ラジオをきいていたら、ある番組で、
「そうじとかたづけはべつもの」といっていた。
かたづけができていないと、
いつまでもそうじがはかどらない。たしかに。
わたしは、このふたつをいっしょにあつかっていた。
かたづけながらそうじをする。
でも、じっさいは そんなことできっこないので、
どちらも中途半端におわる。
わけてあつかったほうがいいことって、ほかにもありそうだ。
旅行は、計画と実行とべつものかもしれない。
食事は調理と じっさいにたべる行為にわける。
結婚は、婚前と婚後ではないか。
世のなかには、なにかとふたつにわけるのがすきなひとがいて、
たとえば「あなたは犬派?それともネコ派」
なんてよくいうし、
「人間は2つのタイプにわけられる。
自分できめられるひとと、きめられないひとだ」
なんてのもどこかでよんだ気がする。
皮肉って、
「ひとは2タイプにわけられる。
2タイプにわけたいひとと、そうでないひとに」
なんていいたくなるくらい
よくみかけるとらえ方だ。
あんがい、2つにわけてあつかうのは、
ただのおもいこみで、
ほんとうは3つなのかもしれない。
「2つ」のあいだには、
巨大な第三地帯がひろがっているのではないか。
梅棹忠夫さんは、東洋と西洋のあいだに中洋があると指摘した。
おなじように、犬派とネコ派のあいだには、
どちらでもない おおぜいのひとがいるのでは。
家がいつまでもかたづかないのは、
第3の要素をみおとしているからだ。
それがなにかを発見できたら、
わたしの机は画期的にととのえられる。