなひどいビールを、
ある研究所におくったら、
「おたくの馬は健康である」という返事がかえってきた。

わかかったわたしは、どのようにこのふたつのはなしを
みんなのまえで発表したのだろう。
おどろいたことに、福岡さんのはなしは、
あんがいみんなが興味をしめし、いくつもの質問をうけた。
先生がじょうずに わたしのはなしを おぎなってくれたのだろう。
それにしても、福岡さんの思想を、
いったいどんなふうにフランス語で説明したのか、
自分の発表をきいてみたい。

馬のしょんべんの小話は、まったくうけなかった。
わたしのまとめ方がまずく、
いつまでも状況説明がおわらないので、
「まだつづくの?」と先生があきれていた。
おもしろくない小話ほど 迷惑なものはない。
とはいえ、先生がいやがるくらい、
延々と説明をつづけたというのは われながらすごいとおもう。
わかいころのわたしは、いまよりもずっとおりこうだったみたいだ。

もうひとつ記憶にのこっているのは、
「わたしがわかかったころ」
というフレーズをいれて 作文をつくったときのこと。
まだ16歳ほどのアメリカ人の少年が、
「わたしがわかかったころ」といったので、
その瞬間、教室のみんながはげしくふきだした。
16歳がいう「わたしがわかかったころ」は、
いつのはなしだったかわすれた。

こんなおもいでがのこるのだから、
外国語の学習は、教材にひとりでとりくむより、
スクールにかよったほうがいいと わたしはおもう。
対象人数はすくなければ すくないほどいい。
いちばんいいのは マンツーマンでの勉強だ。

posted by カルピス at 21:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

古代インド人の林住期にまなびたい

先日のブログでとりあげた 稲垣えみ子さんの『魂の退社』には、
人生を4つの時期にわける
古代インド人のかんがえ方が紹介されている。
社会にでるまえの「学生期」、
社会にでて仕事につく「家住期」はいいとして、
古代インドでは、完全に会社をやめるまえに、
おためしで家をでる「林住期」をもうけていたという。
仕事も子育ても一段落したら、家庭から離れ、世俗から離れ、何もない林にすむ。

そしてさいごの「遊行期」で完全に宗教の世界へはいっていく。
日本では、定年退職により「定年後」の人生がはじまる。
しかし、会社員から「定年後」へは、
「あまりにも乱暴なギアチェンジ」(稲垣)であり、
いきなりはじまる「定年後」をどうすごしたらいいのか、
苦労するひとがおおい。
そんな時期を、「林住期」と「遊行期」の2段がまえで
適応しようとするのは わるくないかんがえ方だ。

わたしは、もう子そだてがおわったからと、
2年前に仕事をやめ アルバイトだけでくらそうとおもった。
しかし、予定にはんして むすこが大学へいくことになり、
しおくりに必要なお金をえようと、1年後 また仕事についた。
アルバイトをいくつもかけもちするより、
就職したほうが効率がいいので、
けっきょくまえにいた職場にもどっており、
いささか かっこわるい再就職となった。
ただし、常勤ではなく、嘱託職員としての採用にしてもらった。
いちにち8時間は仕事につくけれど、
残業はないし、夜の会議にはでなくてもいい立場だ。
いわれたことを粛々とすすめるだけなので ストレスもない。

テレビ番組で「しくじり先生」という企画があるけど、
わたしもみごとにしくじったくちだ。
サッカー選手は、たとえば海外のチームへ移籍しても、
活躍の場がえられなければ、
古巣のチームにもどってくる場合がすくなくない。
わたしも いい条件をもとめて移籍しただけだと、
自分にいいわけしたけど、かっこわるさはかくせない。
どうかんがえても「しくじり先生」だ。

でもまあ、しくじって、かっこはわるいけど、
会社員でない1年をすごせたのは、いい体験だった。
時間がたっぷりあるだけでは、生産的な活動につながらず、
「いつかやろう」とおもっていた「いつか」は、
仕事をやめてもおとずれない。
また、会社をやめたばかりの1年は、
社会保険や国民年金、それに地方税へのしはらいが
おもっていたよりおおかった。
生活費としてはたいしてつかわないのに、
どんどん貯金がへっていくのはいやなものだ。

むすこへのしおくりがおわり、お金があまり必要でなくなれば、
いまよりも もっと仕事をへらして 自由な時間をふやせる。
それは いってみれば林住期のようなものではないか。
完全に職場とはきれていないものの、
意識は仕事や家庭からずいぶんはなれている。
バリバリにはたらくだけが会社員ではなく、
会社が必要とするのは、送迎だったり配達だったりと、
かならずしも 熱意にみちていなければできない仕事 だけではない。
「お手つだい」みたいな仕事について、
おこずかいをかせいでいけば、
国民年金がたとえ6万円でもくらしていける。
わたしは、たべもので贅沢をする趣味はないし、
服だってほとんどかわない。
健康で、医療や介護のお世話にならなければ、
お金がなくても あんがいなんとかなるのでは。
わたしの林住期は、健康にすごせるかどうかにかかっている。
収支決算がとんとんでいければ、
さらにあそびをおもな任務とする「遊行期」へうつりたい。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月03日

吉村喜彦さんの「食と音楽で巡る地球の旅」がきけなくなるなんて

4月は新年度ということなのか、
テレビとラジオの番組がいくつもかわる。
NHK-FM『音楽遊覧飛行』の
「食と音楽で巡る地球の旅」を担当している
吉村喜彦がやめられるらしい。

この番組は、世界じゅうの町をイメージの旅でめぐり、
その土地ならではのたべもの・のみものを紹介し、
それらとかかわりのある
(といっても、おおくはものすごいこじつけ)
音楽をながしてくれる。
しらない町のきいたことのない料理を吉村さんがはなすと、
じっさいにたずねてみてたべたくなる。
たべものと旅行ずきにはたまらない番組だった。
吉村喜彦さんについてネットをみると、
作家であり、まえはサントリーの宣伝部につとめておられたそうだ。
「音楽遊覧飛行」をきけなくなっても、
本でおなじような「旅」につれていってくれないだろうか。
おわかれは残念だけど、あたらしいであいに期待したい。

1年前からはじまった「ゆうがたパラダイス(NHK-FM)は、
そんな あたらしいであいのひとつだ。
はじめはわたしがまったく関心をもたない曲ばかりかかるし、
担当者のはなしにもついていけなかった。
半年ほどたったころ、なんとか耳がなれてくると、
水曜日担当の津野米咲さん、
木曜日担当の高田秋さんは、
しっかりした自分のかんがえをもっておられるのがわかってきた。
彼女たちの独特な感性が、
これまでしらなかった世界をおしえてくれので、
素直にきけるようになる。
ヒャダインのガルポプも、「ゆうパラ」とおなじ線でつながっている。

わたしがつとめる事業所は、すべての職員をあわせても
30名ほどのちいさな「会社」であり、
ことしは4月といっても 直接わたしにかかわる異動はなかった。
あたらしい学校、あたらしいクラス、
あたらしい職場での生活がはじまったひとたちは、
さぞかしたいへんな時期だろう。
かわる時期だけに、番組がかわると さみしいし、
かわらないでいてくれると それだけでありがたい。
変化によわいわたしは、吉村さんとのおわかれをかなしみつつ、
ゆうパラで かわらない日常にこころをやすめたい。

posted by カルピス at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

『魂の退社』(稲垣えみ子)

『魂の退社』(稲垣えみ子・東洋経済新報社)

はたらくとは、会社とは、お金とはなにかをかんがえた本。
朝日新聞の記者だった稲垣さんが、
なぜ28年つとめた会社をやめたのか。

朝日新聞のコラムで 編集委員としての稲垣さんをしったときは、
アフロヘアーにしたらもてまくるようになった、とか
節電のために 暖房ゼロ生活をこころみたりと、
きりくちはおもしろいのに、文章はわかりにくく、
すこしいらしながらよんでいた。
でも、この本は とてもすっきりしあがっている。
会社やお金についてかたるのは、
どう生きるかをかんがえることなので、
あたまのなかが整理されていないと
わけのわからない文章になる。
会社をやめようとかんがえをまとめているうちに、
いろんなものがみえやすくなったのではないか。
自分の体験から論理をみちびきだし、
じっさいに行動にうつしているから 説得力がある。

稲垣さんは、きゅうにおもいついて朝日新聞をやめたのではなく、
きっかけは10年まえにさかのぼる。
このまま会社にいて 40歳をむかえたときをかんがえると、
社内での競争にやぶれ、つかえない社員としての烙印をおされた
「暗い未来」が頭にうかんだという。
たくさんの給料をもらっていながら
服や外食など、欲望のおもむくままにくらしていたせいで、
お金がほとんどたまらない。
このまま老後をむかえ収入が激減したときに、
それまで贅沢をしていたすべてを我慢する生活になる。
このままの状態でズルズルぼんやり人生を折り返してしまったら、相当にヤバイことになるんじゃないか。

