子どものころから アフリカの少数民族にあこがれてきた著者が、
なんどかの訪問での、めずらしい体験をつづった記録。
おなじ格好をすれば仲よくなれると、
ナギ氏は裸になって少数民族とおなじ衣装を身につける。
アフリカの奥地へでかけるのだから、どんな女性かとおもったら、
はじめは ものすごく旅なれないひとだった。英語もはなせない。
はじめての旅行先としてエチオピアへでかけたとき、
「Hello」と「I'm fine!」と、「Hungry」「Sleepy」が言えるくらいのスキルしかなかった。
のだから、よくひとりで でかけたものだ。
日本ではひっこみじあんで、
友だちもあまりいなかったとある。
だから日本に執着せずに、アフリカへむかえたのかもしれない。
ほとんど英語がはなせなかった著者が、
なんどかアフリカにおとずれるうちに、
かなり複雑な内容でも理解し、つたえられるようになっている。
つたえようという気もち・ききとろうとする熱意が
なによりも大切なのだろう。
金をくれと、しつこくつきまとう子どもたちに
「私は超貧乏で・・・」と通訳につたえてもらうと、
ひとりの少年が
貧乏なら、僕ん家でごはん食べよう!
僕ん家も貧乏だけど、インジェラ(エチオピアの主食)ならあるから、
それでもよければお腹いっぱいになるまで
食べてって!遠慮はいらないから!
といったはなしがよかった。
じっさいに少年(タジボ)の家をたずねると、
4畳半ほどの倉庫みたいな部屋に、
お母さんとタジボ兄弟の4人がくらしていた。
私はお金持ちではないので大きなサポートはできないのですが、私のできる範囲内で、タジボの将来を少しだけ応援させてもらえたら嬉しいです。とりあえず、今、私がタジボにできることを教えてもらえませんか」と伝えると、お母さんはこう返してくれた。
「神様が、息子のもとにナギを送ってくださったのだと思います。私たちは貧しい生活に慣れております。だから大金も必要ありません。ただ、しいて言うならばウチの子は半ズボンしか持っていません。朝と夜は寒く、足もケガばっかり増えてしまうので、長ズボンだけいただけたら嬉しいです」と。
貧しいくらしなのに、長ズボンしかもとめないとは、
なんてうつくしい精神なのか。
自分がとんでもない欲ばりにおもえてくる。
タイトルが「裸でアフリカをゆく」となっているけど、
もちろんいつも裸ですごしているわけではない。
あいてとの距離をちぢめ、こころをひらいてもらうのに、
いちばん効果的な方法が、おなじ格好をする、だった。
ただ、いい写真をとろうと、計算づくでの裸ではない。
子どものころにはじめてマサイ族をみたときから、
彼らの民族衣装をかっこいいとおもい、
おなじ格好をして おなじ時間を共有するのが著者の夢だった。
カメルーンでコマ族のくらす集落をたずねたとき、
かたい雰囲気をなんとかしようと、著者ははじめて裸になる。
この日、幼少期から抱いていた私の”同じ姿になったら仲よくなれる”という根拠のない自信は、長い年月を経て”確信”へと変わり、遠く離れたカメルーンの長老の心に私の思いは届いた。(中略)
言語の壁を簡単にぶち壊してくれるのは”態度で示すこと”なのだと思った。無表情だったコマ族の奥様たちの笑顔を見たとき、”脱いで本当によかった”と思ったし、初めて身にまとった葉っぱスタイルにとても興奮した。
素直にかかれた文章もいいけど、写真がまたすばらしい。
アフリカの、そして少数民族のうつくしさが
彼女の写真には とてもよくあらわれている。
あいてのふところにとびこんでいくので、
こんなすばらしい写真がとれるのだろう。
寝酒によっぱらいながら、
「『野生のエルザ』でアフリカにあこがれたおれが、
この本でまたアフリカによばれた。いくしかない!」
とわたしは興奮ぎみにメモをのこしていた。
そんな気にさせてくれるぐらい、この本は刺激にみちている。