『PK』(ラージクマール=ヒラーニ:監督・2014年・インド)
『きっと、うまくいく』のアーミル=カーンが主役をえんじる。
評判がいいし、アーミル=カーンなので、
おもしろくないわけがないと期待してかりた。
153分とながい作品で、なかなかはなしがうごきださない。
前半は、ものがたりの伏線をかためる作業がしつこいほどつづき、
それぞれの配置がきまった まんなかへんから
いっきょにものがたりがすすんでいく。
この作品をえがくには、153分が必要だったと
全部みおわったときに納得できる。
『カラマーゾフの兄弟』をえがくには、
あのとほうもないながさが必要なのとおなじだ(ほんとか!)
以下ネタバレあり。
地球を調査するためにやってきた宇宙船から、
宇宙人がひとりインドの砂漠におりたつ。
宇宙船と交信するリモコンを、冒頭でいきなりうばわれてしまい、
彼(PK)は、ことばも風習もわからないインドに、
なすすべもないままほうりだされる。
神さまならたすけてくれるというので、
いろんな神さまにすがり、リモコンがもどるようにおねがいする。
しかし、どの神さまも、PKのねがいをきいてくれない。
なぜ神さまがたすけてくれないのか、
PKはいろいろかんがえるうちに、宗教の本質にせまっていく。
宗教批判にうけとれる場面があり、
よくこの作品がインドでつくられたものだと感心する。
いくつもの宗教が混在し、現実の問題として
きびしい対立関係にあるインドだからこそ、
うけいれられたのかもしれない。
インドで宗教をあつかうというと、
いろいろタブーがおおそうだけど、
宗教が身ぢかな存在なだけ、
あるていどは自由に発言できるのだろうか。
なぜ神にすがってもききいれてもらえないのかは、
おおくのひとたちがもつ共通の疑問だ。
シリアスな問題を、わらいにつつんで
映画にとりいれるのに成功している。
まさか、オープニングに登場した男性が、
ラストの鍵をにぎるとは、まったく予想していなかった。
PKをえんじるアーミル=カーンの、
存在そのものがみごとに宇宙人っぽい。
耳がでかくて、目をかっとひらき、
カトちゃんダンスみたいなはしりかたをする。
宇宙人がいるとしたら、PKみたいな外見ではないだろうか。
みおわったときのさわやかさがすばらしい。
PKもまた、『アホは神の望み』でいう
「神はバカ正直なひとにほほ笑む」典型的なアホっぽいひとだ。
でも、神はPKがバカ正直だからほほえんだのではない。
地球より はるかにひろい宇宙をしっているPKは、
地球人のいう神よりも、本質的な「神」を理解している。