2017年11月06日

ピピのおねしょにまけて、ベッドをあけわたす

きゅうにさむくなってきたけど、
ふとんのうえでピピ(16歳のネコ)に
おしっこをされたらひどいので、
寝袋をひっぱりだして 夜のさむさをしのいでいる。
化繊の寝袋なら、もしおしっこでぬれても、
あらったり ふいたりがかんたんだ。

と、おもっていたけど、
いざ寝袋のうえでおしっこをされるとたいへんだった。
ピピはあったかさをもとめてわたしにくっついてくる。
くっついたまま、おしっこもする。
ぬれたパジャマと寝袋をまえに ぼうぜんとなっていると、
ピピは無邪気な目でわたしをみながら
「わー」とあまえた声をあげた。
かわいいけど、夜中のおねしょにつかれてきた。
寝袋のぬれたところにアイロンをあて、パジャマのうわぎをかえる。

糸井重里さんが すこしまえの「今日のダーリン」で、
モネというわがままなネコを紹介している。
「お母さん、なんか食べたい」
「あと、ミルク。冷たいのイヤ、あっためて」
「熱すぎる」「甘くして。砂糖イヤ。はちみつ」
 おとうさんがテレビの相撲を真剣に見ているところで、
 いっしょにお風呂に入りたがったり、
「熱いのイヤ。水はイヤ」「ひのきの香りがいい」
「あ、そこそこもっと。耳はイヤ」と、言い放題。
(深谷かほる『夜廻り猫』)

そうやって、わがままにふるまわれるのを、
いっしょにくらしている中年夫婦はよろこんでいるのだけど、
ピピのおしっこを、ただいとしくおもえるほど
わたしは成熟したおとなではない。
そこらじゅうでおしっこをするピピにむかい
「そこにすわりなさい」とお説教をする。

まえに、枕のうえでおしっこをされる気もちは、
枕のうえでおしっこをされたひとでないとわからない、
とかいたことがあるけど、
寝袋でも、問題はおなじだ。
寝袋でおしっこをされた気もちは、
寝袋でおしっこをされたものにしかわからない。

夜中になんどもおこされるので、じゅうぶんねた気がしない。
さすがにつかれ、ピピのいない部屋でねむりたくなってきた。
書斎とよぶにはあまりにもしょぼいスペースと、
そのとなりのかくれがみたいな寝室をピピにあけわたし
(まさに、ひさしをかして母屋をとられる、だ)、
なんちゃって書庫に座布団と寝袋で
短期間限定のねぐらをつくったらどうだろうか。
自分のベッドをはなれれば、
多少なりとも野宿の気分だってあじわえるかもしれない。
でも、おそらくピピはわたしのうらぎりをかぎつけて、
ひっこしさきのねぐらにやってくるだろう。

ネコとのつきあいは、年をとり、
介護状態になってからが、最大のやまばとなる。
そこらじゅうでおしっこをする問題を どうしのぐか。
モネのかいぬしみたいに、わがままをいわれても
ニコニコうけいれられるひとばかりではないだろう。
介護づかれにショートステイの利用が有効なように、
かくれがへの逃避もまた、
いちじしのぎとしてゆるされるのではないか。

posted by カルピス at 22:26 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする