先日よんだ群ようこさんの『ゆるい生活』とおなじように、
中年期にさしかかった女性が、自分におとずれた老化を
どうとらえるかについてかかれている。
年齢でいうと、群さんはわたしの7歳うえ、
酒井さんはわたしの5歳しただ。
わたしをふくめた3人がかんじている「老化」の微妙な差は、
すこしずつずれている 世代のちがいではないだろうか。
本の内容について、おおまかな印象としては、
群さんが、どこまでも個人の体験をこまかくかいているのに対し、
酒井さんは、自分だけでなく、まわりの女性たちの声もつたえている。
酒井さんのもち味は、主流派に位置する女性たちの声を
ありのままにおしえてくれるところだ。
少数派の意見ではなく、主流派というのがミソで、文章をかくひとは、
中心からすこしはなれたポジションをとる場合がおおく、
本をよんでいるだけだと、そうした少数派の意見ばかりが目にはいる。
酒井さんは、高校生のころから、
彼女と彼女の仲間たちが、いったいなにをかんがえ、
なにをしているのかをおしえてくれた。
教室のすみっこにいる 一部の女の子に焦点をあてるのではなく、
クラス全体の雰囲気をつたえている。
そうした声はなかなか男性にはとどかないもので、
まるで女子会ではなされている内容を、
おしえてもらっているような気がしてくる。
友人がおばちゃんに見える時というのは、すなわち「ラク」の方向に逃げた時です。「お洒落は我慢だ」という話もありますが、人は年をとると、肉体的な我慢がどうしたって利かなくなるもの。「お洒落」と「ラク」を天秤にかけて「ラク」の方に目盛りがぐっと傾いた時に、私たちはある一線を超えるのです。
「綿のパンツ」は、いうまでもなく非モテアイテムです。熟女ものAV、それもかなり特殊なセンスの作品にしか、綿のパンツを着用した女は登場しないことでしょう。女物の綿のパンツが干してあるご家庭は、明らかにセックスレスだと思う。
パンツの秘密を、ここまでおしえてくれるひとは なかなかいない。
そもそも、酒井さんはパンツをちゃんと「パンツ」とかいてくれる。
わたしの酒井さんへの信頼は、そうした感覚を共有しているからだ。
たった「ファッション」というひとつのみだしだけをとっても、
・ロングスカートのおばちゃん性
・おばさんになるとき
・きゅうくつを我慢できなくなり、ゆるさをもとめる
・なぜ綿のパンツなのか
など、いくつもの「気づき」や「告白」がつまっている。
女性のこんな事情を セキララにあかすのは、酒井さんだけだ。
人間、ウエストにゴムが入ったものを着るようになったらおしまいだ、という話もありますが、私はもはやゴム入りのものすら嫌いです。なぜならば、ゴムというのは伸びもするけれど縮みもするので、その縮み力が腹に食い込むのが嫌なのです。
「腹に食い込むのが嫌」とまでうちあけてくれる酒井さん。
酒井さんは、このようにして、いつも女性の本音をおしえてくれる。