2017年11月11日

信号機のない横断歩道で 車はなぜとまらないか

先日の朝日新聞に
「止まらぬ車 戸惑う外国人」
という記事がのった。
投稿したマーク=リバック氏は、
「信号機のない横断歩道は車優先」
という日本の状況におどろいている。

しかし、日本の運転手は、
車優先と はっきり意識しているのではなく、
横断歩道でまっているひとが、自分とは関係ない存在だから
あえてとまろうとしないのではないか。
自分が所属する「世間」でなければ、
運転手にとって かかわりのない「その他大勢」にすぎない。
横断歩道で車がとまらないのは、
そこでまっているのが、自分とは縁のない他人だからだ。

横断歩道で車がとまらないのは、
電車の席を老人にゆずらない問題とよくにている。
日本はサイフをおとしてもかえってくるほど
道徳がゆきとどいた国なのに、
いっぽうでは、老人をたたしたままでも平気な国だ。

鴻上尚史さんが
「日本人には社会がなくて
世間だけで生きている」となにかにかいていた。
自分がぞくするコミュニティでは親切にふるまうのに、
そこから一歩でると、まわりはぜんぶ関係のない他人となる。
世間にたいしてはずかしいかどうかが 判断の基準であり、
ひろく社会的にみたらどうかはかんがえられない。
世間と社会とを、はっきりわけてあつかっている。 

わたしはバスにのっていたとき、
年配の女性が、あとからのってくる友だちのために、
荷物をおいて 席を確保しているのにでくわした。
その女性の論理では、ほかのひとがすわれなくても、
あとからくる自分の友だちがすわれたらいい。
このひとにとって、バスにのっているお客さんは
自分とかかわりのない他人であり、
しらないひとがすわりたい気もちは想像できず、
自分の友だちに楽をしてもらいたいと「親切」にする。

投稿によると、道路交通法38条に
「横断歩道等における歩行者等の優先」
とあるそうだ。
それなのに、人対車の交通事故のうち、
「約30%が横断歩道を横断中に起きている」そうで、
こんな状況がほっておかれているのが
そもそもめちゃくちゃなのだ。
なんで規則違反として とりしまらないのだろう。

信号を無視すると、ルール違反でとがめられる。
日本人は、きまりならば まもろうとするので、
信号のない横断歩道で ひとがまっているときは、
とまらなければ罰金という規則にすればいい。
交通違反にすれば、どの運転手もとまるようになる。
もちろん、老人に席をゆずらないのも犯罪としてあつかう。
なんだか安倍さんがめざす共謀罪法案後の日本を
さきどりしたようなギスギスした社会だ。

posted by カルピス at 09:18 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする