きのう・おとといがわたしの週休だったので、
きょうものんびりすごしたくなった。
そういえば、いまは夏やすみの時期だ。
わたしにも夏やすみらしい休暇がほしい。
カレンダーをみると、お盆にからめた5日間が
わたしの「ことしの夏やすみ」となる。
あと2週間は、あつさのなか
日常の仕事をつづけなければならないし、
やっとたどりついても、たったの5日間だ。
2年まえに仕事をやめたとき、10ヶ月ほど無職の時期があった。
夏やすみどころか、かなりながめのバカンスをすごしたわけで、
いったいなにをしてたのだろうと、日記をひっぱりだす。
毎日がやすみなのに、けっこういそがしくすごしている。
トレーニングを中心に、田んぼと畑へ自転車でいき、草とりをしたり。
トレーニングは、レースまえだから、というよりも
わたしは 週に3回 ジムにいきたい人間のようだ。
レースがおわっても、その週からすぐにジムにかよっている。
ピピはほぼいまとおなじような状態で、
夜中にわたしをおこしてごはんをねだっている。
日中はねてばかりで「もう死ぬんじゃないかと心配する」
なんてかいているのもいまといっしょだ。
けっきょく、バカンスだろうと、仕事をしていようと、
おなじようなすごし方なのがわかった。
計画をたてなければ、時間がいくらあっても どこかへきえていく。
やすみのときに計画なんてたてたくないし。
あーだこーだと、わたしはなにをもとめているのか。
そういえば、夏やすみだからといって、
のんびりたのしくすごせたかというと、
これまでにそんな夏はなかった。
小学校のときは、まだ夏やすみの意味がわからず、
ただのながい休暇として 近所のなかまとあそびまわっていた。
それこそが、ほんとうの夏やすみかもしれないけど、
おとなになったいま、おなじことはできっこないので、
もっともらしく 例外としてくくっておく。
中学校・高校は夏といえば部活(水泳部)だったし、
大学のときはアルバイトで無為にすごしていた。
夏やすみは、おとなになってからこそ
本格的にたのしむものかもしれない。
気をつけなければらないのは、
イメージとしての夏やすみが先行しがちな点だ。
なにかしらのテーマをきめて、その年ならではの夏やすみにするのは、
いかにも良識をわきまえた おとながしそうなことで、
そうでないすごし方をわたしはもとめたい。
なにか有意義にときをすごそう、ということではなく、
大切なのは、あーたくさんあそんだ、という充実感だ。
と、けっきょく小学生の夏やすみにかえってしまう。
小学生のころの夏やすみをうわまわるのは かんたんではない。