2017年04月28日

たいていのものは あらわなくてもだいじょうぶ

「web本の雑誌」に連載されている
荻原雷魚さんの「日常学事始」が4ヶ月以上更新されていない。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai/list.html
すきなサイトなので、かわりにわたしが、とおもったけど、
たいした「日常学」をうちたててるわけではない。
第12回の「洗うか洗わないか」に便乗して、
わたしの日常をかいておきたい。

まず、やさいをあらうかあらわないか。
まえは、もやしにさっと水をかけてからつかっていたけど、やめた。
いまは そのまま料理にくわえる。
キャベツもしっかりまいているのを
1枚1枚はがしてあらうのはめんどうなので、
たいていそのまま包丁をいれる。
わたしが子どものころにみたCMでは、
やさいを洗剤であらっていた。
なかにはお米も洗剤であらうひとがいるのだそうだ。
潔癖症というより、そういうもんだと
はじめにおもいこんでしまったのではないだろうか。

国によっては、洗剤でお皿をあらったあと、
ゆすがないで そのままかわかすところもあるらしい。
水を節約するためらしいけど、わたしにはかなり抵抗がある。
レタスはあらう。
農薬がたくさんつかってあるような気がするから。
レタスはたいていサラダにつかうので、
あらうと水をきるのがたいへんだけど、それでもあらう。
キャベツはあらわず、レタスはあらうのだから、
けっきょくめんどうかどうかが わたしは問題なのだろう。

ごぼうはタワシでこするだけだ。
まえは包丁の背の部分でしごいていたけど、
タワシでじゅうぶんと、なにかでよんだ。
タワシだけでもじゅうぶんに皮がとれるので、
アクのつよさにこまったりしない。

やさいだけでなく、自分のからだも
せっけんをつけてあらわないほうがいいそうだ。
ゴシゴシたおるであらうと、
いかにもよごれがとれたような気がするけど、
とらないほうがいいものまで おとしてしまうらしい。
わたしもためしにせっけんをやめてみたけど、
からだのヌルヌルが気になって、1週間しかつづかなかった。
シャンプーは、週に1、2回しかつかわない。
毎日シャンプーをつけてあらわないと、
頭がかゆくてたまらない、とわたしがいったら、
毎日シャンプーするからかゆくなるんだ、としりあいにいわれた。
それ以來、シャンプーの回数をへらし、
お湯だけで髪をあらうようにしたら、
たしかに頭のかゆさがとまった。

洗濯は、下着とシャツだけ毎日かえる。
ズボンとアウターにあたるフリースは、よごれるまであらわない。
冬には1ヶ月以上おなじズボンとフリースのことがある。
職場のわかい女性が、ジーンズは夏でも1ヶ月以上つづけてはく、
というのをきいて、すっかり感心したのがきっかけだ。
彼女をみならって、あらわないでいたら、
冬だったら何ヶ月でも おなじズボンで大丈夫になった。
ただ、夏はにおいが気になるので、毎日あらっている。
夏でも1ヶ月おなじジーンズをはく女性は、
どんなかおりに到達してるのか興味がわく。
彼女の対極には、いちどぬいだ服は(ズボンもだろう)
かならず洗濯する、というひともいた。
つまり、夜ぬいだら、つぎの日は かならずべつの服をきる。
そんなことをしたら、洗濯がたいへんだ。
おどろきよりも ごうまんさをかんじたものだけど、
かんがえてみれば 彼女のほうが主流なのだろう。
おなじアウターをきつづけるわたしのほうが
遠慮して生きたほうがいい。

ざっとまとめてみると、やさいにしても からだにしても、
あらうかあらわないかは、クセみたいなもので、
なれたら あらわなくても なんてことはない。
ただ、自分のからだからでるにおいは、気づかないことがある。
汗くささをふりまいて、まわりをこまらせていないか
気をくばったうえで、あらわない生活をたのしんだほうがいい。

posted by カルピス at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする