2017年05月03日

ガルポプに、ついていけたいけど、ついていけないわたし

ヒャダインさんの「ガルポプ!」や
津野米咲さんの「ゆうがたパラダイス」をきいていると、
ゲストとのおしゃべりはすごくたのしいのに、
そこで紹介される曲のどこがいいのかわからない。
最近のお気にいりといわれる曲をスタジオでききながら、
「いいですね〜」といいあう場面でも、
わたしにはまるでピンとこない。
いまはやりの曲だけでなく、あの曲をなんどもきいてそだった、
みたいなむかしの曲名をもちだされても、
わたしはほとんどカヤのそとだ。
それだけオヤジ度がたかいということなんだろうけど、
残念だし、なんだかさみしい。
ヒャダインさんや津野米咲さんのような、
最前線をゆくひとの感性にふれ、
なんとかついていこうときめたのに、
きめたからといって ついていけるものではなかった。
音楽を理解するちからにとぼしいのは、
感性の問題だけに、だめなときは、
どこにもひっかかりがみつからない。

もちろん、このみにはちがいがあってあたりまえなのだけど、
たとえば本についてなら、すぐれているかどうかが、自分でわかる。
書評家の記事を参考にすることはあっても、
よんでみておもしろかったかどうかは 自分で判断できるし、
ある程度たしかな目をもっているとおもう。
本屋さんへいって、かう本にまよったり、
図書館でよみたい本をきめられないなんて
わたしにはかんがえられない。
でも、いまはやりの歌謡曲やアニソンは、
わたしがよさをしろうとしても、なんのことやらさっぱりわからない。

美術もにたようなものだ。
わたしはこれまで有名な美術館、
たとえばルーブルやオルセーをたずねたことがあるけど、
たくさん名作とよばれる作品がならんでいるのに、
ほとんどなんの感動もおぼえなかった。
こういうのは、どこがどういいのか、
こまかく説明されて納得するものではない。
理屈ではなく、感性の問題なので、
ピンとこなければそれでおわりだ。

ミュージシャンのはなしをきいていると、
順番として、わかいころに熱中した体験がまずあり、
そこをスタートとして、
あとは 自分のこのみがうつりかわる過程を観察していく。
わたしには、20歳をすぎてからききだした
RCサクセッションしか 核となる音楽体験がなく、
いまあたらしい曲をきいても、基準になるポイントがない。
わかいころにどっぷりつかった体験が、
どれだけ大切な財産なのかを いまさらながらおもいしらされている。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする