2017年07月31日

意外とむずかしいラズベリー賞

ラジオをきいていたら、ラズベリー賞が話題になった。
家にもどってからウィキペディアをみると、
へたな演技やサイテーな作品におくられる賞らしい。
毎年といってもおおげさでないくらいに、
シルベスター=スタローンとマドンナが名をつらねている。
『ワーキング・ガール』のメラニー・グリフィスも常連さんだ。
ほかにも、なんども名前があがっている役者さんがいる。
ヘタといわれてもめげずにつづけたから
スターになったのかもしれない。
それとも、ヘタなひとは、ずっと安定してヘタなのだろうか。
ラズベリー賞をうけたひとのなかには、
アカデミー賞の受賞者もいるので、
そのヘタをかわれて監督にえらばれ、
ヘタをいかすよう上手に演出したら
おもってたよりもうまくいったのかもしれない。
うまいといわれているひとがラズベリー賞をもらった場合は、
そのまま監督の演出がひどかったのだろう。

なんねんかまえのお正月にみた『ロッキー3』は、
すさまじくひどかった。
いくらお正月の深夜番組といっても、
ここまで退屈だとすくいようがない。
でも、ほかの局だって、三流映画ではないにしても、
にたりよったりのうすっぺらな番組だったので、
がまんくらべのように しばらく『ロッキー3』につきあった。
深夜にすごしたトホホな時間として、いまでも記憶にのこるお正月だ。
サイテーな作品にも すこしはすくわれる面がある。
それこそラズベリー賞の趣旨ではないだろうか。
『ロッキー3』は、つくられた年のラズベリー賞をのがしているので、
ほかにも もっとうわてがいたことになる。
映画の世界はさすがに奥がふかい。

名誉挽回賞なんて部門がつくられる年もあり、
スタローンは2015年に『クリード チャンプを継ぐ男』で
この賞を受賞している。
常連さんが、名誉挽回賞を受賞してうれしいかどうかは、
本人にきいてみないとわからない。
あそびなんだから、あんまりリアルにやらないほうが、ともおもうし、
そうやって適切な評価をかかさない目くばりも大切におもえる。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

小学生のころの夏やすみをうわまわりたい

きのう・おとといがわたしの週休だったので、
きょうものんびりすごしたくなった。
そういえば、いまは夏やすみの時期だ。
わたしにも夏やすみらしい休暇がほしい。
カレンダーをみると、お盆にからめた5日間が
わたしの「ことしの夏やすみ」となる。
あと2週間は、あつさのなか
日常の仕事をつづけなければならないし、
やっとたどりついても、たったの5日間だ。
2年まえに仕事をやめたとき、10ヶ月ほど無職の時期があった。
夏やすみどころか、かなりながめのバカンスをすごしたわけで、
いったいなにをしてたのだろうと、日記をひっぱりだす。

毎日がやすみなのに、けっこういそがしくすごしている。
トレーニングを中心に、田んぼと畑へ自転車でいき、草とりをしたり。
トレーニングは、レースまえだから、というよりも
わたしは 週に3回 ジムにいきたい人間のようだ。
レースがおわっても、その週からすぐにジムにかよっている。
ピピはほぼいまとおなじような状態で、
夜中にわたしをおこしてごはんをねだっている。
日中はねてばかりで「もう死ぬんじゃないかと心配する」
なんてかいているのもいまといっしょだ。
けっきょく、バカンスだろうと、仕事をしていようと、
おなじようなすごし方なのがわかった。
計画をたてなければ、時間がいくらあっても どこかへきえていく。
やすみのときに計画なんてたてたくないし。
あーだこーだと、わたしはなにをもとめているのか。

そういえば、夏やすみだからといって、
のんびりたのしくすごせたかというと、
これまでにそんな夏はなかった。
小学校のときは、まだ夏やすみの意味がわからず、
ただのながい休暇として 近所のなかまとあそびまわっていた。
それこそが、ほんとうの夏やすみかもしれないけど、
おとなになったいま、おなじことはできっこないので、
もっともらしく 例外としてくくっておく。
中学校・高校は夏といえば部活(水泳部)だったし、
大学のときはアルバイトで無為にすごしていた。
夏やすみは、おとなになってからこそ
本格的にたのしむものかもしれない。

気をつけなければらないのは、
イメージとしての夏やすみが先行しがちな点だ。
なにかしらのテーマをきめて、その年ならではの夏やすみにするのは、
いかにも良識をわきまえた おとながしそうなことで、
そうでないすごし方をわたしはもとめたい。
なにか有意義にときをすごそう、ということではなく、
大切なのは、あーたくさんあそんだ、という充実感だ。
と、けっきょく小学生の夏やすみにかえってしまう。
小学生のころの夏やすみをうわまわるのは かんたんではない。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

まずいカレーはない、はほんとうか

朝日新聞に連載されている「つれづれ歳時記」に、
伏木亨さんの「カレーライス」がのった。
カレーライスがかならずおいしいのはなぜか、についての記事だ。
まずいカレーライスをたべたことがない、
どうして失敗しないのか、という疑問から、
伏木さんはカレールウの油脂に着目し、
3種類のカレーをつくって試食実験している。

1 市販されているレトルトカレー
2 原料の油脂を大幅に削減したカレー
3 2のカレーに、何種類かの味をたして、
 コクのある濃い味を狙ったもの

なぜおいしいのかではなく、
まずいカレーはなぜないのか、という発想がおもしろい。
結果は、1のカレーだけがおいしいと評価され、
2と3はあきらかに満足感がたりなかったという。

しかし、一週間後に、こんどは一種類ずつ試食してみると、
はじめの実験とはちがう結果がでている。
3種類のカレーとも、たかい評価をえたというのだ。
伏木さんによると、比較するからちがいをかんじるそうで、
なんだか わかったような、わからないようなはなしだ。
これで納得してしまっていいのか。
私たち一般人は、1週間前に食べたカレーの味を正確には覚えてはいない。その時に自分が感じた感覚を言葉で覚えているだけである。だから、1週間の間を置いて中身の情報なしに食べると、優劣を比較することができない。カレーライスという料理だけで私たちは十分においしいのである。

 カレーライスに関しては、まずいという評価は、目の前でカレー同士を比較した時にだけ現れる特別の場合にかぎられるようである。カレーはどこで食べても美味しい理由である。

「カレーライスという料理だけで私たちは十分においしいのである」
というわれると、なんだか残念だ。
かんしい気もちさえする。
わたしたちの舌は、そんなにも気がきかないなんて。
ちょうど和歌山市でおきたカレー毒物混入事件から19年たったと
ある記事がつたえていた。
カレーであれば、わたしたちの舌は無条件でうけいれる。
だからあれだけの被害がひろがったのだろうか。

わたしが家でつくるのは、
クミンやコリアンダーなどをつかうインドカレーだ。
カレールウではなく、スパイスだけをくわえ、
そんなに手間をかけなくても、じゅうぶんおいしいカレーができる。
油はそんなにたくさんつかわない。
種類によってはギトギトのカレーもあるだろうけど、
インドカレーがイコール油っぽいとはおもわないほうがいい。
タイのカレーだって、どちらかといえばサラサラしている。
油脂がすくないとおいしくないという伏木さんの実験は、
あくまでも日本のカレーライスであり、
カレールウをほめたほうがいいのかもしれない。

くらべなければ、まずいカレーがない、
という伏木さんの説は、ほんとうだろうか。
いくら実験の結果とはいえ、すんなりとはしんじられない。
まずい、とまではいかなくても、
おいしくないカレーは、なんどもたべたような気がするけど。

posted by カルピス at 11:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月28日

コンフィデ杯でしるサッカー強豪国のレベル

すこしまえにロシアでひらかれていた
コンフィデレーションズカップをみていたら、
Jリーグの試合とまるで迫力がちがい おもしろかった。
シュートの精度やゴールキーパーの技術におどろく。
ひるがえって、コンフィデ杯のあとにJリーグをみると、
なにもかもがものたりない。
くらべるほうがムチャなはなしであり、
JリーグはJリーグで、いいところがあるのだから、
いまさらサッカー先進国にあこがれてもしょうがない。
とはわかっていながらも、世界との差は、
まだこんなにあるのかと、再確認させられた大会だった。

先日は、ドルトムントとセビージャを招待しての親善試合が
Jリーグのあいまにおこなわれた。
サッカーライターの西部謙司さんが
「ヨーロッパトップクラブと試合をする意味」という題で、
もっと強豪チームとの試合を、と問題提起している。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/nishibe/kiji/20170726s00002368279000c.html
Jクラブがヨーロッパ勢との差を詰めるには、ある意味気の遠くなるぐらいの努力が必要だとわかったのではないか。でき上がっているチーム(Jクラブ)が個の能力だけで あしらわれてしまっている以上、まず個のレベルを上げないとどうにもならない。しかし、レベルアップした個はヨーロッパに吸い上げられてしまう。(中略)こうした現状を目の前につきつけられるだけでも、ヨーロッパのトップクラブを招待した価値がある。

J1の下部リーグにJ2があり、そのまたしたにJ3とJFLがある。
日本代表やJ1だけが日本のサッカーではなく、
下部リーグは下部リーグで、おもしろい試合がおこなわれ、
サッカーファンの人生をゆたかにしてくれている。
どこにサッカーのおもしろみをみいだすかは、
サポーターひとりひとりによってちがってくる。
とはいえ、Jリーグのレベルが、世界とくらべたときに
歴然とした差があるのも事実であり、
それを解消していくためには、世界のトップレベルのチームと、
もっと試合をくんで、現状を認識するしかない。

コンフィデ杯での試合は、グループリーグでも、
3位決定戦でもおもしろくみれた。
試合によっては選手をがらっといれかえたり、
若手主体でのぞんだりしているけど、
それによって試合の質がおちるのではなく、
機会をあたえられた選手がいいプレーをみせている。
コンフィデ杯に参加した国は、これからのチームづくりにむけて
貴重な経験になっただろう。
アジアからは2015年のアジア杯で優勝した
オーストラリアが参加していた。
アジア杯の準々決勝で、日本がアラブ首長国連邦にまけたとき、
にがしたのはアジア杯の優勝だけではなく、
2017年のコンフィデ杯の参加権だったことに、
あとになって気づく。

posted by カルピス at 10:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

食は、「うますぎてもはやおそろしい」世界へはいりこみつつあるというデイリーポータルZの指摘

デイリーポータルZにのった
「こわがりが厳選するうますぎてもはやおそろしい食べ物6品」
(古賀及子)にかんがえさせられた。
http://portal.nifty.com/kiji/170721200216_1.htm
ふつうによむと、なんのことだかわからないのではないか。
ポイントは「うますぎてもはやおそろしい」にある。
お店でうっているたべものは、
「おいしい」とおもってもらえるように
工夫をこらしているわけだけど、
それにしても限度がありはしないか、という問題提起だ。
一線をこえてしまえば、「うますぎてもはやおそろしい」
世界へと いっきに突入する。

たべもの関係の記事はふつう、
基本的に「おいしい」ものを紹介している。
でも、はたしてほんとうに
「おいしい」をもとめつづけて いいのだろうか。
まってるのは、もしかしたら地獄かもしれない。
それらの反省から、いろんな食材と時間を、
あれもこれもつぎこんで「おいしい」を目ざすのではなく、
おいしさの さらにさきにあるものに
世のなかが目をむけるようになった。
デイリーポータルZでいうと、
「弁当をパフェにする」や
http://portal.nifty.com/kiji/160725197049_1.htm
「揚げ物に油をかけると、すっげーウマい」
http://portal.nifty.com/kiji/170314199029_1.htm
みたいな記事を、このごろひんぱんにみかける。

グルメだなどと、はしゃぎすぎた反動が、
こういううごきとしてあらわれたのだろう。
問題は、記事にあげられた6つの商品が、
はたしてわたしにとっても「うますぎてもはやおそろしい」
とかんじられるかどうかだ。
たとえばラジオをきいていると、歌に関するわたしの感性は、
どうもあまり敏感ではないようにおもえてくる。
司会者とゲストが「いい曲ですね〜」と
もりあがっているのに、わたしにはさっぱりな曲のほうがおおい。
ラジオ番組だから、むりして感動しているときもあるだろうけど、
そればかりではないはずだ。

おなじように、わたしはいわゆる味覚オンチのような気がする。
そもそもおいしいものをほとんどもとめないし、
おいしいとかんじるものは、
やすくて量のあるたべものであることがおおい。
脳みそが、味覚よりも生存に有利なほうをもとめるからだろう。
「うますぎてもはやおそろしい」かどうかは、
味覚にたいする共通の感覚を前提としている。
そのうえで、過剰なうわのせを「もはやおそろしい」レベルと、
評価するあそびごころが この記事の骨子だ。
わたしの味覚は、まだそこまでたどりついていない。
たべものの進化が どのようにこわいか 気になってくる。

posted by カルピス at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

村上春樹の「午後の最後の芝生」にでてくる女性は、防衛家のヒトビトの「母さん」だ

村上春樹の「午後の最後の芝生」にでてくる女性は
なんだかかわったはなしかたをする。
まえの記事で、ジャンヌ=モローにいている、
なんてかいたこともある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/368213203.html
「亭主は休みになると芝生ばかり刈ってたよ。それほど変人ってわけでもなかったんだけどね」(中略)
「亭主が死んでからは」と女は言った。「ずっと業者に来てもらってんだよ。あたしは太陽に弱いし、娘は日焼けを嫌がるしさ。ま、日焼けはべつにしたって若い女の子が芝刈りなんてやるわきゃないけどね」

このまえふとおもいついた。
この女性は、朝日新聞に連載ちゅうのマンガ、
「地球防衛家のヒトビト」(しりあがり寿)にでてくる「母さん」だ。
もし本人でなければ、「最後の芝生」にでてくる女性のいもうとさんが
「母さん」かもしれない。
ややこしい関係だけど、ふたりとも雰囲気がそっくりなのだ。

でも、「母さん」を小説の中年女性にすえると、
ものがたりのふかみがまるでちがってくる。
小説をかいたことがないのでよくわからないけど、
登場人物をひとりいれかえるだけで、
小説はまるでちがう作品になってしまうのに気づいた。
「最後の芝生」の中年女性と、「防衛家のお母さん」は、
たとえよくにたしゃべりかただったとしても、
いれかえがきかない存在だ。
おたがいに、自分のホームでないと生きられない。

『55歳からのハローライフ』(村上龍)に、
「空を飛ぶ夢をもう一度」という短編がおさめられている。
重病の友人につきそいながら、
バスにのって さいごの旅にでかけるはなしだ。
あらすじはすこしもにてないのに、
ふるいアメリカ映画『真夜中のカウボーイ』のラストをおもわせる。
登場人物のひととなりは、映画とぜんぜんちがうのに、
その場面の雰囲気がよくにているので、パクリにみえてしまう。
パクリといってわるければ、
オマージュでも、インスパイアでもいいけれど、
村上龍さんは、確信的に『真夜中のカウボーイ』を
自分の小説にとりこんでいる。

小説のなかに、雰囲気はにているけど、
キャラクターとしてはぜんぜんちがうひとをもってくると、
作品世界がまったくくずれてしまう。
それに対し、病人をバスにつれこむ設定だけがおなじで、
あとはまるでちがう状況をえがいていても、
元ネタがすぐにわかる作品もある。

なぜいっぽうは、にていても、とりかえがきかないのに、
もういっぽうは、にてないのに、全体の雰囲気がいっしょになるのか。
いいところをついたつもりだったけど、
このままではうまく整理できていない。
この夏の課題としたい。

posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

ブルートゥースイヤホンの自由におどろく

わたしの誕生日は7月15日だ。
そんなのどうでもいいというひとは、
糸井重里さんちのブイヨンくんとおなじ日だといえば
すこしはおぼえやすいだろうか。
いまさら誕生日をいわう年でもないので、
ほかの日とおなじように淡々とすごしたけど、
自分にプレゼントするのは わるくないかも、
とあとからおもいついた。
アマゾンでブルートゥースのイヤホンをさがす。
SoundPEATS(サウンドピーツ)Q12という
2400円ほどの商品を注文した。

まえからワイヤレスイヤホンがほしかったけど、
線がないだけのイヤホンが ほんとうに必要かというと、
ムダなかいものでしかないような気がしてくる。
これまでになんどかおなじ筋道で
ほしくなる、でも我慢する、をくりかえしてきた。
でもまあ、これはプレゼントなのだからと、
必要かどうかより、あそびの要素を大切にしたいとおもった。
もうのこりの人生はそうながくないのだから、
我慢するより はじめての体験をあじわったほうがいい。

ひとむかしまえのおもいでになるけど、
ノートパソコンをはじめて無線LANにつないだとき、
あんまり快適なのに すっかりおどろいてしまった。
線をいくつもつけたノートパソコンなんて、
ノート型であるメリットをほとんどいかしていない。
ノートパソコンをかかえて部屋を移動しても
ずっとネットにつながっているのは
ものすごく自由で身がるな世界だった。
線につながれたパソコンと、ワイヤレスのパソコンは、
まったく別ものだとつよくかんじだ。

ワイヤレスイヤホンは、あのときのおどろきを
ふたたびわたしにもたらすかも、という予感があった。
線があるかないかは、みかけよりずっとおおきな変化で、
なにかを決定的にかえるのでは。

わたしとしてはめずらしく、
この予想はぴったりあたった。
ブルートゥースのイヤホンをつけると、
ものすごく自由で身がるだ。
なんでいままでつかわなかったのだろう。

イヤホンをつけてあるいているひとを、
あたりまえながら 町でよくみかける。
そのほとんどがコードつきのイヤホンだ。
おおくのひとは、わたしとおなじように、
たかだか線があるかないかのちがいだからと、
ワイヤレスイヤホンにきりかえるのを
あとまわしにしているのではないか。
線につながれていない世界をいちど味わえば、
もうあとにはもどれないだろう。
無線LANと有線ランのちがいとおなじだ。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

てっとりばやくしあわせになる方法

中島らもさんがなにかの本で
てっとりばやくしあわせになる方法を紹介していた。
自分の頭をポカポカ一定のリズムでたたきつづけるのだそうだ。
頭をたたけば、とうぜんそれなりにいたいおもいをする。
なんでそれが「しあわせ」につながるのかというと、
たたくのをやめたら 確実にくるしみから解消されるので。
あたまをたたきながらも、もうすこししたら たたかなくてすむ、
「しあわせ」な瞬間がおとずれるのをこころまちにする。
たたきはじめるのが自分なら、やめるのも自分であり、
自分ひとりで 勝手に いたがったり、しあわせになったりする。

ブログもあんがいよくにていたりして。
自分で勝手にかきはじめておきながら、
かくことがない日はウンウンいってネタをさがす。
たまにすんなり記事がかけ、はやい時間に更新できると
いちにちの のこり時間がたくさんあり、
すごくしあわせな気分にひたる。
勝手につづけているのは自分なわけで、
自分ではじめ、自分でくるしんでいる。
あたまをたたけば ただいたいだけだけど、
ブログをかくと たのしいことだってたまにはある。
やがていたみがここちよい刺激にかわり、
そのうちやめることさえできなくなる。
もはやヨレヨレになりながら まえへすすむしかない。

よくかんがえてみると、自分であたまをたたくのは、
ただの冗談で、かならずしもしあわせとは 関係ないかもしれない。
わざわざそんなことをはじめるより、
なにもせず ボーっとしていたほうが「しあわせ」なのでは。
ただ、世の中には、いろんなしあわせがあるので、
いったいどれがほんとうのしあわせなのか わからなくなってくる。
ものがあっても なくても、
しあわせなひとがいるし、そうでないひともいる。
さんまさんが発見したように、
ポン酢しょーゆがある家こそしあわせだというとらえ方もできるし、
愛がなくてもしあわせだというひともいる。
そんななかで、あたまをたたくのが
絶対にまちがっているとはだれにもいえないだろう。
しあわせだとおもえば、どんな場合でもしあわせであり、
いまわたしは しあわせだとおもっているから しあわせなのだ。

posted by カルピス at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

2007年のアジア杯をおもいおこす ハノイ的なあつさ

つよい日ざしがさしてるわけではなく、
気温も33℃くらいだったけど、
きょうはとてもむしあつく、くるしい日となった。
いったことはないけど、ハノイの気候が
こんなふうだときいたことがある。
かんがえようによっては、ただでハノイのお天気を
体験しているわけだから、
格安で海外旅行にでかけたといえないこともない。
ハノイにいったつもりで、
ベトナム料理をたべにいく手がある。
飛行機代と宿泊費をはらわないのだから、
ちょっとぐらいたかいお店にはいっても大丈夫だ。
わたしのすむ町にはベトナム料理店がないので、
かわりにスリランカ料理としたい。
なにかのイベントをしないとおさまらないぐらい、
きょうの天気は常軌をいっしていた。

2007年のサッカー・アジア杯は、
ベトナム・マレーシア・インドネシア・タイと、
4カ国共同開催のかたちでひらかれた。
グループBにふりわけられた日本は、
予選3試合をハノイのミーディン国立競技場でたたかっている。
このときのハノイがたいへんなあつさで、
気温40℃、湿度90%とつたえられていた。
当時はオシム監督が日本代表をひきいており、
あつさのなか指揮をとるオシムさんの体調を心配したものだ。
決勝トーナメントにかちあがってからも、
準々決勝の対オーストラリア戦、
準決勝のサウジアラビア戦はひきつづきハノイでおこなわれた。
サウジアラビアに2−3でやぶれ、結果的に4位でおわったのは、
酷暑のハノイにながくとどまり、体力をうばわれたのが
日本にとって不利にはたらいたといわれている。
4カ国共同開催となり、開催地によって
条件がおおきくことなった2007年のアジアカップは、
あつさが影の主役であり、なかでもハノイの酷暑はきわだっていた。

この大会で優勝したのは、政情不安がつづき、
練習もままならないなか出場したイラクだ。
国のため、国民のために感動的なプレーをくりひろげたイラクは、
優勝にあたいするすばらしいチームだった。
日本代表だって、けしてなさけない試合をしたわけではなく、
これから2010年W杯南アフリカ大会をめざして
どんなチームにそだっていくのかたのしみとなった。
しかし、2007年の年末に、オシム監督が脳梗塞でたおれる。
もしもあのままオシムさんが・・・と、
サッカーファンはありえたかもしれない最強の日本サッカーを
いつまでも胸にいだきつづけことになる。
オシムさんがわたしたちにしめそうとした夢は、
いまなお未完のまま、だれかがなしとげてくれるのをまっている。

あれから10年がたち、日本代表の顔ぶれはすっかりかわった
(川島選手が第3のゴールキーパーとして、
ただひとり名をつられていた)。
かわらないのはハノイのあつさくらいではないかと、
いったこともないのに、日本代表の試合ぶりをおもいだす。
きょうのあつさは、ハノイ的ともいえる、つらくきびしいものだった。

posted by カルピス at 18:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

『SONGS』〜中島みゆきトリビュート〜 どんなときでも中島みゆきにすくわれる

録画してあった『SONGS』〜中島みゆきトリビュート〜をみる。
島津亜矢・大竹しのぶ・クミコの3人が、中島みゆきの曲をうった。
あるひとたちにとって、中島みゆきは特別な存在なのだ。
わたしもまた、中島みゆきにはお世話になっている。
なにかのはずみで寝酒をのみすぎるとよく、
ゴソゴソとiPodからアルバム「大吟醸」をさがし、
「狼になりたい」「ファイト!」などをきくのがお約束だ。
よっぱらって、グテグテになった頭で
「おれはたたかっているか」と自問する。

番組のなかで、大竹しのぶさんは「ファイト!」をうたった。
画面には歌詞ものせられている。
いろんな解釈ができる歌詞で、
いつもはぼんやりきいているだけだけど、
こうやって歌詞を目にすると、いまさらながら
ちからづよい曲なのに気づいた。
勝つか負けるかそれはわからない
それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました

「勝つか負けるかそれはわからない」がすきだ。
それでもとにかくたたかいの場にあがるしかない。

はじめてこの曲をきいたのは、
仕事が一段落し、事務所にかえろうかと
車のエンジンをかけたときだった。
ささやくようなうたい方から、
さいごにはおおきな声で「ファイト!」をくりかえす。
おしまいまできいてから、中島みゆきの
「ファイト!」なのだとしった。
それ以來、「ファイト!」はいつもわたしのとなりにいる。

中島みゆきの曲の ほとんどがそうであるように、
「ファイト!」もまた、おおくのひとにとって特別な存在だろう。
なんだかんだいいながら、わたしがきくのは
けっきょく「RCサクセション」と中島みゆきばかりだ。
彼らの曲だけで、すべての用がたりてしまう。
いろんな気もちになったとき、いずれかの曲がわたしをなぐさめ
リラックスさせ、ちからづけてくれる。

大竹しのぶさんによる「ファイト!」もまたすばらしかった。
彼女がこの曲に、どれだけすくわれてきたのかをおもった。

posted by カルピス at 15:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

「デイリーポータルZ」気になる3作

デイリーポータルZに林雄司さんの
「もうひとつの人生ごっこ」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/170707200089_1.htm
どこかしらない町に、もうひとりの自分がすんでいるかも。
もうひとりの、ありえたかもしれない自分はどんな人間か。
おぼえのない部屋にたたずんでいると、
しらない「友人」がたずねてくる・・・。

すごい企画だとおもうけど、
ここまでくるとさすがにわかりにくく、
記事をぜんぶよんでようやく設定がみえてくる。
被験者となったひとは、記憶喪失になったようなもので、
かんがえても、おもいだそうとしても、
当然ながらなにもみえてこない。
こうしたややこしい状況をおもいつき、
具体的な形にしてしまうのが
デイリーポータルZの、そして林さんのすばらしさだ。

この記事の対極にくるのが、與座ひかるさんの
「街中で勝手にテープカットすると楽しい」。
http://portal.nifty.com/kiji/170719200179_1.htm
タイトルだけで、内容がわかってしまうけど、
これもまた、じっさいにやってしまうのがえらい。
テープカットを体験した與座さんの後輩は、
「……本当に何も思わない」
「切ったら何か思うのかと思ったけど」

と感想をはなしている。そうだろう。
わたしもまえからあのテープカットを不思議におもっていた。
なぜ、あんな儀式をするようになったのか。
ひとりがテープにはさみをいれるのならまだしも、
4、5人がならんで「せーの」と同時にアクションするのは
ありえない光景で、ものすごくバカバカしいしくみえる。
與座さんによると、「赤絨毯が超大事」らしい。
やってみないとわからない発見だ。

そしてもうひとつ。
ヨシダプロ氏による「ももちゃん」シリーズの最新作は、
「柴犬がアイスに似ているので『柴アイス』を作ってみた」。
http://portal.nifty.com/kiji/170714200147_1.htm
今回は、ももちゃんの茶色い毛が、
キャラメルソースにみえてしかたがなかったという動機から、
アイスでももちゃんの顔をつくり、
そのうえにキャラメルソースをかけている。
これまでにつくってきたパン・大根おろし・コロッケとくらべると、
キャラメルソースはむりやり感にみちている。
まあ、けっきょくのところおあそびなのだから、
ももちゃんにはもうしばらく我慢してもらって、
このシリーズのさらなる発展をたのしみにしたい。

posted by カルピス at 20:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

RCによせる ひとりよがりのファン心理

仕事の移動ちゅうに、車のラジオから
「歌謡スクランブル」(NHK-FM)がながれてきた。
「きらめきのメロディー」と名づけられた特集で、
吉田拓郎の「サマーピープル」、
ユーミンの「避暑地の出来事」などが
つぎつぎに紹介される。
そして、いちばんさいごにながれたのは、
RCサクセションの「雨あがりの夜空に」だった。
ラジオでこの曲をきくのははじめてで、
おもわずとおまわりして、曲をおしまいまできく。
ラジオでRCがながれる機会は めったにない。
これまでに「トランジスタ・ラジオ」をいちどきいたきりだ。

「きらめきのメロディー」とは、
どんなジャンルをさしているのかよくわからない。
1時間にながれた14曲は、いったいどんな共通点をもつのだろう。
ぜんぶの曲を集中してきいたわけではないけど、
「雨あがりの夜空に」だけが特別で、
あとの曲はふつうの歌謡曲ということがわかった。
ファンならではの ひとりよがりな感想ではないとおもう。
ぼんやりきいていてもRCとほかのミュージシャンは
あきらかになにかがちがう。
いつもRCの曲だけをきくので、こんなあたりまえなことに
これまで気づかなかった。
いまさらながらの新発見だ。
それだけ「雨あがりの夜空に」は
決定的にほかの曲とはべつの世界をつくっていた。

不思議なのは、ほかのひとが
なぜこの事実に気づかないのかということで、
RCの曲をいちどきけば、
だれでも「新発見」しそうなものなのに。
わかっているひとは、もちろんたくさんいる。
だからこそ、14曲のいちばんさいごに
あたりまえながら「雨あがりの夜空に」がえらばれたのだ。
「雨あがりの夜空に」だけが
「きらめいてるメロディー」とはおもわないけれど、
14曲のなかで別格であるのはまちがいなかった。
14曲にまじりながら、どうしても そこだけをちがう時間にしてしまう。
しつこく くりかえすけど、
「雨あがりの夜空に」1曲だけが突出しており、
のこる13曲は、ごくふつうの歌謡曲にすぎなかった。

ながねんRCのファンであるわたしでさえ、
「いまさらながらの新発見」として、
RCの位置づけに気づくのだから、
RCをききなれないひとにとって、
彼らの曲はあまりにも異質すぎ、
理解には いっていの時間が必要なのかもしれない。
RCのすごさに気づく瞬間を、たのしみにしてほしい。

posted by カルピス at 21:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

『ベスト10 本の雑誌』本の雑誌がえらんできた28年間のベスト10

『ベスト10 本の雑誌』(本の雑誌社)

1989年から2016年まで。28年間に本の雑誌が選んだ年間ベスト10がこれだ!

とある。
28年にわたるながい年月のなかで、
「本の雑誌」がとりあげてきた最良の記事を
10えらんだのかとおもっていたけど、ちがった。
『本の雑誌』は、毎年1月号に、その年のベスト10をえらんでおり、
この本は、28年分の座談会をぜんぶまとめたものだ。
28年分の「年間ベスト10」があつめられると、
たしかにこれは、ひとつのまとまりであり、
本えらびに役だちそうだ。
1500円(プラス税)なのですこしまよったけど、
目黒考二さんの「まえがき」をよむと、
この本は かうだけのねうちがあるとおもえてくる。
きちんと議論せず、声の大きい者、早く発言した者の推薦本がいつも上位を独占している、という批判はあるかもしれない。そう指摘する人がいたら、すみません、と言うしかない。本当にそうなのだから。ただひとつ言えることは、こういうベスト10はお遊びだということだ。もともと本に順位をつけること自体が可笑しいのである。本とはそういうものではない。だからこれは、お遊びにすぎない。

わたしも、ずいぶんテキトーなはなしあいで
ベスト10がきまってしまう座談会をよみ、
さすがにこれはいいかげんすぎると、しばしばおもっていた。
でも、「お遊び」とおもえば 納得できるし、
よくそのスタイルを28年間もつづけたものだと感心する。
その年のベスト10を参考に、本をよんでみると、
わたしにはさっぱりよさがわからないものがある。
本の雑誌がえらぶベスト10と、わたしのこのみは、
たいして相性がよくないけれど、
一年にいちどのおまつりとして、毎年たのしみにしている。

ベスト10えらびをまとめてよんでいると、
1回の座談会を もっとながく紙面にのこしたほうが
いいようにおもえてくる。
討論を、たった7ページにまとめてしまうのではなく、
議論をつくして作品のよさをつたえてほしい。
一年にいちどのイベントなのだから、
ほかの企画はサラッとながして、
圧倒的なボリュームを、ベスト10えらびにささげたほうがいい。
なぜ自分はこの本をえらんだのかを、
推薦するものが、くわしくはなしてくれたら、
読者はきっとその本をよみたくなる。
バランスなんてかんがえず、
「超大型特集」としてのベスト10をよんでみたい。
そうすると、別冊の形になってしまうのだろうか。
ほかではみられないいいかげんな座談会を、
もっとおもうぞんぶんによみたい。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

『55歳からのハローライフ』(村上龍)

『55歳からのハローライフ』(村上龍・幻冬舎文庫)

定年後の生活が、5つの短編におさめられている。
だれにとっても定年後のくらしは はじめての体験で、
お金があってもなくても、配偶者がいてもいなくても、
おもっていたとおりにはすすまない。
なにがそんなにむつかしいのだろう。

「キャンピングカー」は、
ひとりよがりに男がえがきがちな
定年後の「夢」についてのはなし。
主人公の男性は、早期退職したら、
妻をさそって、キャンピングカーによる
気ままな旅行をたのしみにしていた。
でも、秘密にしていた計画を家族にうちあけると、
妻はおもってもみなかった反応をしめす。
自分にはほかにやりたいことがあるのだから、
「気ままな」旅行はぜんぜんありがたくないし、
キャンピングカーに1000万円もつかうのは
経済的にも賛成できない、というのが妻のいいぶんだ。

男性がたのしみにしていた老後の計画は、
妻のネガティブな反応でいっぺんにくずれる。
男性は不機嫌になり、家族との関係がぎくしゃくしはじめる。
お金のことが心配というのなら、再就職してやると、
男性はしりあいに かるい気もちではなしをもちかけた。
でも、以前のつきあいがいかにふかくても、
いったん会社をやめてしまえば、むかしの肩書は通用しない。
あわてて再就職・転職セミナーにでかけても、
営業職だけについていたこの男性は、
ほかの会社が必要とするキャリアにとぼしく、
とても一流企業への再就職などかなわない。
自分がおかれている現実のきびしさに、男性はようやく気づく。
ハローワークで仕事をさがしても、
自分の能力を発揮できそうな仕事はなく、
検索にひっかかるのは、
交通整理やビルの清掃といったものばかりだ。

交通整理やビルの清掃でいいではないかとわたしはおもう。
キャンピングカーでの旅行だって、
妻がのり気でないなら、ひとりでいけばいいのに。
でも、妻との「気ままな」旅行が この男性の夢であり、
定年退職後の優雅な生活のシンボルだったのだから、
ひとりで、というわけにはいかないのだろう。
それに、だれも自分を正当に評価してくれないのがつらい。
男って、めんどくさくて かなしい生きものだ。
妻はぜったいによろこんでくれると
きめてかかっていたおもいこみが あわれをさそう。
わたしには、1000万円もするキャンピングカーは
とてもかえないし、興味もない。
わたしがやりたいのはスーパーカブでの旅行なので、
はじめから配偶者をあてにしてはいない。

とはいえ、わたしだって老後に配偶者をさそい
フランスのワイナリーをたずねたい、なんて
ときどきおもいえがく。
わたしが配偶者にこの提案をしたとき、
さっと顔がくもらないよう ねがうばかりだ。

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2017年07月17日

夏にむけて コンディションをととのえたい

3週間さきにせまったレースにそなえ、2時間ちかくはしる。
おとついにも、おなじコースをはしったけど、
1時間ほどしたら気分がわるくなったのであるいた。
熱中症になりかけていたのだとおもう。
からだがまだあつさになれておらず、
体温調整がうまくいかないようだ。
きょうはしっかり水分をとり、ゆっくりだけど
とにかくさいごまではしりつづける。
あつさにくじけないで はしりとおせたのは 自信になった。

昼ごはんのあと、30分ひるねをしてから田んぼの草かりへ。
2時間ほど草刈機をつかう。
とちゅうでなんども水をのみ、シャツが汗でびっしょりだ。
家にかえると、まず水風呂につかって からだの熱をとる。
そのあとビール。
エアコンをつけないと、部屋の温度は30℃もあるけど、
からだがひえていれば 風をすずしくかんじる。
汗をかいた分、水分をおぎなえば、
じっとりした汗はでず、皮膚がスベスベしている。
しっかり汗をかき、そのあとの水分補給が
あつい日のコンディションづくりにはかかせない。
コンディションさえよければ、
熱風がふいていてもぜんぜんくるしくない(ときもある)。
すべてはコンディションだ。

仕事にでかける日はどうしようもないけど、
やすみの日はあつさをたのしみたい。
あついあついとグチをいってもしかたないから。
夏でなければ味わえないものはいろいろある。
それらは、あつい夏のほうがよりたのしい。
わたしがたのみとする「夏」用品は、
水風呂・ビール・アイスティー・スイカにジントニック。
それに扇風機・ひるねをくみあわせて、
エアコンにあまりたよらない夏にしたい。
なんだかんだいっても、ほんとにあついのは あと1ヶ月ほどだ。

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2017年07月16日

『熱風』での対談「仕事と家庭」 家庭のやりくりがいかにむつかしいか

ジブリのフリー小冊子、『熱風』7月号に、
鈴木敏夫さんと森健さんによる対談
「仕事と家庭」がのっていた。
森健さんは、クロネコヤマトの経営者として有名な
小倉昌男さんを取材した『祈りと経営』により、
大宅壮一メモリアルノンフィクション大賞を受賞している。
経営者として超一流だった小倉氏だけど、
家庭においては配偶者・子どもたちと
いろいろな問題をかかえていたようで、
この対談では仕事と家庭はべつものという視点が、
くりかえしかたられている。
想像だけど、やっぱり家庭が落ち着かなかったから仕事に逃げた、だから仕事が成功した、そういう関係にあったんじゃないかなって思うけど。だってびっくりするぐらい仕事で頑張るわけでしょ。運輸省との交渉、規制緩和の問題を平気で交渉していたわけですよ。それは家庭で抱えていた問題に対するいらつき、その解消の意味でもあったと、撲なんかは読んでいたけどね。(鈴木)

わたしも、自分の「仕事と家庭」についてかんがえてみる。
仕事は、もうほとんど軸足をのこしておらず、
いわれたことだけは粛々とやるけど、
地味でやる気のとぼしい職員だ。
いわれたらやるし、常識の範囲内で
意見をだしたりはするけど、それ以上の存在ではない。
かといって、そのぶん家庭にエネルギーをそそいでいるかというと、
けしてそんなことはなく、
自分の部屋にひきこもり、すきなことだけをする
ろくでもない夫であり父親だ。
とうぜんながら、家庭はあたたかな雰囲気につつまれたりはしない。
ネコのピピは、もうすこしわたしを評価してくれそうな気がするけど、
ネコなので発言力はあまりたかくない。

30代のころは、いまとくらべものにならないぐらい仕事をした。
行政からの補助がすくなく、きわめて貧乏な事業所だったので、
自分たちで運営費をかせがなくてはならなかった。
日用品のバザーをひらいたり、映画会や音楽会を企画して、
サービス残業があたりまえだったし、休日にも職場にでていた。
本業の介護についての専門知識はとぼしかったけど、
事業所の経営を、仲間たちと必死にささえていた。

そうしたがんばりを、配偶者がみとめていたかというと、
たいしていまとかわらないような気がする。
つまり、仕事にうちこもうが、そうでなかろうが、
家におけるわたしのポジションは たいしてかわりはない。
わたしの意識は、一貫して
家庭にはむけられていなかったのだろうか。
そうだともいえるし、それなりに最善をつくしたともいえる。
その程度の意識では うまくいかないほど、
家庭はむつかしい問題なのだ。

鈴木さんと森さんの対談をよみ、
わたしの家庭だけが、うまくいってないわけではないと、
なんだか安心させられた。
むしろ、うまくいってないのがあたりまえと、
おおくのひとが はじめからあきらめるほど、
家庭をうまくまとめるのはむつかしい。
おなじ空気をすい、おなじテーブルで食事をとるだけでも、
それはそれで、ひとつの家庭のありかただと、
ひくいところから みつめなおしたほうが うまくいきそうだ。
きのうはわたしの誕生日で、
配偶者はいつものように半袖シャツとTシャツをくれた。
いったいそれ以上、なにをのぞめというのか。

posted by カルピス at 22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

『走れ、走って、逃げろ』少年はなぜまえをむきつづけられたのか

『走れ、走って、逃げろ』
(ウーリー=オルレブ・母袋夏生:訳・岩波書店)

ワルシャワのゲットー(ユダヤ人居住区)からにげだした少年が、
森と農村を放浪しながら生きのびるはなし。
家族はどこにいるのかわからなくなり、
仲間ができたかとおもうと、ドイツ兵がきてバラバラにされ、
親切な農家で仕事ができるようになったかとおもうと、
ユダヤ人であることが村のひとにしれ、
家をでなければならなくなったり。
これでもかと過酷な試練がうちよせるけど、
少年はまえむきな気もちをたもちつづけ、
生きのびることだけをかんがえる。
日にちは数えなかった。瞬間瞬間を、一時間一時間を生きていた。朝から夜までを生きた。

うでを脱穀機にまきこまれ、
すぐに手術すればたすかるのに、
医者はユダヤ人を治療するのをことわる。
ほかの医者がきてくれたときには
壊疽がすすみ、うでをきりおとさなければならなかった。
片腕になっても、少年はけしていじけない。
どうしたら まえとおなじように仕事ができるかと、
工夫と練習をかさねて、なんでもひとりでこなせるようになる。

めちゃくちゃかわいそうなはなしだけど、
「かわいそう」と少年にむかっていえば、
きっと彼は、そんなあわれみはいらないというだろう。
ほかのひととおなじ仕事ができること、
ひとりでも生きていけるちからを身につけたことに
少年はほこりをもっている。
たびたび困難がおしよせても、
少年は自分で方針をきめ、自分でうごく。
少年はどうしたら生きのびられか 知恵をしぼる。
生まれもったあかるい笑顔でにっこりほほえむと、
親切なひとが食事や仕事をあたえてくれるときもある。
「イエスさまにみさかえあれ」と、
宗教にのっとって きちんとあいさつすると、
相手はそれなりの態度で少年にせっしてくれた。
少年は戦争をいきのび、
やがて学校にかよい、大学まですすむ。
彼のつよさは、けして自分をあわれむのをゆるさない。

しりあいとはなしていたら、
岩ガキをどうやってたべるか、というはなしになった。
岩ガキをこじあけるのは、あんがいむつかしいらしい。
苦労してくちをひらいても、
しりあいはあまりカキがすきではないそうだ。
「かわいそうでしょー」といわれる。
そうか。たしかにかわいそうかも。
ナチにおわれて放浪しながら生きる少年は、
自分をかわいそうとおもっておらず、
カキをまえによろこべないしりあいは、
みずから「かわいそうでしょー」という。
「かわいそう」にはいろいろあるなー。

posted by カルピス at 17:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

伊藤理佐さんの「鰻、全力応援!」が かっこいい

伊藤理佐さんが朝日新聞に連載中のコラム
「オトナになった女子たちへ」がいつもながらおかしい。
きょうは、ウナギを応援するはなし。
「鰻、全力応援!」だ。
 我が家では「鰻」を応援している。「がんばれ!」と思っている。(中略)ヨシダサン(伊藤さんのオット)と話し合った結果、うちは「安い鰻を食べない」という応援の仕方になった。「鰻屋さん」も応援することにした。「高いけど、たまに、鰻を、鰻屋さんで食べる」という方針だ。

挿絵は、伊藤さんとヨシダサンがビールをプハーッとやりながら
ウナギをつついており、「こう見えても 応援中・・・」とある。
食事とか、エネルギーの摂取としてではなく、
応援と位置づけるやり方があったのだ。
スーパーにならんでいるウナギをみると、
とんでもない値段についグチをいいたくなるけど、
そして けっきょくとてもじゃないけど かえないのだけど、
応援だったら、たかいからといって みすてるわけにはいかない。
「全力応援!」するしかない。
まったく、目のつけどころがすばらしい。
伊藤さんにかかると、日常生活はあそびにみちている。

わたしはなにかに確信をもって応援しているだろうか。
「鷹の爪」をだいすきだというわりに、
壁かけカレンダーすら かわずにすませるし、
サッカーの日本代表を応援していながら、グッズひとつもってない。
応援は、無償の行為であり、
応援したからといって、直接のみかえりはもとめない。
勝利がみかえりのようにおもえるけど、
ことがそれほど単純なら サポーターに苦労などない。
応援しているチームが、かつこともあれば、まけるときもある。
まけたからといって 応援をやめるようなら、
それは「応援」とよばない。
応援は、いわば究極のペイ=フォワードだ。

東京にすむ 義理の兄は、
松江にくるたび 老舗の鰻屋さんをかならずたずねる。
わたしにすれば、ものすごくたかいウナギ料理だけど、
東京からわざわざくるのだから、
旅費や滞在費をかんがえると、
すこしぐらい(すこしじゃないけど)ウナギ代がかかるといって、
スーパーの中国産ウナギで我慢するのは たしかにまちがっている。
義理の兄がしてるのは、伊藤理佐さんとおなじ
「全力応援!」だとおもえば、ものすごくふにおちる。
配偶者の実家があるからといって、毎年わざわざかえってくるよりも、
べつの町へ旅行すればいいのにと、不思議におもっていたけど、
ウナギの応援なのだから、義理の兄がえらんだスタイルは、
正統派の応援者として、まったくただしい。

伊藤家のすばらしいところは、
個人のこのみとしてではなく、
「ヨシダサンと話し合った結果」
我が家の方針をさだめたところにある。
ふたりによる熟慮のうえだから、ただ「すきだから」よりも、
採択のおもみが ぜんぜんちがう。
ひとりでの応援がまちがっているわけではないけど、
その一段うえをいくあそび方にわたしはしびれる。
たとえビールをプハーッとやりながらの応援でも、
いかにも高段者の生活者として 伊東家がかっこよくみえる。

posted by カルピス at 09:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

むすこがお世話になった保育園の移転・新築計画

むすこがお世話になった保育園から
「応援する会」の案内がとどいた。
移転・新築するにあたり、ご協力をおねがいしたい、とある。
建物がふるくなり、改築が必要だけど、
市は整備費をすんなりはだしてくれない。
待機児童への対応として、定員数をふやすための計画なら
市からみとめられやすいので、
おもいきってあたらし場所へ移転・新築するという。
すでに市からは計画がみとめられ、
来年の4月からの開所にむけて建物の設計や、
近隣の自治会への説明会をひらいていく段階へとすすんでいる。
そして、いちばんの問題は財源の確保となるので、
「応援する会」をたちあげて、関係者に寄付をつのることとなった。

むすこが卒園してから14年もたつけれど、
この保育園にすっかりお世話になったという気もちが
いまもわたしにはある。
わたしだけでなく、おおくの保護者がおなじおもいをもっており、
会にあつまった元保護者からは、
当時をなつかしみ、感謝の気もちをあらたにし、
ちからになれることがあれば なんでもしたい、
という発言がおおくきかれた。

むすこがかよった保育園は、
「さくら・さくらんぼ」とよばれる保育をおこなっており、
ゼロ歳児から泥だらけになって「あそびきる」。
年長さんになってもよみ・かきや計算の勉強はまったくしない。
ものがたりをきき、それを絵にかいたり、
リズム体操やダンス、和太鼓にとりくむ。
ちいさな子どもたちは、
年長さんのたくましいすがたに あこがれてそだち、
年長さんがとりくむ和太鼓や体操を
尊敬のまなざしでみつめている。

わたしだってむすこにたいし、
親として できるだけのことをしたとおもっているけど、
ひととして大切なちからを
この保育園により やしなってもらえた。
わたしはむすこがなにをしても、
ひととしてちゃんとそだったとしんじられたので、
安心してほったらかした。

寄付をつのる、といわれると、
じっと下をみてやりすごしたいものだけど、
「応援する会」にかけつけた保護者・元保護者からは、
まえむきなアイデアがいくつもだされた。
職員の方だけでは負担がおおきすぎるので、
保護者の役員会で事務局をつくり、
これからの運動をすすめることになる。
いくらすぐれた方針の保育でも、
寄付となればまたべつな苦労をともなう。
でも、この園のためならと、
ファンとなった保護者がたくさんいる。
おおくのひとの協力をえて、
きっとすてきな新園舎ができあがるだろう。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

たまには「おしゃべり」がしたくなる

すこしまえの「今日のダーリン」に
糸井重里さんが「おしゃべり」についてかいている。
お酒を飲む人たちが、「飲もうや」と集まるのも、
飲もうが飲むまいが「会おうか」と連絡とりあうのも、
学校や会社に「もうちょっといよう」と居残るのも、
電話しているのも、メールしているのも、
「ほんとうにしたいこと」は、ひとつなんじゃないか。
 
おしゃべりがしたい、ということ。

そういえば、たしかにそうだ。
おしゃべりがしたくての のみ会なので、
おしゃべりができそうにない会に わたしはいかない。
きっとわたしは「おしゃべり」をしないひとと、
職場でうけとめられているだろうけど、
自分では基本的に「おしゃべり」がすきだとおもっている。
自分ではなすだけでなく、ひとのおしゃべりをきくのもすき。

なにをおしゃべりしたいかというと、
こたえのない問題を、あーでもない こーでもないと
こねくりまわすのがたのしい。
たとえば「いかに生きるか」でもいいし、
なぜ日本人は外国語をまなぶのがにがてか、
みたいな問題もこれまでにずいぶんはなした。
イメージとしては、大学生が友だちのアパートにあそびにいき、
そこにまたほかの学生も顔をのぞかせ、
お酒をのみながらおしゃべりするかんじ。
仕事のはなしや、職場の人間関係については
はなしが生々しくなりやすいので できるだけさけたい。
外国のパブでよくありそうな、
先週おこなわれたサッカーの試合を
ファンどうしがふりかえっておしゃべりする、
みたいなのが、いかにも人畜無害でこのましい。
みじかくて 気のきいたセリフをさらっと口にする、というのは
いきな会話ではあるだろうけど、おしゃべりとはまたちがう。
おしゃべりには、あるていど かわされることばの量が必要だ。

すきなおしゃべりについての基本線はかたまっているけど、
日々の生活では あたりさわりのない会話にとどまっている。
友だちはすくないし、なんだかんだで毎日いそがしくすぎていくし。
だからこそ、糸井さんがいうように、おおくのひとが
わざわざ「おしゃべり」のためにあつまろうとするのだろう。
そとにでかけるのがおっくうなわたしは、
おしゃべりの機会をみおくることがおおい。
ブログはひとりでするおしゃべりみたいなものだろうか。
たまには時間をムダにつかい、
あーだこうだ おしゃべりしたくなった。

レストランでの食事をみたときに、
おしゃべりなカップルは不倫ちゅうのふたりで、
おしゃべりをしてないカップルが夫婦だと、
なにかの本にかいてあった。
わたしと配偶者の関係は、まさしく「夫婦」で、
おしゃべりにならない。
ここはひとつ、てっとりばやい解決策がもとめられる。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする