2017年07月08日

まるのみしてうまいのか?

小アジをフライにしようとさばいていたら、
どのアジのお腹にも、ちいさな魚が何匹かはいっていた。
15センチほどのアジなのに、
自分のからだの 半分くらいある魚を まるのみにしている。
まるのみして、うまいのか?
アジにかぎらず、おおきな魚や、オットセイにアシカ、
そうだ、ペリカンもだ。
つるりと魚をまるのみにするけど、
まるのみして 味のちがいがわかるのだろうか。
鳥だってそういえば基本的にまるのみだ。
カエルやヘビも頭からパクリとやる。
まるのみは、けして異端ではなく、
マジョリティな食事法かもしれない。
その日のごはんをいきおいよくたべている犬は、
とても味わっているようにはみえない。
牛や馬といった草食系の動物以外は、
まるのみないし、それにちかい咀嚼が一般的である。

まるのみがただしい食事法としても、
まるのみ派の動物たちは、なんでもかんでも
まるのみにしているわけではないだろう。
どれをまるのみにするか、かれらはどうやってみわけるのだろう。
あいてがうごいていたら、いきのいいごちそうだと判断して
まるごとパクリとやるのだろうか。
でも、死んだ獲物をたべる動物もいるのだから、
おいしいからまるのみしている動物と、
とにかくお腹をみたしたらいい動物にわけたくなる。

こうなると、「うまい」とは なんなのだろう。
たとえばチンパンジーは このんでたべるものがきまっている。
味覚音痴といわれるネコだって、
どのペットフードでもいいわけではなく、
すきなカンヅメでないとたべない。
まるのみする動物は、うまいから獲物をまるのみにする。
うまいと判断するのは、舌ではなくノドごしの瞬間かもしれない。
人間が舌でうまい・うまくないをきめるのは、
きわめて例外的な舌のつかい方であり、
おおくの動物は、舌にたよらないで「うまい」をきめる。 
だからまるのみでも はやぐいでも、「うまい」とかんじている。
人類は、舌にたよりすぎてきたのではないか。
ノドごしの快感こそが、
つぎのヒット商品をうみだす鍵におもえてきた。

posted by カルピス at 12:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする