2017年09月12日

180度 発想をかえてみる

ピピがまた 枕のうえでおしっこをした。
これで4どめとなる。
さいわい、枕をトイレシートでくるんでから
枕カバーをかけておいたので、
枕につめてあるビーズまで おしっこはとどかなかった。
4回もつづくと、これはもう あきらかに
ピピは枕のうえでおしっこをするのがすきなのだ。

こうなったら、枕をまもるというこれまでの対応から、
180度 発想をかえ、おしっこは 枕の上でするものと、
あたらしいとりきめをピピにしめしたらどうだろうか。
どこでおしっこをするかわからないと、
いたるところにトイレシートをしかなくてはならない。
トイレとしての枕でおしっこをしてくれたら、
全体としては、おしっこ被害がなくなる。
厳重にトイレシートでくるめば、
枕のなかまでよごれたりしない。
ピピには気もちよく枕の上でおしっこをしてもらおう。
われながら神対応におもえ、自分で感心してしまった。

きょうのできごとで、もうひとつさえていたのは、
仕事が一段落したときのプチ終礼をやめたこと。
わたしがはたらいている事業所には、
刺激にとても敏感なひとがいて、
めずらしい自動車がとおったり、
いつもはいないひとがきゅうにたずねてくると、
その刺激にすぐさま反応し、ワーッとおおさわぎになってしまう。
しずかに、とかイスにすわりましょう、なんていってもだめだ。
刺激に反応する障害特性なのだから、
刺激をできるだけ とりのぞくしかない。
しかし、当然ながら 日常生活には
刺激となる不意なできごとにみちているわけで、
気もちの波をなくすのは そうかんたんではない。

クッキーづくりが一段落し、
これから配達やらかいものにでかけるというまえに、
ささやかな終礼をして、その日の活動をふりかえるのが、
クッキー班のおやくそくになっている。
どうも、そうやって終礼をすることじたいが、
おおさわぎにつながっているのに気づいた。
仕事が一段落したときなので、あそびたい気もちもあるのだろう。
そんなときに わざわざ終礼なんかをはじめると、
その会がひきがねになって さわぎたい気もちに火をつけてしまう。
終礼でのわるふざけをくりかえしてきた習慣から、
終礼が、おふざけの合図になってしまった。
それなら、終礼じたいをやめてしまったほうが、
感情の波をおおきくしないですごせる。

いろいろ工夫して、なにかのシステムをあらたにつくるのではなく、
すべてやめてしまうという ひき算の発想が気にいっている。
あれこれつけくわえるよりも、
あんがいこの対応はあたっているのではないか。
ピピのトイレとして枕を位置づけること。
終礼をとりやめて刺激をすくなくすること。
われながら、さえてるいちにちだった。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする