2017年04月04日

古代インド人の林住期にまなびたい

先日のブログでとりあげた 稲垣えみ子さんの『魂の退社』には、
人生を4つの時期にわける
古代インド人のかんがえ方が紹介されている。
社会にでるまえの「学生期」、
社会にでて仕事につく「家住期」はいいとして、
古代インドでは、完全に会社をやめるまえに、
おためしで家をでる「林住期」をもうけていたという。
仕事も子育ても一段落したら、家庭から離れ、世俗から離れ、何もない林にすむ。

そしてさいごの「遊行期」で完全に宗教の世界へはいっていく。
日本では、定年退職により「定年後」の人生がはじまる。
しかし、会社員から「定年後」へは、
「あまりにも乱暴なギアチェンジ」(稲垣)であり、
いきなりはじまる「定年後」をどうすごしたらいいのか、
苦労するひとがおおい。
そんな時期を、「林住期」と「遊行期」の2段がまえで
適応しようとするのは わるくないかんがえ方だ。

わたしは、もう子そだてがおわったからと、
2年前に仕事をやめ アルバイトだけでくらそうとおもった。
しかし、予定にはんして むすこが大学へいくことになり、
しおくりに必要なお金をえようと、1年後 また仕事についた。
アルバイトをいくつもかけもちするより、
就職したほうが効率がいいので、
けっきょくまえにいた職場にもどっており、
いささか かっこわるい再就職となった。
ただし、常勤ではなく、嘱託職員としての採用にしてもらった。
いちにち8時間は仕事につくけれど、
残業はないし、夜の会議にはでなくてもいい立場だ。
いわれたことを粛々とすすめるだけなので ストレスもない。

テレビ番組で「しくじり先生」という企画があるけど、
わたしもみごとにしくじったくちだ。
サッカー選手は、たとえば海外のチームへ移籍しても、
活躍の場がえられなければ、
古巣のチームにもどってくる場合がすくなくない。
わたしも いい条件をもとめて移籍しただけだと、
自分にいいわけしたけど、かっこわるさはかくせない。
どうかんがえても「しくじり先生」だ。

でもまあ、しくじって、かっこはわるいけど、
会社員でない1年をすごせたのは、いい体験だった。
時間がたっぷりあるだけでは、生産的な活動につながらず、
「いつかやろう」とおもっていた「いつか」は、
仕事をやめてもおとずれない。
また、会社をやめたばかりの1年は、
社会保険や国民年金、それに地方税へのしはらいが
おもっていたよりおおかった。
生活費としてはたいしてつかわないのに、
どんどん貯金がへっていくのはいやなものだ。

むすこへのしおくりがおわり、お金があまり必要でなくなれば、
いまよりも もっと仕事をへらして 自由な時間をふやせる。
それは いってみれば林住期のようなものではないか。
完全に職場とはきれていないものの、
意識は仕事や家庭からずいぶんはなれている。
バリバリにはたらくだけが会社員ではなく、
会社が必要とするのは、送迎だったり配達だったりと、
かならずしも 熱意にみちていなければできない仕事 だけではない。
「お手つだい」みたいな仕事について、
おこずかいをかせいでいけば、
国民年金がたとえ6万円でもくらしていける。
わたしは、たべもので贅沢をする趣味はないし、
服だってほとんどかわない。
健康で、医療や介護のお世話にならなければ、
お金がなくても あんがいなんとかなるのでは。
わたしの林住期は、健康にすごせるかどうかにかかっている。
収支決算がとんとんでいければ、
さらにあそびをおもな任務とする「遊行期」へうつりたい。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする