プールからのかえり、いつものスーパーへ。
店内のあかりがくらい。駐車場の車がすくない。
いつもとちがうようすに、お店ぜんたいをよくみると、
ガラスに「休業中」とおおきくかかれた紙がはってある。
清掃業者がはいり、おおがかりなかたづけがはじまっている。
夕方だし、プールでおよいでいたせいもあり、
なんだか目にはいる景色がぼんやりしている。
歳のせいもあって、このごろ夕方がすごくくらいのだ。
かいものができないので、しかたなく車で家にむかうと、
とおりすがりにみえるほかのお店も、
なんだかあかりがくらくしてあるようにみえる。
わたしのしらないうちに、なにか異変がおこり、
お店が次々に閉鎖しているのでは。
こんなふうに、いつもいく店がバタバタと閉店したら、
どんなに不自由だろう。不自由だし、さみしい。
人口がへりつづけたら、いまにわたしがすむ町は、
こんな風景になるのだろうか。
『ザ・ロード』(コーマック=マッカーシー)をおもいだす。
世紀末は、もはや太陽がかがやくことはなく、
つめたい雨がふりつづけ、将来に希望をもてない。
ひとびとは、生存をかけて食糧をうばいあう。
人口がへりつづけると、こんな状況がおとずれるのだろう。
空想ではなく、現実になにか異変がおきたのではないか。
うすぐらく、ぼやっとしたかえり道の風景は、
ただごとでない事態がおとずれている気配をかんじさせる。
もっと灯油や食糧を備蓄しておけばよかったとくやむ。
家にもどって、スーパーのチラシをみると、
改装中でのため休業、とあり、
11月下旬にリニューアル・オープンする予定だという。
ほんとうに、一時的な休業のようだ。
さいわい、世界はなにもかわっていなかった。
よくいくスーパーが休業になっただけで、
こんなに動揺するとはおもわなかった。