「オトナになった女子たちへ」がいつもながらおかしい。
きょうは、ウナギを応援するはなし。
「鰻、全力応援!」だ。
我が家では「鰻」を応援している。「がんばれ!」と思っている。(中略)ヨシダサン(伊藤さんのオット)と話し合った結果、うちは「安い鰻を食べない」という応援の仕方になった。「鰻屋さん」も応援することにした。「高いけど、たまに、鰻を、鰻屋さんで食べる」という方針だ。
挿絵は、伊藤さんとヨシダサンがビールをプハーッとやりながら
ウナギをつついており、「こう見えても 応援中・・・」とある。
食事とか、エネルギーの摂取としてではなく、
応援と位置づけるやり方があったのだ。
スーパーにならんでいるウナギをみると、
とんでもない値段についグチをいいたくなるけど、
そして けっきょくとてもじゃないけど かえないのだけど、
応援だったら、たかいからといって みすてるわけにはいかない。
「全力応援!」するしかない。
まったく、目のつけどころがすばらしい。
伊藤さんにかかると、日常生活はあそびにみちている。
わたしはなにかに確信をもって応援しているだろうか。
「鷹の爪」をだいすきだというわりに、
壁かけカレンダーすら かわずにすませるし、
サッカーの日本代表を応援していながら、グッズひとつもってない。
応援は、無償の行為であり、
応援したからといって、直接のみかえりはもとめない。
勝利がみかえりのようにおもえるけど、
ことがそれほど単純なら サポーターに苦労などない。
応援しているチームが、かつこともあれば、まけるときもある。
まけたからといって 応援をやめるようなら、
それは「応援」とよばない。
応援は、いわば究極のペイ=フォワードだ。
東京にすむ 義理の兄は、
松江にくるたび 老舗の鰻屋さんをかならずたずねる。
わたしにすれば、ものすごくたかいウナギ料理だけど、
東京からわざわざくるのだから、
旅費や滞在費をかんがえると、
すこしぐらい(すこしじゃないけど)ウナギ代がかかるといって、
スーパーの中国産ウナギで我慢するのは たしかにまちがっている。
義理の兄がしてるのは、伊藤理佐さんとおなじ
「全力応援!」だとおもえば、ものすごくふにおちる。
配偶者の実家があるからといって、毎年わざわざかえってくるよりも、
べつの町へ旅行すればいいのにと、不思議におもっていたけど、
ウナギの応援なのだから、義理の兄がえらんだスタイルは、
正統派の応援者として、まったくただしい。
伊藤家のすばらしいところは、
個人のこのみとしてではなく、
「ヨシダサンと話し合った結果」
我が家の方針をさだめたところにある。
ふたりによる熟慮のうえだから、ただ「すきだから」よりも、
採択のおもみが ぜんぜんちがう。
ひとりでの応援がまちがっているわけではないけど、
その一段うえをいくあそび方にわたしはしびれる。
たとえビールをプハーッとやりながらの応援でも、
いかにも高段者の生活者として 伊東家がかっこよくみえる。