しゃがみこんでるか はしっているかで、
ゆっくりあるいたりはしない。
かけまわらずにおれない、生物的な衝動にみちているみたいだ。
わたしはジョギングのまえに、
ほとんどウォーミングアップなしではしりだす。
もう、はじめはほんとうにヘロヘロなはしりで、
脳のだす指令が からだのはしっこにいきとどかず、
からまわりするように手足をうごかす。
いったいこのヘロヘロ感はなんなのだと、
ながねんの疑問だったけど、
このまえようやくおもいついた。
これは、単純に老化現象なのではないか。
いまのところ、日常生活に支障はなく、
ふつうにあるけ、仕事もできるけど、
トレーニングなどのはげしい運動になると、
きゅうにギアをきりかえられるほど
からだはいつでも準備ができている状態ではない。
16歳になるネコのピピは、
いちにちのうち 22時間をねてすごしている。
たべる以外の時間は、ぜんぶまるくなっている。
ネコはもともとくつろぐ時間がながいとはいえ、
22時間はさすがにすごい。
これもまたあきらかに老化なのであり、
彼らのような晩年のすごし方こそ、生物的には自然な姿なのだろう。
ネコの16歳は、人間でいうと75歳になるので、
はしりまわらないのは あたりまえだ。
人間は、いまでこそ90ちかくまで生きるけど、
種の保存を目的に生きる生物としてとらえると、
50歳でそのやくめをおえている。
55になるわたしは、老化しながら 死にむかって
ゆるやかに坂道をくだっている。
いきなりのジョギングに、からだはとまどっているのだ。
なんておもっていたら、けさの朝日新聞に
一柳彗さんが さらっとすごいことをかいておられる。
2012年に103歳で亡くなった前衛作曲家のエリオット・カーターも、90歳をこえてからがすごかった。晩年に挑戦する心が増してくるというのが本物ですよ。年をとってからの方が、社会からの束縛が少なくなるぶん、好奇心に純粋に従えるようになる。だから、古いものへの反発も逆に少なくなる。新しいか古いかは、実は面白いかどうかには関係ないんです。
身体の方はそりゃあ、昔ほど元気ではないですが、若い頃にできなかった大変のことが軽々とできたりすることがあります。作曲でもピアノでも。こだわりも消えました。(「人生の贈り物」より)
動物と人間の老化はちがうのだろうか。