2017年04月02日

『魂の退社』(稲垣えみ子)

『魂の退社』(稲垣えみ子・東洋経済新報社)

はたらくとは、会社とは、お金とはなにかをかんがえた本。
朝日新聞の記者だった稲垣さんが、
なぜ28年つとめた会社をやめたのか。

朝日新聞のコラムで 編集委員としての稲垣さんをしったときは、
アフロヘアーにしたらもてまくるようになった、とか
節電のために 暖房ゼロ生活をこころみたりと、
きりくちはおもしろいのに、文章はわかりにくく、
すこしいらしながらよんでいた。
でも、この本は とてもすっきりしあがっている。
会社やお金についてかたるのは、
どう生きるかをかんがえることなので、
あたまのなかが整理されていないと
わけのわからない文章になる。
会社をやめようとかんがえをまとめているうちに、
いろんなものがみえやすくなったのではないか。
自分の体験から論理をみちびきだし、
じっさいに行動にうつしているから 説得力がある。

稲垣さんは、きゅうにおもいついて朝日新聞をやめたのではなく、
きっかけは10年まえにさかのぼる。
このまま会社にいて 40歳をむかえたときをかんがえると、
社内での競争にやぶれ、つかえない社員としての烙印をおされた
「暗い未来」が頭にうかんだという。
たくさんの給料をもらっていながら
服や外食など、欲望のおもむくままにくらしていたせいで、
お金がほとんどたまらない。
このまま老後をむかえ収入が激減したときに、
それまで贅沢をしていたすべてを我慢する生活になる。
このままの状態でズルズルぼんやり人生を折り返してしまったら、相当にヤバイことになるんじゃないか。

ちょうどそんなころに、大阪版デスクから
香川県の高松総局デスクへと、異動をめいじられる。
はじめは「うどん県に流される」というネガティブな意識だったけど、
ここでのであいがやがて稲垣さんを
「お金がなくてもハッピー」な人間にかえることになる。

高松でかよいつめるようになった農産物の直売所には、
冬しか大根がならばない。
さむさが本格的になったころ、
ようやく顔をみせる大根が どれだけおいしかったか。
直売所は私にとって、お金がなくても楽しめる場所であったばかりか、「ない」ことの方が「ある」ことよりむしろ豊かなんじゃないかという、それまでまったく考えたこともない発想の転換を迫る場所となったのだ。

そして、お遍路さんのすみきった笑顔から、
しあわせについてかんがえる。
私はそれまでずっと、何かを得ることが幸せだと思ってきた。しかし、何かを捨てることこそが本当の幸せへの道なのかもしれない・・・。

稲垣さんは、だんだんとお金をつかわなくなり、
お金がいらなくなると 会社からの評価が気にならなくなる。
評価を気にしないでいると、仕事がたのしくなった。

50歳になり、稲垣さんはとうとう会社をやめる。
大朝日のバックがなくなると、家をかりるのさえたいへんだし、
別の会社に就職する気のなかった稲垣さんには、
失業保険もはいらない。
記事をかいても原稿料はすごくやすいし、
安定した収入はひとつもない。
それでもあんがい平気にくらしているらしい。
せまい家でも不満はないし、
食費は晩酌の日本酒をふくめても
いちにちに600円ほどしかかからないので、
お金がそんなになくてなんとかなる。
稲垣さんがいまやりたいのは、なんと「仕事」なのだという。
といっても、会社に就職したいわけではない。
ひとをよろこばせたり、たのしませたりする仕事。
今の世の中、困っているひとはとにかくたくさんいる。ということは、それだけ仕事もたくさんたくさんあるはずです。そう思えばお金とか、就職とかってことにこだわらなければ、もう死ぬまでの間、楽しいことがなくなるっていうことはない。
これって・・・すごくないですか?
いや日本は希望でいっぱいだ!

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする