2017年04月15日

『本の雑誌 5月号』国語の教科書を作ろう

今月号の特集は、国語の教科書。
「国語の教科書を作ろう!」の座談会がおもしろかった。
国語の教科書のせいで、本がきらいになる生徒がおおいらしく、
それなら自分たちでつくったら、という企画だ。
「前後ぶった切ってここだけ読んだって、面白いわけ」ないので、

・短編で読みきれるものを載せる
・基本的には全編読ませる

という提案がでている。
途中までがおもしろければ、
そのさきは自分でさがしてよめばいいので、
かならずしも全編まるごと とはおもわないけど、
ショートショートや短編だったら、たしかにできる。

わたしの記憶にのこっているのは、
中学の教科書にのっていた
『野生のエルザ』と『一切れのパン』だ。
エルザは、シリーズをとうじ夢中でよんでおり、
自分のすきな本が、教科書にのっているという、
それだけでうれしかった。
『一切れのパン』は、ナチスにとらえられたユダヤ人が、
収容所につれていかれるまえに にげだし、
家までもどるはなしだ。
ある老人から、布きれにつつんだひときれのパンをわたされ、
どうしても我慢できなくなるまで、
このパンに手をつけてはいけない、とおしえられる。
ポケットにいれた そのパンをささえに 男は冷静さをたもちつづけ、
無事に家にもどる。
布にくるんだパンをとりだしてみると、
それはパンではなく、板きれだった。

パソコンで検索すると、わたしの記憶はだいたいあっている。
たくさんの感想がよせられているので、わたしとおなじように、
つよく印象にのこっているひとがおおいのだろう。
ただ、高校の教科書にのっていたとおもっていたけど、
じっさいは中学のときによんだみたいだ。
高校の教科書に、なんの記憶もないのはなぜだろう。
本ずきだったわたしにはものたりなかったのか、
あるいは純文学的すぎたのか。

教科書で生徒が本をすきになるだろうか。
村上龍さんの『69』は、
単純に 本のおもしろさをわかってもらえるとおもう。
斎藤美奈子さんの『妊娠小説』をとりいれたら、
小説だけでなく評論にふれるきっかけになるし、
妊娠をめぐる男たちのテキトーさは、社会科の教材としてもつかえる。
村上春樹さんの初期のエッセイは、
ノーベル賞候補のえらい小説家、みたいな、
あやまったイメージをとりさってくれるはずだ。
教科書は、きびしい検査にとおらなければならないので、
教科書らしくない教科書は、なかなかつくれないのかもしれない。
それにしても、まったくおぼえていないというのは ひどい。
じっさいに高校で国語をおしえている先生のはなしをききたい。

posted by カルピス at 10:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする