チャンピオンズリーグで活躍するモナコを、
「非凡な”普通さ”が最大の武器」と分析している。
https://www.footballchannel.jp/2017/04/21/post207735/3/
なにしろ、財政的にそれほどおおきくないクラブが、
あのドルトムントに2連勝したのだから、
なにか特別な秘密がかくされていそうだ。
よく練られてはいるが、特殊な守備戦術を用いているわけでもない。極めて普通の4-4-2である。そして、それこそが相手チームにとっての落とし穴なのではないだろうか。(中略)
モナコの守備が普通なので普通に攻め込むと、ボランチの守備力が普通ではない。奪われて「あっ」と気づいたときには手遅れ。モナコのカウンターが 発動する。
「ふつう」をつきつめると、非凡なつよさに到達するなんて、
いかにもわたしがすきそうなはなしだ。
「あたりまえ」や「ふつう」こそがだいじなんだと、
わたしは座右の銘に平凡さをあげている。
おおくのひとがもとめるのは、「ふつう」のくらしだ。
でも、「ふつう」はあんがいとらえどころがなく、
「ふつう」にくらしているときは、そのありがたさに気づかない。
なにかがおきて、ふつうでなくなったときに、
「ふつう」がいかにありえない状況だったかをしる。
ふつうこそ、最大にして最強のしあわせだ。
自分ではあたりまえだとおもっていることが、
ひとからみるとめずらしかったり、
あんがい いいレベルにたっしていたりして
ほめられたことがなんどかある。
なにを「ふつう」とかんがえるかは
ひとによってちがうわけで、
わたしの「ふつう」は、べつのひとの「ふつう」ではない。
モナコは「ふつう」そうにみせかけたのではなく、
「ふつう」そうだからと かってに油断する相手のほうがわるい。
とはいえ、サッカーの戦術として
「ふつう」が成立しているのをおもしろくおもった。
ふつうのことを ふつうにやれば ふつうでなくなる。
バルサやレアル・マドリーなどがつよいのは、
それぞれもっともらしい理由があるなかで、
「ふつう」をちからにするモナコのつよさは魅力的だ。