バックパッカーの人類学
バックパッカーが 学問の対象になるなんて。
旅行がすきで、文化人類学に関心のあるわたしには
たまらなくおもしろい本にしあがっている。
この本では、日本人特有ともいえる「自分探し」を手がかりに、
日本人バックパッカーたちの生きかたをさぐっている。
著者は筋金いりのバックパッカーであり、
バックパッキングなんてしたこともない学者が、
もっともらしくバックパッキングを研究するのとは わけがちがう。
取材したバックパッカーへの理解と共感がきわめてふかい。
本書では、バックパッカーを4つのタイプに分類し、
それぞれ例をあげながら、
どんな「自分探し」がおこなわれているかをあきらかにする。
・移動型
可能な限り多くの国や町に行くことに喜びや価値を見いだす
・沈潜型
気に入った町に長期滞在して、
その町に「溶け込む」ことに喜びを見いだす
・移住型
現地社会が気に入って移住した者
・生活型
旅を生き続けているバックパッカーのことを指す
移住型のように特定の社会に定住する気も毛頭ない
旅の商品化についての分析が興味ぶかかった。
商品化されている旅の例として、
タイのチェンコンからラオスのフェイサイへ、
そしてメコン川を船でくだってルアンパバーンまでのコースがある。
バックパッカーは商品化された旅を消費するだけの存在だ。
リスクは最小限におさえられ、
快適で安全な「冒険」をたのしめるシステムができあがっている。
メコン川を船でくだりはしなかったけど、
このまえの旅行でわたしがたどったのは、
ほぼこの本で紹介されているコースだ。
いかにも秘境にはるばるやってきたと、
旅行者におもわせる、異国情緒たっぷりの景色。
自分では自由に旅行をたのしんでいるつもりでも、
じつはすべてできあがったシステムのなかで
じょうずにあそばされているにすぎない。
ガイドブックにたより、マニュアルどおり、
だれかがおこなった旅をなぞるバックパッカーって、
かなり残念な存在であり、それがわたしの旅でもある。
生活型のバックパッカーにはなしをきくと、
朝起きて、朝飯の用意して、そのあと柔軟体操、ヨガも取り入れたやつを二時間くらいやって、そうすると昼になるから昼飯作って。そのあと、ちょっと休憩したり本読んだりしたら、もう夜になるから、晩飯作って。だから生きてるだけで忙しいですよ。
わたしの休日は、まさにそんなかんじだ。
日本にいながら「旅に生きている」のかもしれない。
わざわざ外国へ旅にでなくていいのかも。
ルーティン化した日々の生活に旅を実感している人は少ないかもしれない。一方、旅を生き続けている人も、日々の移動にいまさら旅を強烈に実感することはないかもしれない。しかし「私」の実感はどうであれ、「私」は、自己の生が尽きるまで、「私」だけの生を歩み続けなければならない。(中略)
「私」が踏んだ場所には「私」だけの足跡が残っていく。この足跡こそが、「私」だけの旅路であり、最後の一歩の地点こそが「私」がたどり着いた、そして「私」だけがたどり着くことができた到達点なのだ。
「私」は、到達点は見えないが、それでも、より善き生に向かって、機知を操りながら、日々旅をしているのである。
生活型バックパッカーの生き方をみていると、
月なみな表現ながら、人生は旅であり、旅はまた人生であると、
いまさらながら 気づかせてくれる。
彼らはまさに旅をつづけながら、生きている。
旅にでようがでまいが、けっきょくは旅を生きているのであり、
どう生きるかが ひとりひとりにとわれている。