ちょうどそんなころに、大阪版デスクから
香川県の高松総局デスクへと、異動をめいじられる。
はじめは「うどん県に流される」というネガティブな意識だったけど、
ここでのであいがやがて稲垣さんを
「お金がなくてもハッピー」な人間にかえることになる。

高松でかよいつめるようになった農産物の直売所には、
冬しか大根がならばない。
さむさが本格的になったころ、
ようやく顔をみせる大根が どれだけおいしかったか。
直売所は私にとって、お金がなくても楽しめる場所であったばかりか、「ない」ことの方が「ある」ことよりむしろ豊かなんじゃないかという、それまでまったく考えたこともない発想の転換を迫る場所となったのだ。

そして、お遍路さんのすみきった笑顔から、
しあわせについてかんがえる。
私はそれまでずっと、何かを得ることが幸せだと思ってきた。しかし、何かを捨てることこそが本当の幸せへの道なのかもしれない・・・。

稲垣さんは、だんだんとお金をつかわなくなり、
お金がいらなくなると 会社からの評価が気にならなくなる。
評価を気にしないでいると、仕事がたのしくなった。

50歳になり、稲垣さんはとうとう会社をやめる。
大朝日のバックがなくなると、家をかりるのさえたいへんだし、
別の会社に就職する気のなかった稲垣さんには、
失業保険もはいらない。
記事をかいても原稿料はすごくやすいし、
安定した収入はひとつもない。
それでもあんがい平気にくらしているらしい。
せまい家でも不満はないし、
食費は晩酌の日本酒をふくめても
いちにちに600円ほどしかかからないので、
お金がそんなになくてなんとかなる。
稲垣さんがいまやりたいのは、なんと「仕事」なのだという。
といっても、会社に就職したいわけではない。
ひとをよろこばせたり、たのしませたりする仕事。
今の世の中、困っているひとはとにかくたくさんいる。ということは、それだけ仕事もたくさんたくさんあるはずです。そう思えばお金とか、就職とかってことにこだわらなければ、もう死ぬまでの間、楽しいことがなくなるっていうことはない。
これって・・・すごくないですか?
いや日本は希望でいっぱいだ!

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月01日

「ぼくもね、そうかなっておもったんですよ」と福山雅治さんはいった。

ラジオをきいていたら、福山雅治さんが
「ぼくもね、そうかなっておもったんですよ」
といった。
恋愛についてはなしているときのことだ。
コロッと自分の発言をひっこめ、
あいてにあゆみよるかるさが とてもいい。
福山さんぐらいでないと、
「ぼくもね、そうかなっておもったんですよ」
なんていえば、調子のいいこというな、って
しかられそうだけど、
福山さんだと ピッタリくる。人徳である。

会話術のひとつに、
いったん相手の発言をうけとめる、というのがある。
いわれたことにすぐ反論しないで、
ひとまず「そうですね」とやってから、
「でも」とか、「そうはいっても」、と自分のかんがえをのべると、
相手はきく耳をもってくれやすい。
福山さんのは、このセオリーをさらにすすめ、
全面的に相手の側へねがえるのだから、
さらに高等戦術といえる。
自分の意見にこだわるようでは、
たいしたはなしはできないのだ。

出勤時間におくれがちな同僚が、
理事長から「もうすこしはやくでてこれませんか」と、
かるく注意をうけていた。
同僚は、
はやく家をでようとすると、イライラした運転になり、
あぶないので、安全運転にこころがけると、
どうしても職場につくのがおくれてしまいます。
どーしたらいいでしょうかねー?
と逆に理事長へ質問をかえしていた。
このひとは、いいわけをしているつもりはなく、
なにごとにおいても 自分がおもっていることを
そのままくちにする。
これもまた人徳であり、理事長も、
事故をおこすよりはいいけど・・・と、
それ以上は追求しなかった。

わたしなどは、できるだけいいわけしないのが基本方針としてあり、
同僚のように自分の状況を説明できない。
すぐにあやまってうやむやにするよりも、
彼のように なぜできないかを まるでひとごとのようにはなせるのも、
ひとつの話術としてありだとおもった。
日本人ばなれしていて、かっこいいともいえる。
福山さんの
「ぼくもね、そうかなっておもったんですよ」もいいけれど、
同僚の ぬけぬけとした説明もまた、味があってわるくない。

posted by カルピス at 12:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする