『未来の年表』(河合雅司・講談社現代新書)をよんでいると、
ちかい将来に日本でおきるであろうさまざまな状況が
これでもかとリアルに指摘されている。
2033年には3戸に1戸が空き家に、とか、
2040年には自治体の半数が消滅、とか。
人口減少の影響が、この数年で、はっきりあわられてきそうだ。
きのう車ではしっていたら、4〜5人で路肩の草かりをしていた。
草刈機をあつかっているので、
おたがいの距離に気をくばりながら隊列をくんでいる。
地区の清掃活動というよりも、市から委託された業者ではないか。
島根ではよくみかける光景だ。
こうして定期的に草をからないと、みためにもよくないし、
場所によっては歩行者や車がとおりにくくなる。
人口がへっていくと、人手不足になり、
こうした作業もできなくなるのだろう。
町が草にのみこまれてしまう日が、そうとおくないかもしれない。
県庁所在地では、しばらくは草かりをつづけるかもしれないけど、
じきにそんな余力はなくなるはずだ。
わたしがすむ島根県は、過疎ということばが
はじめてつかわれた土地でもある。
過疎の先進県ともいえ、自治体の崩壊が心配されるずっとまえから
人口の減少になやまされてきた。
ひとがすまなくなった家は、ほっておくとじきに山にのまれてしまう。
かやぶき屋根がかたむき、庭さきまで木がはえ、
部屋のなかがあれはてているのが外からみえる。
家がくちはてていくようすは 気味がわるかった。
自然の回復などというなまやさしいものではなく、
ちょっとでもスキをみせれば、人間のいとなみなど、
すぐにのみこもうとする自然の脅威をかんじる風景だ。
ジブリの宮ア駿さんが、アンコールワットなど、
自然が文明をのみこんでいく風景がすき、みたいなことを
どこかでかたっていた。
わたしもアンコールワットをたずねたとき、
石づくりの寺院に 森の木が
おおきな根っこをはりめぐらしているのをみた。
たしかに、「盛者必衰のことわり」をおもい、
うつくしささえかんじる景色だ。
ただそれは、わたしの想像力がとぼしいせいであり、
自分のすむ町が、こんなふうに
自然にのみこまれていく姿をおもいえがくと、
うつくしいとばかりはいっておれない。
あと20年もしたら、島根の自然はずいぶん回復し、
それにともない山にちかい村や、
おそらく町の景色もずいぶんかわっているだろう。
それが日本全体の規模でおこると、
近未来を舞台にした映画みたいに、
荒廃した景色が支配する世界になるのだろうか。
ながいきにあまり関心はないけれど、
こわいものみたさで、日本の近未来がどうなっているかを
みとどけてから死にたくなった。
200年後の日本は人口が450万人だ。
日本じゅうにたった450万人しかすまない日本は
どんな「国」になっているのか ぜひみてみたい。