2017年10月04日

自然農法でおいしい枝豆ができた

大豆がよくみのったので、しりあい4軒におすそわけをする。
枝豆としてたべてもらおうとおもった。
枝豆と大豆はどうちがうかというと、
実がしっかりかたくなるまで成熟させたのが大豆で、
大豆として収穫するよりも、わかいころにとりいれるのが枝豆だ。
枝豆専用でたべる種類の大豆もあり、
そのへんはちょっとややこしいけど、
大豆と枝豆はおなじ植物と理解して まちがいないようだ。

ともかく、畑の大豆がよくできたので、
枝豆としてたべてみると りっぱにおいしい。
せっかくなので、しりあいにも味わってもらうことにした。
それが、おもったよりも評判がよく、
だれもが「とてもおいしい」といってくれた。
ひとからもらっておいて、
「いまひとつでした」とはふつういわないけれど、
ほめてくれたひとの反応は、あながち おおげさではないとおもう。
冗談みたいにぎっしりとサヤがついていて、
どのサヤにもじゅうじつした実がはいっている。
自然農法なので、肥料・農薬をつかっておらず、
土もたがやさずに種をまいた。土よせもしていない。
もともと大豆は肥料を必要としないけど、
2〜3回草刈機でおおざっぱに草をかっただけで、
「雑草とのたたかい」などのドラマや苦労ばなしはなく、
種をまいたらなんとなくよくそだった。
連作をきらう植物だけど、ことしで3年連続大豆をつくっており、
なんでこんなによくできたのか、わたしにもわからない。
枝豆.jpg
わたしは、自然農法で米や野菜をつくろうとしている。
いまのところ、どれもさっぱりなので、
いいかげんやる気をうしなってきたけど、
かんがえてみたら、大豆だけはうまくつくれている。
しりあいにほめられるまで、とくにすぐれたできとはおもっておらず、
ほめてもらうと、ようやく自分のそだてた大豆が
わるくないできなのをしった。
自分の長所は、まわりのひとがきめるのとおなじみたいに、
自分がつくったもののよさは、ひとからいわれないと気づかない。

自然農法のかんがえ方は、人間がいろいろとお世話するのではなく、
植物が自然のちからでかってにそだつようになれば完成形だ。
肥料や農薬をつかい、人間のちからで
植物をうまくそだててやろうという たし算ではなく、
土をたがやさなくてもいいのでは、
肥料も必要ないのでは、とひき算していく。
といっても、雑草だらけのなかに種をまいても うまくいかないわけで、
ある程度の環境調整が必要となる。
夏やさいは、全滅といっていいほどできなかった。
お米も、芽はでたものの、成長がおもわしくなく、
ほとんど収穫のない秋をむかえている。
そんななかで、大豆だけはうまくいった。
草かりに3回はいった以外、わたしはなにもしていない。
まさにかってにそだった、というのが実感だ。
それでいて、スーパーでかう枝豆よりもずっとおいしい。
自然農法なんて、ぜんぜんうまくいかない、と
やる気をなくしていたけど、成功例がちゃんと目のまえにあったのだ。
うまくいかないものだけにひっぱられて、
なにもせずによくそだった大豆を評価していなかった。
客観的にみたら、これこそが自然農法といえるだろう。

職場のお弁当班がやっている ちいさな野菜売場に、
枝豆としてだせばよかった、とあとからおもった。
スーパーでは、ちいさな枝が200円ぐらいでうられている。
わたしの枝豆なら、その倍よりもおおくサヤがついているので、
枝豆がほしいひとからみたら、いいかいものだろう。
自分でたべるだけに満足せず、野菜市場でお金にかわれば、
ひとつの収入源として がんばってつくる気になる。
じっさいは、なにもしないのだから、がんばりようがないのだけど。

posted by カルピス at 21:20 | Comment(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする