2017年05月05日

ものわかりのよさとコミュニケーション

ひごろ仕事で障害をもったひととせっしており、
そのなかには、いっけん障害があるようにはみえないひとがいる。
自閉症のひとがそうだし、精神障害の方も、
ちょっとかかわっただけでは 障害がわからない。
耳がきこえにくくて わたしのいったことが
つたわらないのかもしれないし、
ゆっくりあるいているひとは、
なんらかの病気でゆっくりしかあるけないのかもしれない。
声がちいさなひとは、なにかの事情があるのかも。
むこうからあるいてくるひとが、わたしにぶつかってきたときは、
もののみえ方に、なにか理由があるのかもしれない。
すごくふとったひとは、怠惰な生活の結果なのではなく、
ひとには説明できない 問題をかかえているのかもしれない。
なにごとも 自分を基準にきめつけてはろくなことがない。

で、わたしはなにかとものわかりがよくなり、
あいてのうごきに自分とちがうところがあっても、
たいていは「なにか事情があるのだろう」と
そのままスルーすることがおおくなった。
よほど確信をもたなければ、「もっとはやく」とか、
「もっとおおきな声で」とはもとめず、そのままうけいれる。
さらにいえば、障害とは関係なくても、
ゆっくりしたうごきやちいさな声は
そのひとのやり方であり、生きるスタイルかもしれず、
それはそれでわたしが干渉すべきものではない。

そうやって ものわかりよく解釈していると、
まわりとのトラブルはなくなり、
わたしがいやなおもいをすることもない。
でも、そうやっていろいろさきまわりするのは
たいしていいことではないような気がしてきた。
なにかの事情があるかもしれないけど、
それを指摘するのはけして相手を侮辱するのではない。
はじめからはっきりことばでといかけて、
それについて相手からの説明をうければいい。
気をまわしすぎて、さきまわりするよりも、
相手だって、そのほうがつきあいやすいのでは。
ことばでやりとりすればいいだけのことで、
コミュニケーションとはそういうものだろう。
相手の事情をうけいれつつ、
こちらはこちらのかんがえを説明すればいい。
気をまわしすぎると、コミュニケーションにならない。

いいたいことをいって、あいてのはなしもよくきき、
それですっきりした関係がつくれるひとが おとななのだろう。
そんなあたりまえのことを、このごろああだこうだかんがえている。

posted by カルピス at 18:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする