しりあいの女性(50代)と、お酒についてはなしていた。
彼女は とりあえずなんでものむけれど、ワインは白がいいのだそうで、
肉だろうが魚だろうが、料理にかかわらずいつでも白らしい。
わたしもワインはすきだ。
といっても、ふだんは500円のやすいワインをのんでいるし、
かりに1本3000円のワインをのんでも、たぶんちがいはわからない。
ワインがすきだといっても そのていどだし、
その女性もにたようなレベルだ。
そんなふたりの会話なのでなかみはしょぼい。
500円でのめるチリの安ワイン、アルパカでじゅうぶん満足だ、
とわたしが貧乏派を代表してアルパカのすばらしさをたたえる。
アルパカの赤には、カベルネ・メルローと、
カルメネールの2種類がある。
わたしはいつもカベルネ・メルローをのんでいるけど、
たまたまカルメネールをのんだら、ちがいがまったくわからなかった。
「どちらもおいしい」のは、すばらしい。
その女性は、アルコール度でワインをえらぶという。
13%がおおいなかで、なかには14%のものもあるそうで、
アルコール度がたかいほうがおいしい、というよりも、
アルコール度がたかければ、
手っとりばやくよえるという意味での選択だ。
わたしは、ワインなんてどれも12%かとおもっていた。
女性がこういう視点でワインをえらぶのは、
なんだか男まえでいいなとおもった。
まるで体育会系の男子学生みたいだ。
ワインはどこそこのものにかぎる、よりも、
きっぱりと「ワインは度数でえらぶ」ほうがいさぎよい。
わたしはサッカーの試合をみるのがすきだけど、
そのをとき ふつうはお酒をのまない。
真剣しプレーしている選手に失礼だからだ。
それが基本方針なのに、ある試合をみているとき、
なんとなくワインをのんでしまった。
料理につかったのこりを、コルクのビンから
ペットボトルにうつしてとっておいた。
1000円くらいの、もともとやすいワインだし、
コルクをぬいて1週間たっているので、そうとう味がおちているだろう。
これぐらいのトホホワインなら、
試合ちゅうにのんでもゆるされるのでは、と
よくわかりにく理由をつけてのみはじめる。
でも、おいしかった。
なんだかんだと のこっていた500ccぜんぶをのんでしまう。
サッカーとワインがこんなにあうとはおもわなかった。
デイリーポータルZは、
「お酒にあうスポーツ」を特集してくれないだろうか。
2017年10月11日
2017年10月10日
国際親善試合、ハイチを相手に3-3のドロー
国際親善試合、日本対ハイチ(3-3のドロー)
前半の17分に日本代表は2点目をいれる。
2-0と、大量得点の予感さえする。
ふつうなら、試合がおわった瞬間だ。
でも、ハイチは意外にしぶとくて、
前半のうちに1点、後半にはいると
たびたび日本のゴールまえにつめよって、圧力をかけてくる。
何発うっても得点につながらない日本と、
すくないチャンスをゴールにむすびつけるハイチ。
たしかにハイチの選手はパワーとスピードにあふれ、
個人の技術もわるくない。
時間がたつにつれ、選手間の連携プレーもうまくいきはじめ、
ずるずるとせめこまれるうちに、2-3と逆転されていた。
失点のひとつひとつは、キーパーの責任ではないようにみえるけど、
絶対的な危機をなんどかしのがなければ、一流のキーパーといえない。
ゴールをまもった東口には酷かもしれないけど、
きょうのうごきでは、安心してゴールをまかせられない。
守備陣も、あれだけ自由にペナルティエリアをつかわれては、
失点をふせげないだろう。
おしこまれると、最終ラインが非情にもろかった。
攻撃では、乾の存在がひかったものの、
時間がたつにつれ集団にうもれてしまう。
あまりスタミナがない選手なのだろうか。
後半に原口がはいると、左サイドで起点になって、
なんどもクロスをあげたりドリブルできりこんだりと、
相手がいやがるプレーをした。
ぜったににまけないという、原口選手らしいつよい気もちをかんじる。
ペナルティエリアでの日本人選手は、
なかなかシュートをうとうとしない。
前半には、ちからずくにシュートをはなっていたのに、
後半にはいると、ゴールまえでのパスがめだちだした。
香川はとくに自信なさげなプレーで、味方にパスをだしてしまう。
3点目は香川の得点になったけど、
ただ足にあたっただけともいえる「シュート」だ。
みていてたのもしかったのは、井手口・原口・大迫で、
乾も前半のはやい時間帯まではよかった。
守備陣は、どう評価すればいいのだろう。
相手におしこまれたときに、
バタバタとうきあしだってしまうのが、日本のわるいクセで、
きょうもまた試合をおちつかせる選手がいないまま
3点つづけて失点してしまい、逆転をゆるした。
代表レベルの試合では、あってはならない展開だ。
ボールをもたされると、なかなかせめきれず、
そのうちカウンターをかんたんにきめられる。
Wカップアジア最終予選のオーストラリア戦がよかったので、
そのままちからをつけていってくれたら、本戦では期待できそう、
とおもっていたのに、そのあとの3試合はピリッとしない。
いまはまだ、いろんなくみあわせをためしている時期だ。
課題を整理して、カウンターへの対応を改善してほしい。
前半の17分に日本代表は2点目をいれる。
2-0と、大量得点の予感さえする。
ふつうなら、試合がおわった瞬間だ。
でも、ハイチは意外にしぶとくて、
前半のうちに1点、後半にはいると
たびたび日本のゴールまえにつめよって、圧力をかけてくる。
何発うっても得点につながらない日本と、
すくないチャンスをゴールにむすびつけるハイチ。
たしかにハイチの選手はパワーとスピードにあふれ、
個人の技術もわるくない。
時間がたつにつれ、選手間の連携プレーもうまくいきはじめ、
ずるずるとせめこまれるうちに、2-3と逆転されていた。
失点のひとつひとつは、キーパーの責任ではないようにみえるけど、
絶対的な危機をなんどかしのがなければ、一流のキーパーといえない。
ゴールをまもった東口には酷かもしれないけど、
きょうのうごきでは、安心してゴールをまかせられない。
守備陣も、あれだけ自由にペナルティエリアをつかわれては、
失点をふせげないだろう。
おしこまれると、最終ラインが非情にもろかった。
攻撃では、乾の存在がひかったものの、
時間がたつにつれ集団にうもれてしまう。
あまりスタミナがない選手なのだろうか。
後半に原口がはいると、左サイドで起点になって、
なんどもクロスをあげたりドリブルできりこんだりと、
相手がいやがるプレーをした。
ぜったににまけないという、原口選手らしいつよい気もちをかんじる。
ペナルティエリアでの日本人選手は、
なかなかシュートをうとうとしない。
前半には、ちからずくにシュートをはなっていたのに、
後半にはいると、ゴールまえでのパスがめだちだした。
香川はとくに自信なさげなプレーで、味方にパスをだしてしまう。
3点目は香川の得点になったけど、
ただ足にあたっただけともいえる「シュート」だ。
みていてたのもしかったのは、井手口・原口・大迫で、
乾も前半のはやい時間帯まではよかった。
守備陣は、どう評価すればいいのだろう。
相手におしこまれたときに、
バタバタとうきあしだってしまうのが、日本のわるいクセで、
きょうもまた試合をおちつかせる選手がいないまま
3点つづけて失点してしまい、逆転をゆるした。
代表レベルの試合では、あってはならない展開だ。
ボールをもたされると、なかなかせめきれず、
そのうちカウンターをかんたんにきめられる。
Wカップアジア最終予選のオーストラリア戦がよかったので、
そのままちからをつけていってくれたら、本戦では期待できそう、
とおもっていたのに、そのあとの3試合はピリッとしない。
いまはまだ、いろんなくみあわせをためしている時期だ。
課題を整理して、カウンターへの対応を改善してほしい。
2017年10月09日
なんちゃって観光客として松江市をあるく
まえの職場で、しばらくいっしょに仕事をしていた元同僚と、
いちにち松江市内を「観光」した。
そのひとは、あるくのがすきで、
通勤はもちろんあるきだし(往復1時間)、
昼やすみにも職場をぬけだしてあるき(45分)、
やすみの日も、土日のいずれかはあるき、
外をあるかないと 調子がくるうのだそうで、
とにかくなにかにつけてあるく。
いかにもおもしろそうな日常なので、
いつかいっしょにあるけたら、とおもっていたところ、
きょうはちょうど条件がかさなり、
6時間半をいっしょに市内観光ができた。
そのひとは、純粋にあるくのがすきなだけで、
体力づくりが目的ではないし、あるくスピードや
何万歩あるいたかというデーターにも関心がない。
いちにち外をあるかないと、おちつかなくなるそうで、
なんだかおよがないと死んでしまうマグロみたいだ。
きょうは、「あるき」の極意をおしえてもらおうと、
あるきながら インタビューみたいにいろいろききだした。
じっさいに、いっしょにあるいてみると、
かなりのはやあるきで、時速6キロくらいのスピードだ。
おとずれた場所での滞在時間をさしひくと、
きょうは3時間30分をこのスピードであるいた。
ペースが安定してくると、これくらいはやくあるいたほうが
リズムをとりやすく、つかれもかんじない。
・県立美術館
・塩見縄手
・地ビール館
の3ヶ所をおとずれる。
余暇支援として、市内をあるいていると、
観光地をかすめてとおることもおおく、
そんな場所では当然ながら観光客がたのしそうにあるいている。
イメージによわいわたしは、いかにも観光地という場所を、
いかにも観光客という顔をしてあるき、
ビールをのんで休憩というのをやってみたかった。
それがわたしにとっての観光であり、休暇であるとともに、
適度にからだをうごかす理想的な余暇活動でもある。
県立美術館では、「夢の美術館」という企画を開催中だ。
休館中の北九州市立美術館と福岡市美術館から
有名な作品のコレクションをかりてきての企画で、
島根では みる機会のとぼしい名画にふれる機会となる。
おおげさにいえば、ルーブルが島根にきてくれたようなものだ。
村上春樹さんの『騎士団長殺し』を最近よんだので、
まえよりも 絵をたのしむ目がやしなわれたような気もする。
せっかくの機会なので、おとずれるチャンスをうかがっていた。
結果からいえば、せっかくよその美術館からかりてきた名画も、
わたしにピンとくる作品はなく、
とにかく美術館にいった、という事実だけが実績としてのこった。
秋になったからといって、『騎士団長殺し』をよんだからといって、
きゅうに絵が理解できるわけではない。
つぎにたずねた塩見縄手は、松江の観光スポットとして
かならずあげられる 有名なとおりだけど、
あるいてとおると、いかにもみなれた風景だ。
そんなにスペシャル感はない。
ただ、観光客とまじってあるけたのはうれしかった。
さいごにおとずれた地ビール館は、
その名のとおり、地ビールをのんで おみやげをかうお店だ。
わたしにとって イメージの「観光」にかかせない場所なので、
ビールを注文し、しばらくきょうのながあるきを おたがいにねぎらう。
そのあとは、出発点をめざして1時間半あるく。
夕方の5時半に わりあいげんきなまま、ゴールにたどりついた。
ほどよいつかれと、長年の夢がかなえられた充実感を味わう。
死ぬまでにしたい10のこと、を
真剣にリストアップしたことはないけど、
きょうのいちにちは、まちがいなく10位以内にはいるであろう
わたしのささやかなねがいだった。
夢の実現は、あまりおおくをのぞまなければ、
あんがいお手がるで、お金もかからないのかも。
いちにち松江市内を「観光」した。
そのひとは、あるくのがすきで、
通勤はもちろんあるきだし(往復1時間)、
昼やすみにも職場をぬけだしてあるき(45分)、
やすみの日も、土日のいずれかはあるき、
外をあるかないと 調子がくるうのだそうで、
とにかくなにかにつけてあるく。
いかにもおもしろそうな日常なので、
いつかいっしょにあるけたら、とおもっていたところ、
きょうはちょうど条件がかさなり、
6時間半をいっしょに市内観光ができた。
そのひとは、純粋にあるくのがすきなだけで、
体力づくりが目的ではないし、あるくスピードや
何万歩あるいたかというデーターにも関心がない。
いちにち外をあるかないと、おちつかなくなるそうで、
なんだかおよがないと死んでしまうマグロみたいだ。
きょうは、「あるき」の極意をおしえてもらおうと、
あるきながら インタビューみたいにいろいろききだした。
じっさいに、いっしょにあるいてみると、
かなりのはやあるきで、時速6キロくらいのスピードだ。
おとずれた場所での滞在時間をさしひくと、
きょうは3時間30分をこのスピードであるいた。
ペースが安定してくると、これくらいはやくあるいたほうが
リズムをとりやすく、つかれもかんじない。
・県立美術館
・塩見縄手
・地ビール館
の3ヶ所をおとずれる。
余暇支援として、市内をあるいていると、
観光地をかすめてとおることもおおく、
そんな場所では当然ながら観光客がたのしそうにあるいている。
イメージによわいわたしは、いかにも観光地という場所を、
いかにも観光客という顔をしてあるき、
ビールをのんで休憩というのをやってみたかった。
それがわたしにとっての観光であり、休暇であるとともに、
適度にからだをうごかす理想的な余暇活動でもある。
県立美術館では、「夢の美術館」という企画を開催中だ。
休館中の北九州市立美術館と福岡市美術館から
有名な作品のコレクションをかりてきての企画で、
島根では みる機会のとぼしい名画にふれる機会となる。
おおげさにいえば、ルーブルが島根にきてくれたようなものだ。
村上春樹さんの『騎士団長殺し』を最近よんだので、
まえよりも 絵をたのしむ目がやしなわれたような気もする。
せっかくの機会なので、おとずれるチャンスをうかがっていた。
結果からいえば、せっかくよその美術館からかりてきた名画も、
わたしにピンとくる作品はなく、
とにかく美術館にいった、という事実だけが実績としてのこった。
秋になったからといって、『騎士団長殺し』をよんだからといって、
きゅうに絵が理解できるわけではない。
つぎにたずねた塩見縄手は、松江の観光スポットとして
かならずあげられる 有名なとおりだけど、
あるいてとおると、いかにもみなれた風景だ。
そんなにスペシャル感はない。
ただ、観光客とまじってあるけたのはうれしかった。
さいごにおとずれた地ビール館は、
その名のとおり、地ビールをのんで おみやげをかうお店だ。
わたしにとって イメージの「観光」にかかせない場所なので、
ビールを注文し、しばらくきょうのながあるきを おたがいにねぎらう。
そのあとは、出発点をめざして1時間半あるく。
夕方の5時半に わりあいげんきなまま、ゴールにたどりついた。
ほどよいつかれと、長年の夢がかなえられた充実感を味わう。
死ぬまでにしたい10のこと、を
真剣にリストアップしたことはないけど、
きょうのいちにちは、まちがいなく10位以内にはいるであろう
わたしのささやかなねがいだった。
夢の実現は、あまりおおくをのぞまなければ、
あんがいお手がるで、お金もかからないのかも。
2017年10月08日
老人って、内面はわかいころとかわらないのかも
『ラジオ・ガガガ』(原田ひ香・双葉社)
ラジオ番組が脇役となっている短編集。
第1話の「3匹の子豚たち」にでてくる信子さんは
ラジオをきくのがすきな75歳の老人だ。
なんの状況説明もなく、いきなりラジオ番組のはなしがでてくるので、
いったいどこで・だれが・なにをしているのかがわからない。
苦情をいっているのではなく、これはひとつのテクニックだ。
情報がなければわからないほど、
老人と中年(たぶんわかものも)の内面に差はない。
これは、ケアホームでの初日に、
信子さんが職員から趣味をたずねられている場面だ。
わかもののような胸のうちをきいているだけでは、
信子さんの年齢がつかめない。
老人というと、みかけが年よりであるとともに、
その内面までふけこんでいるようにおもいがちだけど、
信子さんは、わかいころからかわらないようにみえる。
信子さんだけでなく、老人は胸のなかで、
わかいころとおなじ思考をくりひろげているのではないか。
まわりが年よりあつかいをするし、
自分でもからだがまえのようにはうごかないので、
年よりであることをうけいれるしかないけど、
気もちはわかい、というよりも、わかいころとかわらない。
ただ、じっさいに口にするとややこしくなるので、
おとなしくほほえむだけでやりすごす。
このまえひさしぶりに配偶者の顔をじっとみたら、
ずいぶんふけこんでいたのにおどろいた。
むこうも、わたしの顔をもしじっくりみたら、
おなじようにおもうだろう。
自分では そんなにまえとかわってないつもりでも、
まわりからみればりっぱな中高年世代だ。
あと20年すれば、だれがどうみても老人であり、
老人としてあつかわれるようになる。
くりかえすけど、内面はまえといっしょなのに。
「3匹の子豚たち」をよみすすめるうちに、
信子さんがラジオをきくようになったきっかけや、
3人のむすこが、それぞれのやり方で
信子さんを心配しているのがわかってくる。
微妙な距離感で子どもたちをそだてたのは、
ほかならぬ信子さんであり、
その信子さんをささえてきたのが深夜放送と、
よくねられた構成がうまく、ラストがまたきまっている。
もうするべき仕事はすべておえた、とおもっていた信子さんが、
おもいがけず、あたらしいスタートをきれそうだ。
ラジオ番組が脇役となっている短編集。
第1話の「3匹の子豚たち」にでてくる信子さんは
ラジオをきくのがすきな75歳の老人だ。
なんの状況説明もなく、いきなりラジオ番組のはなしがでてくるので、
いったいどこで・だれが・なにをしているのかがわからない。
苦情をいっているのではなく、これはひとつのテクニックだ。
情報がなければわからないほど、
老人と中年(たぶんわかものも)の内面に差はない。
本当に聴いてんのかよ、お前。ラジオ深夜便なんて老人相手のスローテンポな番組、聴いたことないくせに。あんなつまんないラジオ、私だって聴かないのに。27歳の男が?逆に気持ち悪いわ。
これは、ケアホームでの初日に、
信子さんが職員から趣味をたずねられている場面だ。
わかもののような胸のうちをきいているだけでは、
信子さんの年齢がつかめない。
老人というと、みかけが年よりであるとともに、
その内面までふけこんでいるようにおもいがちだけど、
信子さんは、わかいころからかわらないようにみえる。
信子さんだけでなく、老人は胸のなかで、
わかいころとおなじ思考をくりひろげているのではないか。
まわりが年よりあつかいをするし、
自分でもからだがまえのようにはうごかないので、
年よりであることをうけいれるしかないけど、
気もちはわかい、というよりも、わかいころとかわらない。
ただ、じっさいに口にするとややこしくなるので、
おとなしくほほえむだけでやりすごす。
このまえひさしぶりに配偶者の顔をじっとみたら、
ずいぶんふけこんでいたのにおどろいた。
むこうも、わたしの顔をもしじっくりみたら、
おなじようにおもうだろう。
自分では そんなにまえとかわってないつもりでも、
まわりからみればりっぱな中高年世代だ。
あと20年すれば、だれがどうみても老人であり、
老人としてあつかわれるようになる。
くりかえすけど、内面はまえといっしょなのに。
「3匹の子豚たち」をよみすすめるうちに、
信子さんがラジオをきくようになったきっかけや、
3人のむすこが、それぞれのやり方で
信子さんを心配しているのがわかってくる。
微妙な距離感で子どもたちをそだてたのは、
ほかならぬ信子さんであり、
その信子さんをささえてきたのが深夜放送と、
よくねられた構成がうまく、ラストがまたきまっている。
もうするべき仕事はすべておえた、とおもっていた信子さんが、
おもいがけず、あたらしいスタートをきれそうだ。
2017年10月07日
祝 デイリーポータルZ15周年
「デイリーポータルZ」が15周年をむかえ、
うちあげや特集をくんでいる。
http://dpz.cocolog-nifty.com/q/2017/10/10715-8365.html
こんなサイトがあるのは、とてもありがたいことで、
もしなくなったらとおもうとゾッとする。
15周年おめでとうと、感謝をこめてつたえたい。
うちあげの内容は、
・ただの飲み会
・ライターによる宴会芸披露
・意味のない時間のカウントダウン
となっている。
「意味のない時間のカウントダウン」が
いかにもデイリーポータルZらしくていい。
特集として、読者から
「人生を変えた記事」がよせられている。
このサイトにであったおかげで、
会社をやめたひとがなんにんもいるそうだ。
わたしのすきな「野宿野郎」とおなじように、
人生を低迷させるのが
デイリーポータルZに期待される役割のひとつだ。
わたしも、会社をやめまではしなかったけど、
デイリーポータルZのおかげで ずいぶん楽に、
そしてたのしく生きられるようになった。
わたしとデイリーポータルZのであいは、
2012年にかかれた記事、
「カメムシはパクチーの代わりになるか」からだ。
このときはまだ、デイリーポータルZがなんなのかを
わたしはしらなかった。
まるでゴキブリみたいにみえる いためたカメムシを、
女性のライターがたべているのにおどろいたものだ。
そのほかにも、検索でひっかかる記事をよむうちに、
デイリーポータルZというサイトがあるのをしり、
毎日かかさずのぞくようになった。
どうでもいいことを、まじめにとりくんでいる記事が
わたしはすきだ。
・グフをフグにする
・スパゲティにソース味がないのはなんでだ
・ウルトラマンに学ぶ「操られている人」の特徴
・高級家電はだいたい羊羹
・イチゴ味のかき氷は本当にイチゴ味なのか
だめだ。すきな記事をあげだすと きりがない。
最近では、ヨシダプロ氏の
「柴犬のももちゃん」シリーズをひいきにしている。
デイリーポータルZというサイトは、
気づかないうちに わたしにとって
非情におおきな存在となっていた。
15周年をこころからおいわいするとともに、
これからもすえながくつづけてほしい。
うちあげや特集をくんでいる。
http://dpz.cocolog-nifty.com/q/2017/10/10715-8365.html
こんなサイトがあるのは、とてもありがたいことで、
もしなくなったらとおもうとゾッとする。
15周年おめでとうと、感謝をこめてつたえたい。
うちあげの内容は、
・ただの飲み会
・ライターによる宴会芸披露
・意味のない時間のカウントダウン
となっている。
「意味のない時間のカウントダウン」が
いかにもデイリーポータルZらしくていい。
特集として、読者から
「人生を変えた記事」がよせられている。
このサイトにであったおかげで、
会社をやめたひとがなんにんもいるそうだ。
わたしのすきな「野宿野郎」とおなじように、
人生を低迷させるのが
デイリーポータルZに期待される役割のひとつだ。
わたしも、会社をやめまではしなかったけど、
デイリーポータルZのおかげで ずいぶん楽に、
そしてたのしく生きられるようになった。
わたしとデイリーポータルZのであいは、
2012年にかかれた記事、
「カメムシはパクチーの代わりになるか」からだ。
このときはまだ、デイリーポータルZがなんなのかを
わたしはしらなかった。
まるでゴキブリみたいにみえる いためたカメムシを、
女性のライターがたべているのにおどろいたものだ。
そのほかにも、検索でひっかかる記事をよむうちに、
デイリーポータルZというサイトがあるのをしり、
毎日かかさずのぞくようになった。
どうでもいいことを、まじめにとりくんでいる記事が
わたしはすきだ。
・グフをフグにする
・スパゲティにソース味がないのはなんでだ
・ウルトラマンに学ぶ「操られている人」の特徴
・高級家電はだいたい羊羹
・イチゴ味のかき氷は本当にイチゴ味なのか
だめだ。すきな記事をあげだすと きりがない。
最近では、ヨシダプロ氏の
「柴犬のももちゃん」シリーズをひいきにしている。
デイリーポータルZというサイトは、
気づかないうちに わたしにとって
非情におおきな存在となっていた。
15周年をこころからおいわいするとともに、
これからもすえながくつづけてほしい。
2017年10月06日
地域デビューをはたしつつあるのかも
わたしがすんでいる地区の、
障害をもった子どもたちと、その家族をささえる会に参加した。
今夜は、月例会と懇親会をかねたもよおしで、
毎回おなじネタという手品や、一発芸みたいなのが披露された。
10年にわたり、今夜のような会や、バス旅行にクリスマス会など、
たのしいもよおしを定期的につづけてこられたという。
わたしは介護職についているといっても、
福祉・介護に情熱をもやしている人間ではなく、
アウエー感いっぱいで会場にむかったけど、
さいわい、肩のこらない気らくな会で、
おもいがけずたのしい時間をすごせた。
公民館・交番のおまわりさん・社協の職員・養護学校の先生
・地区のサポーター、そしてもちろん
障害をもった子どもたちとその家族。
今夜の会は、いろんなひとをまきこむのに成功している。
関係者ばかりあつまっていては、支援はひろがらない。
この会は、とてもうまくいっているめずらしい例ではないか。
中心となって会をささえておられる方が
よほどしっかりされているのだろう。
このごろ「ムチャぶり」ということばをよく耳にする。
なんだか得意そうに いうひとがおおいものだから、
わたしはつかわないようにしているけど、
今夜の会で司会をされた方は、
まさしくムチャぶりとしかいいようのないすすめ方だった。
お客さんとしてすごすのをゆるしてくれない。
どんどんマイクをむけていき、当事者側にひっぱりこむ。
それでいていやなかんじはしないのだから、人徳というしかない。
年代でいうと、上は初老の方から、下は幼稚園児まで、
いろんな歳のひとがあつまって、なごやかな雰囲気をつくっている。
やらなければならないから、という使命感ではなく、
たのしいからつづけているのが みていてよくわかるすてきな会だった。
地区の役員として バス旅行や運動会、
そして今夜のような会に参加するようになり、
わたしはだんだんと地域デビューをはたしつつあるようだ。
地域にくらすものとして、職場や家とはちがう居場所になるだろうか。
まえは、こうした会を苦手としていたし、やりたくもなかったので、
参加するなんておもってもなかったけど、
歳をとるにつれ、地域でのくらしを無視できなくなってきた。
今夜の会みたいに、気のおけない雰囲気だと
地域活動の初心者としてはありがたい。
参加したひとのおおくがほほえんでいる すてきな会だった。
障害をもった子どもたちと、その家族をささえる会に参加した。
今夜は、月例会と懇親会をかねたもよおしで、
毎回おなじネタという手品や、一発芸みたいなのが披露された。
10年にわたり、今夜のような会や、バス旅行にクリスマス会など、
たのしいもよおしを定期的につづけてこられたという。
わたしは介護職についているといっても、
福祉・介護に情熱をもやしている人間ではなく、
アウエー感いっぱいで会場にむかったけど、
さいわい、肩のこらない気らくな会で、
おもいがけずたのしい時間をすごせた。
公民館・交番のおまわりさん・社協の職員・養護学校の先生
・地区のサポーター、そしてもちろん
障害をもった子どもたちとその家族。
今夜の会は、いろんなひとをまきこむのに成功している。
関係者ばかりあつまっていては、支援はひろがらない。
この会は、とてもうまくいっているめずらしい例ではないか。
中心となって会をささえておられる方が
よほどしっかりされているのだろう。
このごろ「ムチャぶり」ということばをよく耳にする。
なんだか得意そうに いうひとがおおいものだから、
わたしはつかわないようにしているけど、
今夜の会で司会をされた方は、
まさしくムチャぶりとしかいいようのないすすめ方だった。
お客さんとしてすごすのをゆるしてくれない。
どんどんマイクをむけていき、当事者側にひっぱりこむ。
それでいていやなかんじはしないのだから、人徳というしかない。
年代でいうと、上は初老の方から、下は幼稚園児まで、
いろんな歳のひとがあつまって、なごやかな雰囲気をつくっている。
やらなければならないから、という使命感ではなく、
たのしいからつづけているのが みていてよくわかるすてきな会だった。
地区の役員として バス旅行や運動会、
そして今夜のような会に参加するようになり、
わたしはだんだんと地域デビューをはたしつつあるようだ。
地域にくらすものとして、職場や家とはちがう居場所になるだろうか。
まえは、こうした会を苦手としていたし、やりたくもなかったので、
参加するなんておもってもなかったけど、
歳をとるにつれ、地域でのくらしを無視できなくなってきた。
今夜の会みたいに、気のおけない雰囲気だと
地域活動の初心者としてはありがたい。
参加したひとのおおくがほほえんでいる すてきな会だった。
2017年10月05日
『肉・卵・チーズで人は生まれ変わる』(渡辺信幸)
『肉・卵・チーズで人は生まれ変わる』(渡辺信幸・主婦の友社)
先週の朝日新聞で、渡辺氏の食事法をはじめてしる。
おもしろいかんがえ方なので、図書館にあった本書をよんでみた。
すこしまえなら、極端な説をとなえる いかがわしい食事法と
きわものあつかいしただろうけど、
糖質制限の一種としてみるとすんなり理解できる。
タイトルにあるように、肉と卵、
それにチーズを積極的にとりいれる食事法で、
それぞれの頭文字をとってMEC食というのだそうだ。
いちにちに、肉を200グラム、卵を3個、チーズを120グラムたべる。
注意するのは、よくかむことだけで(ひとくち30回)、
カロリーをおさえろとか、脂質のとりすぎに気をつけろとか、
こまかな制限がないのがとてもいい。
たべてはいけないものがなく、気もちのうえで楽にとりくめそうだ。
ふつうだと、ねるまえの食事は
さけるようというアドバイスがおおいなかで、
この食事法はおなかがすけば、いつたべていい。
食物繊維をむりにとる必要もなく、
野菜さえ べつにとらなくてもいい、とかいてある。
とにかく、肉・卵・チーズをたべるだけだ。
これまでただしいとされてきた食事と かけはなれている。
椎名誠さんの旅ルポで、南米のガウチョたちが
朝から羊のステーキをたべているようすが紹介されていた。
こんな食事をつづけたら、生活習慣病にまっしぐら、
みたいな気がするのに、本書のかんがえ方によると、
べつに問題ないことになる。
コレステロールや中性脂肪がたかくなるのは、
脂質のたかい食事をつづけたからではないらしい。
どうも、わるいのは 糖質だけで、動物性たんぱく質や脂質は、
いくらたべても問題ないというのが、渡辺さんのかんがえ方だ。
ここまで極端だと すっきりして気もちがいい。
塩分のとりすぎでは?
尿酸値があがりませんか?
コレステロール値がたかくなりそう、
そんな読者からの疑問にも、
ぜんぶ問題ないと、のらりくらりしりぞける。
ラーメン屋さんで、ギトギトのぶあついチャーシューが
ずらっとどんぶりにはりついている
チャーシューメンの大盛を注文するひとをみると、
なんてむちゃなことをするんだ、
中性脂肪がふえるぞ、なんておもっていたけど、
これこそがただしいラーメンのたべ方だったとは。
欧米型の食生活で、病気になるのはなぜなのか。
なぜ日本型の食事は健康的といわれていたのか。
糖質の問題点がいろいろ指摘されるようになっているのに、
おおくの医者はなぜいまだに
むかしながらの「バランスのとれた食事」をすすめるのか。
そもそも、食事におけるバランスとはなにか。
じっさいに、3日ほどためしてみた。
野菜をたくさんたべないので、
たべる量がコンパクトになるかんじだ。
満腹までたべず、腹八分目でやめても
必要なカロリーをとりいれているので満足感がある。
いまのところ、からだの調子もわるくない。
この食事法をつづけたとき、長期的に、
どんな結果をまねくのかをしりたくなった。
先週の朝日新聞で、渡辺氏の食事法をはじめてしる。
おもしろいかんがえ方なので、図書館にあった本書をよんでみた。
すこしまえなら、極端な説をとなえる いかがわしい食事法と
きわものあつかいしただろうけど、
糖質制限の一種としてみるとすんなり理解できる。
タイトルにあるように、肉と卵、
それにチーズを積極的にとりいれる食事法で、
それぞれの頭文字をとってMEC食というのだそうだ。
いちにちに、肉を200グラム、卵を3個、チーズを120グラムたべる。
注意するのは、よくかむことだけで(ひとくち30回)、
カロリーをおさえろとか、脂質のとりすぎに気をつけろとか、
こまかな制限がないのがとてもいい。
たべてはいけないものがなく、気もちのうえで楽にとりくめそうだ。
ふつうだと、ねるまえの食事は
さけるようというアドバイスがおおいなかで、
この食事法はおなかがすけば、いつたべていい。
食物繊維をむりにとる必要もなく、
野菜さえ べつにとらなくてもいい、とかいてある。
とにかく、肉・卵・チーズをたべるだけだ。
これまでただしいとされてきた食事と かけはなれている。
椎名誠さんの旅ルポで、南米のガウチョたちが
朝から羊のステーキをたべているようすが紹介されていた。
こんな食事をつづけたら、生活習慣病にまっしぐら、
みたいな気がするのに、本書のかんがえ方によると、
べつに問題ないことになる。
コレステロールや中性脂肪がたかくなるのは、
脂質のたかい食事をつづけたからではないらしい。
どうも、わるいのは 糖質だけで、動物性たんぱく質や脂質は、
いくらたべても問題ないというのが、渡辺さんのかんがえ方だ。
ここまで極端だと すっきりして気もちがいい。
塩分のとりすぎでは?
尿酸値があがりませんか?
コレステロール値がたかくなりそう、
そんな読者からの疑問にも、
ぜんぶ問題ないと、のらりくらりしりぞける。
ラーメン屋さんで、ギトギトのぶあついチャーシューが
ずらっとどんぶりにはりついている
チャーシューメンの大盛を注文するひとをみると、
なんてむちゃなことをするんだ、
中性脂肪がふえるぞ、なんておもっていたけど、
これこそがただしいラーメンのたべ方だったとは。
欧米型の食生活で、病気になるのはなぜなのか。
なぜ日本型の食事は健康的といわれていたのか。
糖質の問題点がいろいろ指摘されるようになっているのに、
おおくの医者はなぜいまだに
むかしながらの「バランスのとれた食事」をすすめるのか。
そもそも、食事におけるバランスとはなにか。
じっさいに、3日ほどためしてみた。
野菜をたくさんたべないので、
たべる量がコンパクトになるかんじだ。
満腹までたべず、腹八分目でやめても
必要なカロリーをとりいれているので満足感がある。
いまのところ、からだの調子もわるくない。
この食事法をつづけたとき、長期的に、
どんな結果をまねくのかをしりたくなった。
2017年10月04日
自然農法でおいしい枝豆ができた
大豆がよくみのったので、しりあい4軒におすそわけをする。
枝豆としてたべてもらおうとおもった。
枝豆と大豆はどうちがうかというと、
実がしっかりかたくなるまで成熟させたのが大豆で、
大豆として収穫するよりも、わかいころにとりいれるのが枝豆だ。
枝豆専用でたべる種類の大豆もあり、
そのへんはちょっとややこしいけど、
大豆と枝豆はおなじ植物と理解して まちがいないようだ。
ともかく、畑の大豆がよくできたので、
枝豆としてたべてみると りっぱにおいしい。
せっかくなので、しりあいにも味わってもらうことにした。
それが、おもったよりも評判がよく、
だれもが「とてもおいしい」といってくれた。
ひとからもらっておいて、
「いまひとつでした」とはふつういわないけれど、
ほめてくれたひとの反応は、あながち おおげさではないとおもう。
冗談みたいにぎっしりとサヤがついていて、
どのサヤにもじゅうじつした実がはいっている。
自然農法なので、肥料・農薬をつかっておらず、
土もたがやさずに種をまいた。土よせもしていない。
もともと大豆は肥料を必要としないけど、
2〜3回草刈機でおおざっぱに草をかっただけで、
「雑草とのたたかい」などのドラマや苦労ばなしはなく、
種をまいたらなんとなくよくそだった。
連作をきらう植物だけど、ことしで3年連続大豆をつくっており、
なんでこんなによくできたのか、わたしにもわからない。
わたしは、自然農法で米や野菜をつくろうとしている。
いまのところ、どれもさっぱりなので、
いいかげんやる気をうしなってきたけど、
かんがえてみたら、大豆だけはうまくつくれている。
しりあいにほめられるまで、とくにすぐれたできとはおもっておらず、
ほめてもらうと、ようやく自分のそだてた大豆が
わるくないできなのをしった。
自分の長所は、まわりのひとがきめるのとおなじみたいに、
自分がつくったもののよさは、ひとからいわれないと気づかない。
自然農法のかんがえ方は、人間がいろいろとお世話するのではなく、
植物が自然のちからでかってにそだつようになれば完成形だ。
肥料や農薬をつかい、人間のちからで
植物をうまくそだててやろうという たし算ではなく、
土をたがやさなくてもいいのでは、
肥料も必要ないのでは、とひき算していく。
といっても、雑草だらけのなかに種をまいても うまくいかないわけで、
ある程度の環境調整が必要となる。
夏やさいは、全滅といっていいほどできなかった。
お米も、芽はでたものの、成長がおもわしくなく、
ほとんど収穫のない秋をむかえている。
そんななかで、大豆だけはうまくいった。
草かりに3回はいった以外、わたしはなにもしていない。
まさにかってにそだった、というのが実感だ。
それでいて、スーパーでかう枝豆よりもずっとおいしい。
自然農法なんて、ぜんぜんうまくいかない、と
やる気をなくしていたけど、成功例がちゃんと目のまえにあったのだ。
うまくいかないものだけにひっぱられて、
なにもせずによくそだった大豆を評価していなかった。
客観的にみたら、これこそが自然農法といえるだろう。
職場のお弁当班がやっている ちいさな野菜売場に、
枝豆としてだせばよかった、とあとからおもった。
スーパーでは、ちいさな枝が200円ぐらいでうられている。
わたしの枝豆なら、その倍よりもおおくサヤがついているので、
枝豆がほしいひとからみたら、いいかいものだろう。
自分でたべるだけに満足せず、野菜市場でお金にかわれば、
ひとつの収入源として がんばってつくる気になる。
じっさいは、なにもしないのだから、がんばりようがないのだけど。
枝豆としてたべてもらおうとおもった。
枝豆と大豆はどうちがうかというと、
実がしっかりかたくなるまで成熟させたのが大豆で、
大豆として収穫するよりも、わかいころにとりいれるのが枝豆だ。
枝豆専用でたべる種類の大豆もあり、
そのへんはちょっとややこしいけど、
大豆と枝豆はおなじ植物と理解して まちがいないようだ。
ともかく、畑の大豆がよくできたので、
枝豆としてたべてみると りっぱにおいしい。
せっかくなので、しりあいにも味わってもらうことにした。
それが、おもったよりも評判がよく、
だれもが「とてもおいしい」といってくれた。
ひとからもらっておいて、
「いまひとつでした」とはふつういわないけれど、
ほめてくれたひとの反応は、あながち おおげさではないとおもう。
冗談みたいにぎっしりとサヤがついていて、
どのサヤにもじゅうじつした実がはいっている。
自然農法なので、肥料・農薬をつかっておらず、
土もたがやさずに種をまいた。土よせもしていない。
もともと大豆は肥料を必要としないけど、
2〜3回草刈機でおおざっぱに草をかっただけで、
「雑草とのたたかい」などのドラマや苦労ばなしはなく、
種をまいたらなんとなくよくそだった。
連作をきらう植物だけど、ことしで3年連続大豆をつくっており、
なんでこんなによくできたのか、わたしにもわからない。
わたしは、自然農法で米や野菜をつくろうとしている。
いまのところ、どれもさっぱりなので、
いいかげんやる気をうしなってきたけど、
かんがえてみたら、大豆だけはうまくつくれている。
しりあいにほめられるまで、とくにすぐれたできとはおもっておらず、
ほめてもらうと、ようやく自分のそだてた大豆が
わるくないできなのをしった。
自分の長所は、まわりのひとがきめるのとおなじみたいに、
自分がつくったもののよさは、ひとからいわれないと気づかない。
自然農法のかんがえ方は、人間がいろいろとお世話するのではなく、
植物が自然のちからでかってにそだつようになれば完成形だ。
肥料や農薬をつかい、人間のちからで
植物をうまくそだててやろうという たし算ではなく、
土をたがやさなくてもいいのでは、
肥料も必要ないのでは、とひき算していく。
といっても、雑草だらけのなかに種をまいても うまくいかないわけで、
ある程度の環境調整が必要となる。
夏やさいは、全滅といっていいほどできなかった。
お米も、芽はでたものの、成長がおもわしくなく、
ほとんど収穫のない秋をむかえている。
そんななかで、大豆だけはうまくいった。
草かりに3回はいった以外、わたしはなにもしていない。
まさにかってにそだった、というのが実感だ。
それでいて、スーパーでかう枝豆よりもずっとおいしい。
自然農法なんて、ぜんぜんうまくいかない、と
やる気をなくしていたけど、成功例がちゃんと目のまえにあったのだ。
うまくいかないものだけにひっぱられて、
なにもせずによくそだった大豆を評価していなかった。
客観的にみたら、これこそが自然農法といえるだろう。
職場のお弁当班がやっている ちいさな野菜売場に、
枝豆としてだせばよかった、とあとからおもった。
スーパーでは、ちいさな枝が200円ぐらいでうられている。
わたしの枝豆なら、その倍よりもおおくサヤがついているので、
枝豆がほしいひとからみたら、いいかいものだろう。
自分でたべるだけに満足せず、野菜市場でお金にかわれば、
ひとつの収入源として がんばってつくる気になる。
じっさいは、なにもしないのだから、がんばりようがないのだけど。
2017年10月03日
村上作品におけるアイロンがけの工程
イナモト氏のブログにのった
「アイロンがけの楽しみ」がおかしかった。
http://yinamoto.hatenablog.com/entry/2017/10/01/130820
イナモト氏は村上春樹さんの小説がにが手で、
なにが「僕がアイロンをかける工程は・・・」だ、と
やつあたりしておきながら、
そのアイロンがけがすきになってしまったと告白する。
しかも工程にそって仕事をすすめるというのだから
まさに村上式のアイロンがけだ。
わたしは、料理はするけど、アイロンがけをたのしむ素養はない。
おりめのついた服はきゅうくつだし、
スーツをきる機会など、いちねんにいちど
あるかないかなので、ワイシャツはぜんぶクリーニング店にまかせ、
自分でアイロンをかけたことがない。
もし、いくつかの工程にわけ、分業のように
手順をきめて仕事をすすめたら、
集中した たのしい時間になりそうだ。
とはいえ、村上さんの作品にかかれている
アイロンがけの工程をたどれば、
じょうずにアイロンがあてられるかというと、
きっとそこまで親切にはかかれていないような気がする。
このまえよんだ村上春樹さんの『騎士団長殺し』には、
面色さんがつくってくれた完璧なオムレツが登場する。
オムレツのつくりかたがかなりくわしくのべられているけど、
それにもかかわらず、フライパンにタマゴをいれてからの
だいじなポイントがはぶかれていて、
この本を参考にするだけでは みごとなオムレツにしあがらない。
また、一般的には氷をいれないシングルモルト・ウイスキーを、
あえてオン・ザ・ロックでのんだり、
そうかとおもえばスコッチを氷なしで、
チェイサーにミネラルウォターをたのむとか、
なにかのメッセージがこめられている場面がいくつかある。
わたしには村上さんの意図をよみとれず、
なぜシングルモルトに氷をいれるのかにひっかかったままだ。
『騎士団長殺し』には、村上さんの作品らしく、
もちろんアイロンをかける場面が登場する、と
断言しようとしたけど、記憶がたしかではない。
アイロンをかけ、スパゲティをゆで、さっと料理をする場面が
ほかの作品と、ごちゃまぜになっているのかもしれない。
そうした日常のひとコマが、こまかくかかれていると、
なんとなく村上作品っぽくなる。
それではあまりにも安直なので、わざとつくり方をぼかして
行間に意味をこめるのが村上作品の特徴となっている。
うんちくをかったりしない。おとし穴をさりげなく配置し、
つくり方はあくまでもかるくながすだけだ。
「アイロンがけの楽しみ」がおかしかった。
http://yinamoto.hatenablog.com/entry/2017/10/01/130820
イナモト氏は村上春樹さんの小説がにが手で、
なにが「僕がアイロンをかける工程は・・・」だ、と
やつあたりしておきながら、
そのアイロンがけがすきになってしまったと告白する。
しかも工程にそって仕事をすすめるというのだから
まさに村上式のアイロンがけだ。
わたしは、料理はするけど、アイロンがけをたのしむ素養はない。
おりめのついた服はきゅうくつだし、
スーツをきる機会など、いちねんにいちど
あるかないかなので、ワイシャツはぜんぶクリーニング店にまかせ、
自分でアイロンをかけたことがない。
もし、いくつかの工程にわけ、分業のように
手順をきめて仕事をすすめたら、
集中した たのしい時間になりそうだ。
とはいえ、村上さんの作品にかかれている
アイロンがけの工程をたどれば、
じょうずにアイロンがあてられるかというと、
きっとそこまで親切にはかかれていないような気がする。
このまえよんだ村上春樹さんの『騎士団長殺し』には、
面色さんがつくってくれた完璧なオムレツが登場する。
オムレツのつくりかたがかなりくわしくのべられているけど、
それにもかかわらず、フライパンにタマゴをいれてからの
だいじなポイントがはぶかれていて、
この本を参考にするだけでは みごとなオムレツにしあがらない。
また、一般的には氷をいれないシングルモルト・ウイスキーを、
あえてオン・ザ・ロックでのんだり、
そうかとおもえばスコッチを氷なしで、
チェイサーにミネラルウォターをたのむとか、
なにかのメッセージがこめられている場面がいくつかある。
わたしには村上さんの意図をよみとれず、
なぜシングルモルトに氷をいれるのかにひっかかったままだ。
『騎士団長殺し』には、村上さんの作品らしく、
もちろんアイロンをかける場面が登場する、と
断言しようとしたけど、記憶がたしかではない。
アイロンをかけ、スパゲティをゆで、さっと料理をする場面が
ほかの作品と、ごちゃまぜになっているのかもしれない。
そうした日常のひとコマが、こまかくかかれていると、
なんとなく村上作品っぽくなる。
それではあまりにも安直なので、わざとつくり方をぼかして
行間に意味をこめるのが村上作品の特徴となっている。
うんちくをかったりしない。おとし穴をさりげなく配置し、
つくり方はあくまでもかるくながすだけだ。
2017年10月02日
RCサクセッションの「上を向いて歩こう」をきいたことがありますか
「上を向いて歩こう」は、もちろん
永六輔さんと中村八大さんがつくり、坂本九さんがうたった曲だ。
そして、九ちゃんだけでなく、RCサクセッションもうたっている。
RCのばかりきいてきたわたしは、
「上を向いて歩こう」といえば、RCのほうをまずイメージする。
https://www.youtube.com/watch?v=E2XHVqmlv_s
本の出版でいうと、九ちゃんのが旧訳で、
RCは新訳ということになる(ほんとうか!)。
ぜんぜんちがうとまではいえないけど、
かなりあたらしい解釈がもちこまれ、
別物の曲にしあがっている。
有名な曲をべつの歌手がうたうときに、
よくカバーとよばれるけれど、
カバーは新訳ほどの斬新性はなく、せいぜい改版でしかない。
この法則を発見したとき、
わたしは自分のするどさにおどろいてしまった。
とはいえ、これはわたしがえらいわけではなく、
RCの、あるいは清志郎のアレンジがそれだけすさまじく、
換骨奪胎がみごとにはきまっているからだ。
ちなみに、清志郎は「君が代」も新訳でうたったけど、
こちらはあまりおおくのひとになじまなかったようだ。
新訳なんて いきなりいいだしたのは、
「本の雑誌 10月号」の特集が、新訳だったからだ。
新訳といえば、光文社の「古典新訳文庫」が有名だけど、
ほかの出版社もたくさんだしており、
特集ではえりすぐりの50作が紹介されている。
亀山郁夫氏による新訳『カラマーゾフの兄弟』をよみ、
旧訳よりずっとすらすらよめた体験をもつわたしは、
本には賞味期限があるという説に賛成する。
村上春樹さんによる『ロング・グッドバイ』や
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、
それに『グレート・ギャツビー』も、旧訳よりしたしめた。
特集でもふれられていたように、
新訳はあたらしい読者へのよびかけでもあるけれど、
再読へのきっかけにもなる。
文体がよくねられていて よみやすいし、
たいていは活字がおおきくなっているので、
老眼となったわたしにはとてもたすかる。
わたしは、気にいった本を歳とってからの再読のために、
ごっそり本棚に確保してあるものの、
ふるい本のおおくは活字がちいさくて、よむのに難儀をする。
字のちいささは、再読のおおきな障害であり、
せっかく本棚にしまいこみながら、
再読のときにはあらたに新訳をかうかもしれない。
九ちゃんはが「上を向いて歩こう」をうたったのは1961年で、
RCサクセッションによる「新訳」は1979年。
もう、どちらもたっぷり時間にさらされて、りっぱな古典となった。
いまさらわたしがもちあげるまでもないけど、
RCの「上を向いて歩こう」をきいたことがないひとには、
ぜひスキヤキでないほうの新訳を味わっていただきたい。
永六輔さんと中村八大さんがつくり、坂本九さんがうたった曲だ。
そして、九ちゃんだけでなく、RCサクセッションもうたっている。
RCのばかりきいてきたわたしは、
「上を向いて歩こう」といえば、RCのほうをまずイメージする。
https://www.youtube.com/watch?v=E2XHVqmlv_s
本の出版でいうと、九ちゃんのが旧訳で、
RCは新訳ということになる(ほんとうか!)。
ぜんぜんちがうとまではいえないけど、
かなりあたらしい解釈がもちこまれ、
別物の曲にしあがっている。
有名な曲をべつの歌手がうたうときに、
よくカバーとよばれるけれど、
カバーは新訳ほどの斬新性はなく、せいぜい改版でしかない。
この法則を発見したとき、
わたしは自分のするどさにおどろいてしまった。
とはいえ、これはわたしがえらいわけではなく、
RCの、あるいは清志郎のアレンジがそれだけすさまじく、
換骨奪胎がみごとにはきまっているからだ。
ちなみに、清志郎は「君が代」も新訳でうたったけど、
こちらはあまりおおくのひとになじまなかったようだ。
新訳なんて いきなりいいだしたのは、
「本の雑誌 10月号」の特集が、新訳だったからだ。
新訳といえば、光文社の「古典新訳文庫」が有名だけど、
ほかの出版社もたくさんだしており、
特集ではえりすぐりの50作が紹介されている。
亀山郁夫氏による新訳『カラマーゾフの兄弟』をよみ、
旧訳よりずっとすらすらよめた体験をもつわたしは、
本には賞味期限があるという説に賛成する。
村上春樹さんによる『ロング・グッドバイ』や
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、
それに『グレート・ギャツビー』も、旧訳よりしたしめた。
特集でもふれられていたように、
新訳はあたらしい読者へのよびかけでもあるけれど、
再読へのきっかけにもなる。
文体がよくねられていて よみやすいし、
たいていは活字がおおきくなっているので、
老眼となったわたしにはとてもたすかる。
わたしは、気にいった本を歳とってからの再読のために、
ごっそり本棚に確保してあるものの、
ふるい本のおおくは活字がちいさくて、よむのに難儀をする。
字のちいささは、再読のおおきな障害であり、
せっかく本棚にしまいこみながら、
再読のときにはあらたに新訳をかうかもしれない。
九ちゃんはが「上を向いて歩こう」をうたったのは1961年で、
RCサクセッションによる「新訳」は1979年。
もう、どちらもたっぷり時間にさらされて、りっぱな古典となった。
いまさらわたしがもちあげるまでもないけど、
RCの「上を向いて歩こう」をきいたことがないひとには、
ぜひスキヤキでないほうの新訳を味わっていただきたい。
2017年10月01日
自治会旅行の魔手に エネルギーをからみとられる
地区のバス旅行として、岡山県の吹屋ふるさと村と、
高梁市にある頼久寺をたずねる。
参加者は18名。
こういう企画でもないと、おでかけの機会に
めぐまれないひとがいるかもしれない。
でも、それにしては だんだんと参加者がへっている。
遠足らしいはなやいだ雰囲気もなく、
どうかんがえても そんなにもとめられている旅行ではない気がする。
でも、いつもやっているのだから、
今年もまた いつものようにとりくまなくてはならない。
それが自治会の行事の真髄である。
そして、わたしは幹事役である行事部部長だ。
吹屋ふるさと村は、ベンガラの産地として有名らしい。
ベンガラとはなにか。
ウィキペディアをみると、
「硫酸鉄を高温で熱し、苛性ソーダで中和したもの」とある。
レンガ色の顔料で、布や磁器の色つけにつかわれるらしい。
とかいていても、わたしはまだピンとこない。
職場のひとに、ベンガラをみにいく、といったけど、
だれもしらなかった。
かつてベンガラの生産でさかえた町が保存地区となり、
おみやげ屋さんや郷土館にはさまれた
しずかなとおりをゆっくりあるく。
「ELEVEN VILLAGE」というゲストハウスもたっていた。
外国からのお客さんもくるという。
ここにこなければ、ベンガラについてなにもしらなかっただろうけど、
しったからといって、おおきな感動がうまれるわけでもない。
ある意味では、自治会からの旅行として、
これぐらいイメージにピッタリな訪問さきはないかもしれない。
じっさいにたずねることで、それまでしらなかった土地の
地理的な位置づけが記憶とむすびつくわけだけど、
自治会からの旅行は、たずねても、つぎの年にはもう
どこにいったのか、なにをみたのかわすれている。
わたしは、きょねん自治会からたずねた場所を
ほとんどおぼえていないのに気づいた。
わたしの記憶力の問題というよりは、
自治会旅行に特有な しずかに低迷する イベント性のたまものだろう。
高梁市の頼久寺は、庭園でしられるお寺らしい。
でも、じっさいに庭を目にすると、
これをみるためにわざわざこんなとおくまできたのかと、
ちからがぬけてしまった。
とくに手いれがゆきとどいているゆうではないく、
どこにでもありそうだ。
ここでもわたしは 自治会企画ならではの魔力をかんじることとなる。
頼久寺に個人的、あるいはすてきな女性と
しっぽりおとずれる機会はまずかんがえられない。
自治会旅行だけが ささやかな可能性をのこしている。
そして、わたしはドンピシャで、
その自治会企画としてここをおとずれた。
まことにめでたいマッチングといわねばならない。
ピピの誕生日をすませ、そしてつぎの日は
自治会からの日がえりバス旅行。
活気あるエネルギーを あらゆる方面から
残忍にからみとってしまう自治会企画への参加は、
日常とはなにかを、しっかりわたしにおもいおこさせてくれた。
高梁市にある頼久寺をたずねる。
参加者は18名。
こういう企画でもないと、おでかけの機会に
めぐまれないひとがいるかもしれない。
でも、それにしては だんだんと参加者がへっている。
遠足らしいはなやいだ雰囲気もなく、
どうかんがえても そんなにもとめられている旅行ではない気がする。
でも、いつもやっているのだから、
今年もまた いつものようにとりくまなくてはならない。
それが自治会の行事の真髄である。
そして、わたしは幹事役である行事部部長だ。
吹屋ふるさと村は、ベンガラの産地として有名らしい。
ベンガラとはなにか。
ウィキペディアをみると、
「硫酸鉄を高温で熱し、苛性ソーダで中和したもの」とある。
レンガ色の顔料で、布や磁器の色つけにつかわれるらしい。
とかいていても、わたしはまだピンとこない。
職場のひとに、ベンガラをみにいく、といったけど、
だれもしらなかった。
かつてベンガラの生産でさかえた町が保存地区となり、
おみやげ屋さんや郷土館にはさまれた
しずかなとおりをゆっくりあるく。
「ELEVEN VILLAGE」というゲストハウスもたっていた。
外国からのお客さんもくるという。
ここにこなければ、ベンガラについてなにもしらなかっただろうけど、
しったからといって、おおきな感動がうまれるわけでもない。
ある意味では、自治会からの旅行として、
これぐらいイメージにピッタリな訪問さきはないかもしれない。
じっさいにたずねることで、それまでしらなかった土地の
地理的な位置づけが記憶とむすびつくわけだけど、
自治会からの旅行は、たずねても、つぎの年にはもう
どこにいったのか、なにをみたのかわすれている。
わたしは、きょねん自治会からたずねた場所を
ほとんどおぼえていないのに気づいた。
わたしの記憶力の問題というよりは、
自治会旅行に特有な しずかに低迷する イベント性のたまものだろう。
高梁市の頼久寺は、庭園でしられるお寺らしい。
でも、じっさいに庭を目にすると、
これをみるためにわざわざこんなとおくまできたのかと、
ちからがぬけてしまった。
とくに手いれがゆきとどいているゆうではないく、
どこにでもありそうだ。
ここでもわたしは 自治会企画ならではの魔力をかんじることとなる。
頼久寺に個人的、あるいはすてきな女性と
しっぽりおとずれる機会はまずかんがえられない。
自治会旅行だけが ささやかな可能性をのこしている。
そして、わたしはドンピシャで、
その自治会企画としてここをおとずれた。
まことにめでたいマッチングといわねばならない。
ピピの誕生日をすませ、そしてつぎの日は
自治会からの日がえりバス旅行。
活気あるエネルギーを あらゆる方面から
残忍にからみとってしまう自治会企画への参加は、
日常とはなにかを、しっかりわたしにおもいおこさせてくれた。