2017年11月23日

「いい夫婦」がなんだかんだ

きのうはクッキー班のメンバーといっしょにイオンへ。
クッキーの材料をかうためだ。
11月22日は「いい夫婦の日」として
カーネーションのプレゼントがすすめてあった。
11月22日なので、「いいふうふ」というゴロあわせだ。
いろんなことをかんがえるものだ、と感心し、
でも、まえにみたことがあるような気もする。
それにしても、なんでカーネーションなのだろう。

いっしょにあるいていたメンバーから、
わたしの家、というか夫婦は、いい夫婦ですか?と、
ストレートにたずねられた。
いまさら、この手の質問にドギマギしたりはしない。
ひらきなおりというか、よけいなお世話というか、
問題の所存はそんなところにはない、と喝破しているからだ。
というのはウソで、
わたしたちは、まったく議論の対象にならない
いきづまったカップルなので、
こうした質問は そもそも成立しない。
もうずいぶんまえに、いいか わるいかは、つきぬけたようだ。

「いい夫婦の日」と、いいだした側にしても、
なにかの冗談だったのではないか。
そして、ちいさな親切と。
「いい夫婦の日」なんてありえない問題に、
あえて あなたたちはいい夫婦ですかと、
すでにわすれさった概念があるのをおもいださせてくれる。

わたしと配偶者は、おなじ家にくらしているけれど、
おたがいの配慮による精密な連携プレーにより、
ほとんど顔をあわせることもなく、
まるで2世帯住宅にくらしているかのようだ。
何年も行動パターンを観察しあってきた成果として、
朝のいそがしい時間も、おたがいがじょうずにすれちがい、
出勤への準備をしゅくしゅくとすすめる様式が確立されている。
であいのないところに、問題はうまれず、ストレスも生じない。
「いい夫婦」であろうとすれば、
それなりのプレッシャーもあるだろうが、
そこは20年以上のつきあいにより、暗黙の了解がいつしかうまれ、
いくつもの難問を、なんなくスルーしている。
無理してすれちがうのではなく、
自由にふるまっていながら、なおかつ別の世界、というのがミソだ。

問題ありすぎ、とつっこみたいひともいるかもしれないけど、
100%うまくいっていると、本気でひらきなおっている。
ここらへんは、いま話題になっている加計学園や
森友学園の問題とよくにている。
安倍さんは、もしかしたら本気で「問題ない」とおもっているのに、
世間一般的には問題だらけだったりして。

まえは、もうすこしジタバタしていたけど、
いつしか このままいくしかないのだろうな、と
さとりをひらくまでにいたっている。
ひとには寿命があり、いつまでも30代ではいられない。
歳をとれば、それなりの達観があるので、
わかい夫婦のみなさんは、心配しなくても大丈夫だ。
何万年もの人類の歴史や、宇宙が誕生した奇跡をおもうと、
わたしたちがいい夫婦かどうかなんて、
まったくとるにたらない問題でしかない。
「わたし」を大切にしすぎないのがコツなのかも。

posted by カルピス at 10:57 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする