2017年07月24日

てっとりばやくしあわせになる方法

中島らもさんがなにかの本で
てっとりばやくしあわせになる方法を紹介していた。
自分の頭をポカポカ一定のリズムでたたきつづけるのだそうだ。
頭をたたけば、とうぜんそれなりにいたいおもいをする。
なんでそれが「しあわせ」につながるのかというと、
たたくのをやめたら 確実にくるしみから解消されるので。
あたまをたたきながらも、もうすこししたら たたかなくてすむ、
「しあわせ」な瞬間がおとずれるのをこころまちにする。
たたきはじめるのが自分なら、やめるのも自分であり、
自分ひとりで 勝手に いたがったり、しあわせになったりする。

ブログもあんがいよくにていたりして。
自分で勝手にかきはじめておきながら、
かくことがない日はウンウンいってネタをさがす。
たまにすんなり記事がかけ、はやい時間に更新できると
いちにちの のこり時間がたくさんあり、
すごくしあわせな気分にひたる。
勝手につづけているのは自分なわけで、
自分ではじめ、自分でくるしんでいる。
あたまをたたけば ただいたいだけだけど、
ブログをかくと たのしいことだってたまにはある。
やがていたみがここちよい刺激にかわり、
そのうちやめることさえできなくなる。
もはやヨレヨレになりながら まえへすすむしかない。

よくかんがえてみると、自分であたまをたたくのは、
ただの冗談で、かならずしもしあわせとは 関係ないかもしれない。
わざわざそんなことをはじめるより、
なにもせず ボーっとしていたほうが「しあわせ」なのでは。
ただ、世の中には、いろんなしあわせがあるので、
いったいどれがほんとうのしあわせなのか わからなくなってくる。
ものがあっても なくても、
しあわせなひとがいるし、そうでないひともいる。
さんまさんが発見したように、
ポン酢しょーゆがある家こそしあわせだというとらえ方もできるし、
愛がなくてもしあわせだというひともいる。
そんななかで、あたまをたたくのが
絶対にまちがっているとはだれにもいえないだろう。
しあわせだとおもえば、どんな場合でもしあわせであり、
いまわたしは しあわせだとおもっているから しあわせなのだ。

posted by カルピス at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする